「時勢」との付き合い方

映画『ゴジラ−1.0』を見に行った。アカデミー視覚効果賞とやらを受けた作品である。そして、切符を買おうとすると、売り場の若い男性が「4DXですが、よろしいでしょうか? 別料金も千円掛かりますが…」と尋ねる。エッ、それは知らなかったけど、4DXという言葉自体は一応知っている。

つまり、映画のシーンに合わせて、座席が前後、上下、左右に動いたり、水滴が降ってきたり、時には何かの匂いがしたり、さらには映像が飛び出して見えたり…という体感型映画のことだそうだ。ただ、実際には見たことがない。僕にはこの種のものに対する進取の精神がいささか乏しいのか、見たいとも思わない。あとで知ったことだが、老人にはお勧めではないらしい。ショックで倒れられたら困るからだろうか。

それに、座席が前後などに動くなんて、そもそも気持ちが悪いのではないか。いったいどこがいいのか? 僕は好きじゃないなあ。切符売り場の男性にそう言うと、「じゃあ、装置が故障している座席がいくつかあります。この座席の切符は売らないのですが、通路を挟んで、そのすぐ隣の故障していない座席をご用意します。ただし、上映中はそこを使わないで、故障した座席のほうにお座りになってはいかがでしょうか」とのこと。それでも千円の別料金は必要だったが、引き返すのも馬鹿らしいので妥協することにした。

とは言え、僕はケチな性分だから、みすみす千円を損するのも悔しい。そこで上映中、本来の隣の座席に時々、手を伸ばして触れてみた。すると、ガタガタと揺れている。男たちが船に乗ってゴジラと戦っている場面だ。水滴もいくらか降ってくる。少しだけ千円を取り戻した気分になった。なお、あとで知ったことだが、この映画は4DXでも正しくは4DX2Dで、座席が動いたりはするが、映像が飛び出してくることはなかった。

さっき、僕には進取の精神が乏しいと書いたが、もう少しカッコよく言うと、新しい「文明の利器」なるものが出てきたからと言って、すぐに飛びついたりはしたくない。みっともない。「時勢」には半歩か一歩、遅れてついていけばいい。どうってことはないはずだ。だから、パソコンを使い始めたのもかなり遅かった。そろそろ潮時かなあと思って、当時勤めていた新聞社の僕の机にパソコンを置いたら、周りがびっくりしていた。

スマホも使い始めはわずか5年ほど前だった。普及率が8割になったそうなので、「じゃあ、仕方がないか」と、手にすることにした。もっとも、アプリを軒並みに使っているわけではない。それどころか、SNSのLINEとかX(Twitter)、FacebookInstagramとかには全く縁がない。使っているのはメール、ニュース、Google、それに歩数計など、ごくごく限られている。スマホの機能の十分の一か百分の一かもしれない。いや、もっと少ないかもしれない。パソコンも同様である。パソコンやスマホの値段に比べれば、まことにもったいない話ではある。

あ、そうだ、ひとつ自慢もないことはない。日本人の皆さんがあまり使っていないもので、「中国版LINE」とも言われるWeChat(微信)がある。中国や日本にいる教え子とやり取りするのに便利そうなので最近、使うことにした。このWeChatで先日、上海にいる教え子から「仕事に使いたいので、何々の写真を撮って送っていただけないでしょうか」と頼まれた。簡単に引き受けたものの、さて、WeChat用の写真はどのようにし撮るんだっけ? 送信のやり方は? としばらく悩まされた。情けない話である。

僕はいわゆる「文明の利器」に対しては半歩か一歩遅れてついていくのが主義だけど、「ものの考え方」はスマホなんかとは逆にしたいと思っている。例えば、選択的夫婦別姓制度や同性婚などについては、旧弊にとらわれず、こちらは「時勢」より半歩か一歩先を歩いていきたいと考えている。

ただ「ものの考え方」に比べ「文明の利器」の進み方はあまりにも早い。僕は「茶寿」の108歳まで生きることを目指しているが、その頃、AI(人工知能)はどこまで進んでいるだろうか? 想像もつかないが、半歩か一歩遅れでついていけるといった、のんびりとした状況ではとてもないだろう。多分、逆立ちしても、僕はついていけない。いっそのこと、生きる目標を99歳の「白寿」あるいは90歳の「卒寿」あたりに前倒しして、そんな時代を見ないようにしようか……なぞとも考え始めている。

頭を上げようよ!!

コロナ禍以来、埼玉の田舎に蟄居している日が多くなったけど、たまには郊外電車で東京に出かける。都内ではJR山手線や地下鉄で移動する。そんな折、電車の中で僕が気になるのは、スマホを眺めている人が(誰も彼もがと言ってもいいほどに)実に多くなったことだ。座っている人も立っている人も、首を少し前に曲げ、つまり頭をやや下げて、一斉にスマホの画面に見入っている。

その結果、僕にいかなる被害が及んでいるわけではないけれど、周りを見るたびに、なんか異様な感じがする。僕も一応、スマホを持っているが、電車の中では、時刻を確かめたり、メールの着信を調べたりする程度で、ごく短い時間しかスマホを見ない。それなのに皆さん、なんで、あんなにも、スマホを見続けなければいけないのだろうか? 僕は新聞や本を読んでいなければ、ぼんやりと車外の風景を眺めたりしている。

ふと、ずっと前、中国・上海の地下鉄でも同じようなことを感じて、このブログに書いたことを思い出した。古い記事を探っていくと、ちょうど11年前の2013年春にそれはあった。中国南方の都市・南寧で日本語などの塾を開いていた頃の話で、「低頭族と抬頭族」と題したそのブログの書き出しは以下のようになっている。

――春節旧正月)の休みで上海を経由して日本と行き来した。上海では何回か地下鉄に乗ったし、東京では毎日のように地下鉄、JR、郊外電車に乗っていた。その折、気づいたことがある。東京では電車の中で本や雑誌を読んでいる人が結構「いる」ことだった。そして、上海では「いない」ことだった。

読んで、ちょっとびっくりした。当時の中国では、スマホなどの操作に夢中になって、じっとうつむいている人を「低頭族」、日本語らしく言えば「うつむき族」と呼んでいたが、その多さでは上海が東京のかなり先を行っていたのだ。


そして当時、上海の地下鉄の駅には、上の写真のような公共広告がまさに林立し、「抬頭族になろう」と呼び掛けていた。「うつむき族」に対して「上向き族」ということだろう。モデルの目線は上を向いている。「スマホなどに没頭するな」とは書いていないが、「低頭族」「うつむき族」に対するアンチテーゼである。どうやら「問題意識」も上海のほうが東京より進んでいたみたいだ。

話を今の東京に戻すと、車内に設けられた「優先席」を若者が占領していることがよくある。もちろん、優先席が空いている場合なら、一向に構わない。ところが、車内が混んできて、老人たちが立っていても、若者は席を譲ろうとしない。それも無理のないことで、連中の目はスマホに吸い付けられていて、老人たちが目に入らない。いや、老人たちを見ないために、スマホに向かっている。つまり、スマホが本来の役割とは違った邪悪な使われ方をしている……そう勘繰りたくもなってくる。

一方、うつむき族の先進地・上海の現状はどうだろうか。しばらく上海に行ってないので、同地在住で元教師の中国人女性に問い合わせてみた。「電車の中? それはひどいものですよ」と言った後、別の話をしてくれた。彼女は時には会合に呼ばれて講演する。そんな折、聴衆に質問を出すと、相手はいきなりスマホを開いて、答えを探し始める。講演中、スマホは駄目だと言いたいけど、こうしたバイト代も生活に必要なので我慢しているとか。

また、レストランで若いカップルや友人同士が食事しているのを見ると、ほとんど話さず、お互いスマホだけを見ながら食事を終えるのが普通だそうだ。そんな光景を風刺する言葉として、日本語にすれば「電子ザーサイ」「電子漬物」といった表現も流行っているとのこと。スマホが食事の際に食欲を増進するザーサイや漬物の代わりになっているわけだ。さらには、家庭での食事の際、親が子供と話そうとしても、子供の目はスマホに吸い付けられていて、親が困っているとも彼女は教えてくれた。

ひとつ、僕が心配していることがある。もし、こんな状態がこれから3世代、4世代、5世代と続いていったら、人間の「体付き」そのものも変わってきはしないだろうか。例えば、赤ちゃんができた時、将来スマホを眺めやすいようにと、首が前に少し曲がった格好で、お母さんの胎内から出てこないだろうか。現に、人間にはもともと「しっぽ」があったが、進化か退化かして、今は「尾骶骨」になっている。そんなこともあるのだから、首が前傾した赤ちゃんの誕生も、あながち杞憂とは言えないのではないか。

「108歳」まで生きるには……

つい最近、テレビで元気な姿を見たばかりなのに……そんな人が相次いで亡くなった。ひとりは神戸大名誉教授の政治学者で、東日本大震災復興構想会議議長や防衛大学校長を務めた五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんだ。3月6日、自身が理事長を務める「ひょうご震災記念21世紀研究機構」で執務中に不調を訴え、急性大動脈解離で死去した。新聞に大きく報じられた。80歳だった。

大動脈とは心臓から全身へと血液を送る管のことだが、この大動脈の内側に亀裂が入り、血液の通り道が別にもうひとつできた状態を解離と呼ぶとか。恐ろしい病気で、高血圧の人に多く発生するそうだが、五百旗頭さんも血圧が高かったのだろうか。

実は、彼は僕と同じ大学の同じゼミの何年か後輩にあたる。彼は優秀、僕は平凡な学生であったと思うし、特に付き合いがあったわけではない。ただ、僕が新聞記者をしていた頃、パーティーなんかで彼を見掛けると、近づいて行って、先輩風を吹かせたりした。彼の死を悼む各界の人たちの言葉を新聞で読むと、周りから尊敬され、好かれていたようだ。自慢できる後輩を失ってしまった。

もうひとり、驚いたのは、2月20日に死去した俳優の山本陽子さんだ。当日、所属事務所社長の甥と一緒にいて元気だったのに、帰宅直後に急性心不全で亡くなった。81歳だった。彼女は死去のほんのちょっと前、テレビ朝日の番組「徹子の部屋」に同じく俳優の高橋英樹さんと出演し、僕も自宅で見ていた。最近は4月からの舞台公演を控え、準備に取り組んでいたとか。心不全も心臓の病気や高血圧などに関係があるらしい。

僕は今83歳だが、茶寿つまり108歳まで、あと四半世紀は生きてみたいと思っている。特に何かをしたいわけではないが、地球が、世界が、どうなっているか、自分の目で見てみたい。今年の年賀状ではそんな決意!?を述べている。ちなみに、茶寿がなぜ108歳かと言うと、「茶」の草冠(くさかんむり)は「十」がふたつだから、合わせて「二十」、草冠の下は「八十八」だから、合計「百八」になる。まあ駄洒落の類である。

そんな僕にとっては、元気で、しかも僕よりも少し若いおふたりに死なれたのは、ちょっとショックである。108歳という目標に赤信号が灯ったような気もしてしまう。ただ、おふたりの死に関係していそうな血圧については、僕は十分に注意している。実は15年ほど前、中国の桂林にいて大学で教えたり、自分で日本語の塾を開いたりしていた頃は、血圧が随分と高かった。病院に行くと「今すぐに入院してください」と言われたほどだ。

しかし以後、帰国の度に慶応大学病院に通い、降圧剤を処方してもらってきた。今では血圧は正常で、たまに高いことがあっても、もう一度測ると、正常に戻る。108歳の障害物にはなっていない、と自分では思っている。

もうひとつ最近、死を大きく報じられた有名人は、「ドラゴンボール」などの作品で世界的に知られる漫画家の鳥山明さんだ。3月1日に急性硬膜下血腫で亡くなったのだが、まだ68歳だった。僕は108歳までです、なんて言うと、怒られてしまいそうである。ところで、急性硬膜下血腫の主な原因は交通事故や転倒などでの頭部の外傷とのこと。鳥山さんはどこかで、頭を強く打ったのだろうか。頭部の打撲については、僕は血圧同様、かなり気をつけているつもりだ。つまり、自転車には乗らないようにしている。

きっかけは、毎日のように自転車に乗っていた何年か前のこと。スーパーのそばで自転車にまたがると同時に無理やりほぼ180度、方向転換しようとしたら、自転車もろとも倒れ、僕は頭から地面にたたきつけられた。近くにいた人が2~3人、「大丈夫ですか」と寄ってきてくれたくらいの衝撃だった。

幸い、けがは大したことはなかった。僕は子供の頃から、体のバランスが悪いのか、しょっちゅう転ぶ。ただ、なぜか大きなけがはしない。が、この日をきっかけに以後、自転車に乗るのはきっぱりとやめた。いつか致命的な大けがをするかもしれないし、予防のためにヘルメットをかぶるのも面倒くさい。もっぱら歩いている。

それやこれや、血圧にも頭部の打撲にもそれなりに気を配っている。おかげさまで、懸案の108歳にも少しずつ着実に近づいているのかもしれない。

求む、日本人教師やぁーぃ

僕は今世紀初めの5年間、中国は黒竜江省ハルビン理工大学で日本語の教師をしていた。60歳で新聞社を辞めたあとのことで、「給料なんて要りませんよ」と、大きな顔をしたボランティアだが、宿舎代と光熱費は大学が負担してくれた。

その大学でいま日本語を教えている女性から最近、「SOS」が舞い込んできた。彼女は当時の僕の教え子である。メールによると、1人いた日本人教師が昨年退職し、今年からは日本人がゼロになった。あちこちで募集しているが、なかなか来てもらえない。「日本人の先生がいないと、学生の会話やヒアリング能力はなかなか伸びません」とのことだ。

僕がいた頃はあんなに日本人教師がいたのに、どうしたのだろうか? 当時の記憶を探った――60歳以上のボランティアの老人は僕と学生時代の友人の2人。友人は僕の話を聞いて「面白そうやなあ」と、あとからやってきた。そのほか、20歳代、30歳代、40歳代の男性、女性、「日本で高校教師になるつもりがうまくいきませんでしたので、当分はこちらで……」「焼き鳥屋をやっていましたけど、今回はJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊員として……」などと、いろんな経歴の人がいた。入れ代わり立ち代わり、常時4~5人の日本人教師がいたと記憶している。

それがゼロになった。日本と中国の最近の冷ややかな関係が影響しているかもしれない。また、JICAはこれまで開発途上国向けに、つまり中国に対しても、費用は日本持ちで教師などを青年海外協力隊員として派遣してきたが、中国向けは2022年で中止になった。中国は経済大国なのだから、仕方のないことだが、これも影響しているだろう。

でも、ハルビン理工大学は何しろ僕が5年間、機嫌よく、かつ楽しく在籍したところである。放っておくわけにはいかない。採用の条件を聞くと、一応は60歳以下の大学卒で、給料は月に6500元(日本円だと13万円台)、宿舎は大学側が提供し、光熱費も要らない。年に2回、日本との往復の航空券代が出る。ボーナスも――などなどだが、給料がやや少ない。でも、自炊したり、校内食堂で食べたりすれば、十分に食ってはいける。

よし、日本人教師の募集に少しは力になってみようか。とは思ったものの、長年の「浪人」には、どこに声を掛けたらいいのかが分からない。仕方なく昔の資料をひっくり返していたら、僕より30歳以上も若い当時の同僚で、力になってくれるかもしれない2人の男性を見つけた。あれ以来、どこかで1回かそこら会ったことがあり、連絡先が手元にあった。うち1人は高校の先生をしているから、この種のコネがあるかもしれない。もう1人は行政書士だが、電話で聞くと、日本語学校も経営しているとか。2人とも期待できそうだ。事情を話すと、早速あちこちに「募集要項」を配ってくれている。もちろん、このブログの読者が直接、僕にお声を掛けて頂くのも大歓迎である。

余談ながら、昔の資料からは、僕がこの大学を辞めた際、惜別の辞を載せてくれた大学新聞も出てきた(上の写真)。「“藤野先生”在中国」(藤野先生は中国にいる)という見出しの記事は「かつて魯迅には藤野厳九郎先生がいた。私たちにはいま岩城元先生がいる」「永遠にあなたに感謝いたします」と締めくくられている。

さらに、余談を続けると、中国が「清」だった時代のこと、清から日本に留学していた魯迅は一時、仙台の医学専門学校(東北大学医学部の前身)に籍を置いていた。ただ、魯迅の日本語は未熟で、講義のノートをきちんと取れていなかった。それを心配した解剖学担当の藤野厳九郎教授は魯迅に毎週ノートを持ってきて見せるように言った。そして、魯迅の作品『藤野先生』によれば、「わたしの講義ノートは始めから終りまで、すっかり朱筆で添削してあったばかりか、たくさんの抜けている部分が書き足してあり、文法のあやまりまでいちいち訂正してあったのだった」(駒田信二訳)

魯迅は結局、医学専門学校を辞め文学を志したのだが、中国に戻ってからは藤野先生の写真を自分の机の前に掛け続けた。そして「夜、仕事に倦み疲れて、なまけごころがおこってくると、いつも、顔を上げて」彼の顔を眺めた。すると、「わたしにはたちまち良心がおこり、勇気が加えられるのである」と記している。僕も中国に何枚か、顔写真を残してくればよかったかもしれない。

いやはや、日本人教師募集の話にかこつけて、自慢話を長々と記してしまったが、中国での教師業がいかに楽しいかの例としてお許し願いたい。

麻生太郎君の悪口ばかりは言えない

自民党麻生太郎という老爺がまたまた物議をかもしている。最近、老爺の選挙区でもある九州は福岡県での講演で、上川陽子外相について「そんなに美しい方とは言わんけれども、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん会うべき人に予約を取っちゃう」「俺たちから見てても、このおばさんやるねえと思った」などと話したのだ。

老爺は上川外相の仕事ぶりを褒めたつもりなのだが、その際に女性の容姿・外見に触れるなんて、全く余計なことである。「おばさん」などと女性政治家を揶揄(やゆ)するのも、これまた余計である。結局、老爺は数日後、「容姿に言及したことなど表現に不適切な点があったことは否めず、撤回させていただきたい」との談話を出した。

この老爺、麻生太郎氏は調べてみると、1940年(昭和15年)の生まれ、今83歳である。実は僕も同年の生まれで、誕生日もあまり違わない。政界の重鎮のようだが、今後「君」付けで呼ばせてもらおう。で、我々が生まれた当時はどんな世の中だったのか。日本は中国侵略の泥沼から抜けられず、1年後の1941年には米国ハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、破滅へと向かって行った頃である。それはそれとして、当時の女性には「選挙権」というものがなかった。「国民」として認められていなかったのだ。女性が選挙権を得たのは、日本が戦争に負けた後の1946年になってからである。

そんな頃に生を受けた麻生君が女性に対して差別発言をするのは、同い年の僕としては、なんとなく分かるような気もする。いま70歳の上川外相を「おばさん」と呼んだけれども、「老婆」とまでは言わなかったのは、いくらか評価?してあげたい気もする。

僕は1963年(昭和38年)に学校を出て、朝日新聞の記者になった。老爺も同じ頃に社会人になったはずである。で、その頃の社会の「女性差別」の状況はどうだったのか――僕が就職した朝日新聞社の例で言うと、同期入社の50人以上の記者のうちで、女性は1人だけだった。入社試験は女性も平等に受けられたはずだし、女性の記者志望が極端に少なかったわけでもないだろう。ただ、上司に聞くと、「わが社は基本的には女の記者は採用しない。もっとも、入社試験の成績が飛び抜けてよくて、落とすと問題になりそうな場合は、女でも仕方なく入社させる」とのこと。一応は「進歩的」だと言われる朝日新聞社でもこんな状況だった。

つまり、記者は「男の仕事」という、とりわけ根拠もない固定観念が社内には根づいていて、僕も特に疑問を感じなかった。一方で今、麻生君の暴言を厳しく批判しているのは、新聞の中ではもっぱら朝日新聞である。それは正しいことだと思うし、女性記者の数が増えてきたことも、影響しているのだろう。昔のことを思うと、僕はまさに汗顔の至りで、麻生君の悪口ばかりは言えないのである。

ところで前回、僕はこのブログで、毎日寝る前には池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』(文春文庫)を愛読していると書いた。で、この本は面白いことは面白いのだけど、男が女の容姿などを悪く言う表現には事欠かない。例えば――

鼻すじがくぼんでいるくせに鼻頭や小鼻がもりあがり、(それにどうだ、こいつの鼻の穴の大きいことといったら……鼻にも目玉がついていやがる)……

むかしは、小肥り(こぶとり)の、よくよく見れば、さほどにみにくい女でもなかったお熊であったが、七十をこえたいまは、凧の骨のように痩せてしまい、……
「たのむぜ、破れ凧の歯抜け婆あ」……  女ともいえぬ、先ほどの老婆……
「女という生きものに、理は通らぬ」……

いやはや。さすがに出版元も本の末尾にお断りを載せている。本作品の中には、今日からすると差別的表現もあるが、「それは江戸時代における風習、慣行にもとづく歴史的事実の記述、表現であり、……」というものだ。と申しても、この言い訳はいささか苦しい。

つまり、これは江戸時代の作品ではなく現代、それも戦後の作品である。「歴史的事実」云々なんて、おかしくはないの? むしろ、1923年(大正12年)生まれの池波氏の、麻生君もびっくりの女性観が、色濃く出ているのではないだろうか。ついては、麻生君の今回の発言は、これからは厳に慎むことを条件に、大目に見てあげてもいいと僕は思ってしまっている。

快眠vs.寝酒

僕は毎夜、寝床に入ると、まず「極楽じゃ、極楽じゃ……」と、何度かつぶやくことにしている。そうすると、いつの間にか眠ってしまっている。睡眠のための「呪文」のようなものかもしれない。この「極楽じゃ」は僕自身が考えたものではない。僕と同年配の知人の母親が昔々、夜の寝床で唱えていたという話を聞き、真似するようになった。

何しろ、当時は太平洋戦争の頃である。この母親は何人もの幼子を抱え、朝早くから炊事、洗濯、掃除……田畑があるので、農作業もある。おまけに、夫は戦争に取られ、いつ戻ってくるか、分からない。毎日、毎日、くたびれはてて、夜に横になるのが唯一の楽しみ。思わず「極楽じゃ、極楽じゃ」という声が出たのだろう。

日々、のうのうと暮らしている僕が同じ言葉を唱えるなんて、まことに申し訳ないのだけど、ただこの呪文だけでは、朝までぐっすりの「快眠」とまではいかない。夜中に2度、3度、トイレに行きたくなって目が覚める。理由は自分でも分かっている。毎夜、布団に入る直前まで、ウイスキーオン・ザ・ロックを「寝酒」と称して意地汚く手にしているせいなのだ。僕は「快眠」を求めているだけなのだが、寝酒は睡眠そのものにとって、決していいものではないらしい。

去年、訳書が出たスウェーデン・ウプサラ大学の睡眠研究者クリスティアン・ベネディクト氏の著書『熟睡者』の中で同氏は「アルコールを摂取すると、たいてい、通常より早く眠りにつける。その一方で、……いびきをかくリスクが高まる。加えて、汗をかきやすくなり、繰り返し目が覚めたり、睡眠中に呼吸が何度も短く止まったりする可能性もある。また、アルコールは胸やけの原因にもなるため、睡眠がさらに損なわれる。……悪夢をともなうこともある」などと、寝酒を批判している。

また、月刊『文藝春秋』は最近号で、睡眠について特集しているが、その中で筑波大学の睡眠学者柳沢正史氏も「お酒を飲むのは、夕食時の晩酌までにしましょう。……禁物なのは寝酒です。世界的に見ても、日本は寝酒をする人が極端に多いことで知られています。……飲酒直後の睡眠中の脳波を測ってみると、睡眠の質は本当にガタガタになっています。深い睡眠も減り、中途覚醒時間も多くなる。夜、お酒を飲まないと眠れないと言う人は、すでに不眠症と言えるので……」と、寝酒に厳しい。

ところで、寝酒の話はひとまず置いて、ふと昔、高校生の頃、試験の前日なんかに飲んでいたトランキライザー向精神薬)のことを思い出した。当時、流行していて、アトラキシンという商品名も覚えている。新聞によく広告が載っていた。これを飲むと、それこそグッスリと朝まで眠れた。大学に入ってからは、勉強そのものをあまりしなくなったので、アトラキシンとは縁が切れたが、高校時代のあの「快眠」はまだ脳裏に刻まれている。

今も似た薬がないものか。薬局で尋ねてみたら「睡眠改善薬」なるものを勧めてくれた。6錠入りの1箱が2000円ほどと、いいお値段だが、飲むのは1日に1回、1錠だけ。これを飲んでいる知人に聞くと、なかなかに優れものだそうだ。さっそく買ってきた。

ところが、いざ飲もうとして「使用上の注意」を読むと、「服用前後は飲酒しないでください」とある。ウーム、もしこれを無視して、飲酒したらどうなるのか? ネットでいろいろ調べていると、「最悪の場合、呼吸停止の恐れもあります」とまで書いてある。まさに、命懸けである。もちろん、そうまでして「快眠」を求めることはない。ついては、せっかくの睡眠改善薬も薬箱に眠ったままになっている。

じゃあ、ほかには「快眠」のための方法はないものか。さっきの柳沢氏の話を読むと、「自分に合った入眠儀式を作る」というのがあった。僕の場合、これは「極楽じゃ」が相当する。次に「読書をする」というのもあった。僕はこのところ寝る前、池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』を読むことにしている。ひとつの話が50ページほどで終わるから、就寝前の読書にはちょうどいい。肩も凝らない。

温かくしたウイスキーやブランデーを少しだけ飲むのなら、寝酒もOKという説もある。でも、ほんの少しじゃ全く楽しくもない。僕は別に不眠で困っているわけではない。寝酒がいくらか睡眠を妨げていても、「極楽じゃ」と「鬼平」のおかげか、まあまあ眠れる。「準快眠」といったところか。いっそのこと、生きている間は「快眠」はあきらめ、この程度で満足している方が人生は楽しいかもしれない。

「せこさ」比べ

僕は生来、せこい性格なので、他人の「せこさ」が人一倍、気になる。自分のことはさておいて、他人のせこさが許せない。頭にくる。

なかでも日頃、憤慨しているのは、スーパーマーケットなどのいわゆる「ポイント」についてである。その店のカードを持っていると、普通200円買うごとに1ポイントつまり1円分がカードにたまる。たまったポイント数は買い物の都度、レシートに示される。それはそれでいいのだけど、僕がよく行くスーパー4軒のうち3軒では、これを500ポイントためると、やっと500円の「お買物券」が出てくる仕組みになっている。

言い換えれば、500ポイントためなければ、例えば300ポイント、400ポイントの段階では、このポイントを現金として使えない。極端な話、何らかの事情があって、その店に行けなくなったら、せっかくためたポイント、つまり300円、400円が消え、店のものになってしまう。こういうのは、実にせこいのではないか。1ポイントでも、それは僕のカネなのだから、たまった段階で使えるようすべきだろう。

いや、まだこれは許せる。レシートにポイントの有効期限は書いてないから、そのうちにまた同じ店に行くようになったら、300ポイント、400ポイントは多分まだ有効だろう。ところが、僕がたまに行く自宅近くの本屋は、やはり500ポイントで500円の買物券なのだが、レシートには「ポイント有効期限:6カ月」とある。せっかくためていたポイントも、わずか6カ月で次々に失効していくのだ。ポイントの有効期限を永遠にしろとは言わないが、この店で買物券を得るためには、半年の間に本を10万円以上買わないといけない勘定だ。普通の人には至難の業である。

ただ、スーパーなどの店側も最近、僕のようなせこい客からの苦情もあってか、買物券の不条理さに気づいてはいるようだ。僕の見るところでは、これをやめて、たまったポイントをそのままいつでも現金代わりに使えるようにするところが増えつつある。さっき、僕がよく行くスーパー「4軒のうち3軒」では買物券うんぬんと書いたが、残る1軒も以前は500ポイントで500円の買物券だったが、最近ではためたポイントを自由に使えるようになった。それが当然というものだろう。

ところで、以上に書いた500円の買物券は、500円以上の買い物をすれば、現金同様に使えるのだが、最近、某店で同じ500円券なのに、絶句するせこさに出くわした。

これははっきりと店の名前を書きたい。東京近辺を中心に営業している「ルミネ株式会社」なるものがある。JR東日本の子会社で、「ショッピングセンターの管理及び運営」などを手掛けている。ここのカードを持っていると、多少の年会費は要るけど、買い物の代金が5%引きになる。それに引かれて僕も会員になっている。我が町川越にも「ルミネ川越」があり、昨年末、ショッピングセンター内の書店で本を何冊か買った。

すると、抽選券をくれ、何枚かのうちの1枚が「500円」の当たり券だった。小躍りして同じセンター内のスーパーに行き、代金600円余りになる缶ビール2個と当たり券をレジに差し出した。現金100円ちょっとで、缶ビール2個が買えるわけだ。得したなあ。ところが「お客様、1000円以上買っていただかないと、この券は使えません」と言われ、券の裏側にある表示を指し示された。見ると、「税込み1000円以上で1枚ご利用いただけます」とある。つまり、500円の当たり券を使いたければ、あと500円以上買えというのだ。

虚を突かれた。慌ててビールを買い増して、代金の合計を1000円以上にし、500円の当たり券を使ったが、よく考えると、腹が立ってきた。むしろ、当たり券を破り捨ててやってもよかった。

――と、以上はたかだか500円ほどをめぐる話だけど、自民党安倍派を中心とする政治資金パーティーの話は規模と言い、悪質性と言い、まあ、せこい。パーティーで集めたカネの流れを法律に従ってきちんと報告せず、各議員が数百万円から数千万円を「裏金」として懐に入れてしまう。パーティー券は1枚2万円もするのに、ろくな食い物も出さず、利益率は90%というのもあるとか。せこさ比べで僕を「序ノ口」とすれば、安倍派の皆さんはまさに「横綱」ではなかろうか。