酒類「持ち込み自由」の古き良き伝統

久しぶりに中国に行くに際して、せこい話ながら、気になることがひとつあった。レストランで食事する際、酒類、具体的に言えば、中国ではもっとも一般的なアルコールである白酒(中国の焼酎)を瓶ごと持ち込んでも、依然OKだろうかということだった。

というのは、この地では、ビールを持ち込むような客はさすがに見かけなかったが、白酒はもともと持ち込み自由だった。文句を言われたことがなかった。ところが、いつごろからか「本店謝絶自帯酒水」と掲示する店が増えてきた。「当店はアルコールなど飲料の持ち込みをお断りします」というのである。店からすれば当然のことだろうが、僕なんかは「中国もせこくなったねえ」と、ぼやいていたものだ。

この「本店謝絶自帯酒水」が今や、中国のどこのレストランでも徹底しているのではないだろうか。それが心配だったのだ。
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今回の旅行では、海に面した広東省の珠海を初めて訪れ、なかなかに風情のあるレストランに入った。仲間は教え子の女性ふたり。ビールで乾杯した後、あらかじめスーパーで買ってきたポケット瓶の白酒「紅星二鍋頭酒」(写真上)を僕ひとりでちびちびとやっていた。店員にはできるだけ見られないように、気をつけた。100ミリリットル入りのこの瓶はスーパーで7元ほど(1元=16~17円)。もちろん、もっと大きな500ミリリットル瓶(写真下)などもある。
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ちなみに、この紅星二鍋頭酒というのは、北京の安い地酒で、アルコール度は52度、53度か56度。なんとなく僕の口に合い、以前から親しんできた。

僕らが食事していたのは、大きなテーブルの一角だったが、ふと気づくと、年配の夫婦らしき男女が対面に座っている。そして、グラスを2個、注文し、大きな竹の筒から白酒のようなものを堂々と注ぎ始めた。僕のように、こせこせとはしていない。その竹の筒にはどこか見覚えがあったので、尋ねてみた。「それ、なんでしたっけ?」「ああ、桂林の三花酒だよ。飲むかい?」。

三花酒ならよく知っている。桂林の地酒で、10年ほど前、ここで暮らしていた頃には、よく飲んだ。それも、クコをしばらく漬けておき、酒の味を少しマイルドにしてから、ぺットボトルに入れて、あちこちの店に持ち込んだものだ。そして、この夫婦の行いから、珠海のレストランでは白酒の持ち込みはまだ自由らしいということが分かった。でも、今回の旅行で本拠にしている桂林ではどうだろうか?

僕は以前、桂林の大学で1年間だけだったが、ボランティアで日本語の教師をしたことがある。当時、親しくしていた同僚の中国人の先生に、桂林に着いてから電話してみると、「ああ、懐かしい。10年ぶりじゃないですか。よかったら、今晩、食事しませんか」とのこと。場所まで指定してきた。食事代は僕が払うことを条件にOKした。

指定されたレストランに着くと、彼はすでに来ていて、テーブルの上には白酒の大きな瓶が置いてある。「あれ、これは持ち込みかな、それとも?」と、僕は気になったが、すぐに酒盛りが始まった。

勘定は、僕が強引に彼を制して支払ったが、あとで明細を眺めてみると、白酒の代金は入っていない。ということは、あれは彼が持ち込んだものなのだ。その後、桂林ではあちこちのレストランに入ったが、今回は「本店謝絶自帯酒水」という掲示は、ついぞ見かけなかった。

酒類の持ち込み自由は、まさに中国の「古き良き伝統」である。店には置いていない好みの酒を飲むこともできる。店側の「謝絶」に客側が抵抗して、この伝統を守り続けてくれているようだ。僕も及ばずながら、協力していきたいと思っている。

世界一の自動車市場を彩る小さな「車」たち

久しぶりの桂林で、以前はなかった横断歩道橋にお目にかかって少しびっくりしたという話を前回に書いたが、もうひとつ、興味を引きつけられたものがある。それは、例えば下の写真にあるような小さな電動の「乗用車」たちだ。日本ではまず見かけない型の車である。
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この3台はいずれも、宿近くの住宅団地の一角に止めてあった。うち2台が4輪車、1台が3輪車。なかなかに個性的な風貌である。日本の「軽」の乗用車よりもひと回りかふた回り小柄だが、中をのぞいてみると、3人や4人は乗れそうだ。モータリゼーション(車の大衆化)の進んだ中国だけど、普通の乗用車にはまだちょっと手が届かない人たちが買っているのだろうか。
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街中の幹線道路に面して、こうした車の販売店が軒を連ねていた。上と下の写真がそこで見かけた車たちである。
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店の人に話を聞いてみた。新品の値段は3輪車で8千~9千元(1元=16~17円)、4輪車で1万2千~3千元。日本円にすると、3輪車が14万円ほど、4輪車が20万円ちょっとだ。1回充電したら、70キロは走れますというのが店の宣伝だった。

中古車もあった。下の写真がそうで、エンブレムはトヨタの高級車レクサスの「L」とそっくりだ。売値は3800元。6万円ほどで、「老年代歩車」とある。「老人の足代わり」といったところだろうか。
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ところで、写真にある乗り物をここまで「乗用車」とか「車」とか呼んできたが、正確な言い方ではなかった。というのは、これらは運転免許が要らないのである。中国には電動バイク(スクーターのようなもの)が多いが、運転免許なしで乗れる。ここまで書いてきた乗り物も電動バイク、もっと言えば、自転車と同じ部類に入るので、運転免許は不要。したがって、ナンバープレートもない。「車もどき」とでも呼んだら、ぴったりなのかもしれない。

運転免許なしで事故は大丈夫? といった心配はあるけれど、それはそれとして、税金なんかは払う必要がない。車検も関係がない。何かと利点がある。ただ「車」ではないのだから、街中ではバスなどが通る「車道」は走れない。自転車と同じように、車道と歩道の間にある「側道」(と呼ぶのだろうか)を走らされている。いくらかの「差別」は我慢しなければならない。

ここまで書いてきた乗り物と同じように、小さくて可愛いのだが、運転免許が必要なのが下の写真の車である。桂林が属する広西チワン族自治区にある自動車メーカーの製品で、今これがこの地の若い女性の間で大人気だそうだ。
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とりわけ、幼子を横に乗せて走るのが「かっこいい」と、若いお母さんの憧れの的とか。3歳の女の子がいる桂林在住の教え子の女性も、これが欲しくてたまらない。夫も買ってやると言っている。ただ、運転免許がないので、これに乗るためだけに、教習所に通い始めたそうだ。「女性専用車」と呼んでもいいのかもしれない。

中国は世界一の自動車市場である。それも、日本だと、走っているのはほとんどが国産車だが、中国ではまさにあらゆる国の車が走っている。

中国独自のブランドに加えて、日本の乗用車だと、トヨタニッサン、ホンダ、スズキ、マツダダイハツ、ミツビシ、スバルと、全メーカーのものがそろっている。ドイツ、アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、スウェーデン、韓国・・・の車も頻繁に見かける。なかでも、日本が二の足を踏んでいるのを横目に、いち早く中国に進出したドイツは日本を凌駕し、道路はフォルクスワーゲンだらけである。

そんな中国の自動車市場に、小柄ながら個性的な「車もどき」や「女性専用車」が彩りを添えている。

横断歩道橋の「先進地域」

久しぶりに訪れた桂林を歩いていて、懐かしい街並みではあるけれど、何かが変わっているなあ、という感じがした。なんだろう? そのうちに「あ、そうだ」と、思い至った。以前は見かけなかった「横断歩道橋」(以後「歩道橋」)がそこかしこに出来ているのだ。

まさに山水画で見るような山々に囲まれた桂林は、国際的な観光都市ではあるけれど、広大な中国のなかでは一地方都市に過ぎない。しかし、人口は今や100万人をかなり超えている。その桂林在住の知人に聞くと、この1年余りの間に歩道橋が次々に造られたとのこと。車の通行量がそれだけ増えたからだろう。
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その歩道橋を眺めてみると、全てではないようだが、上の写真みたいにエスカレーター付きもちょくちょく見かけた。さっきの知人によると、昨年4月にはエスカレーター付きの歩道橋がなんと6つもいっせいにオープンしたそうだ。

世界最大のスーパーマーケットチェーンの「ウォルマート」は桂林にも進出していて、店の前の歩道橋には両側に1つずつエスカレーターが付いている。余談ながら、それをよく見てみると、店から出てきたところのエスカレーターは上りで、道路を渡った先のエスカレーターは下りになっている。店でたっぷり買い物をしてから歩道橋を利用する客の便宜を考えたのだろうか。

ところで、日本では今、歩道橋はだんだんと撤去される運命にあるようだ。造られてから40年も50年も経って老朽化が目立ってきたこと、エスカレーターやエレベーターが付いていないので上り下りが大変で、歩道橋を使わずに道路を渡る「乱横断」が増えてきたこと、少子化が進み「通学路」でなくなってきたこと、などが原因だそうだ。

それなのに、もともと歩道橋のなかった桂林なんかでは逆に新しく生まれてきた。その際には一挙に6つもの歩道橋にエレベーターを付けるというやり方も、住民に歓迎されているのだろう。

一方、東京の歩道橋のなかでエレベーターが付いているのがどれだけあるか、と尋ねられれば、僕は昭和通りの新橋寄りにある「昭和通り銀座歩道橋」くらいしか思い当たらない。新宿駅西口の歩道橋にもいくつかエレベーターが付いているが、これは歩道橋というよりも、2階にある「歩行者デッキ」に行くためのものだろう。縦横に張り巡らされた本来の歩道橋にはエスカレーターは見当たらない。
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今回、中国にいた間には海に面した珠海という都市にも行ったが、ここでは上と下の写真にあるように、歩道橋に上って行く勾配が実に緩やかな階段を目にした。上の写真の階段を数えたら70段あり、普通の歩道橋の2倍ほどだった。階段を上っているという感じはほとんどしなかった。昨秋、桂林にある理工大学の前に出来た歩道橋も、僕は見ていないけれど、こんなふうだそうだ。
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普通、歩道橋というと、車優先、歩行者軽視といった感じがして、僕はあまり好きではない。でも、桂林や珠海の歩道橋のように、エスカレーターが付いていたり(エレベーター付きもどこかで見かけた)、あるいは勾配がきわめて緩やかだったりしたら、歩道橋の「先進地域」と褒めてもいいのではないだろうか。

市民それぞれの交通ルール

桂林では都心部から少し外れた所に宿をとり、翌朝早く窓から道路を見下ろしてみた。すると、写真のように、乗用車がずらりと並んでいる。あれ、このあたりは一帯が駐車場なのかな?と思ったが、そうではなかった。
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写真の手前には車がほぼ3列に並んでいる。うち、向こう側の1列は車の横に白い線が見える。つまり、この部分だけが駐車場である。どこかにカネを払っているはずだ。一方、手前の2列の車は歩道の上に並んでいる。駐車場ではない。カネを払うのを嫌って、歩道を駐車場代わりに使っているのだ。しばらくすると、持ち主が次々に現れて車に乗り込み、どこかへ消えて行った。
 
まあ、このあたりは歩道がやたらに広いから、これだけ車が止まっていても、歩くのにそうは不自由しない。だから、歩道上の駐車は夜間における歩道の有効利用と言えなくもない。
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しかし、上の写真のような、歩道を全部塞ぐような止め方はいかがなものだろうか。こんな駐車をされると、僕らは歩道を歩けなくなる。おまけに、駐車している車の向こう側はバス停である。バス停に行こうとすれば、いったん車道に降りるしかない。
 
もちろん、以上のような駐車は中国においても違法である。僕が1か月ほど桂林にいる間に1度だけだが、3人の交通警官が朝早くやってきて、違法駐車を写真に撮り、呼び出しか罰金かを知らせる紙切れを車に挟んでいるのを見かけた。だけど、その夜からまた元の木阿弥で、違法駐車は一向になくならない。人々も「お互い様」と思っているのか、文句を言う人はいない感じである。
 
話は少し飛んで、日本にフェリーで戻る前は、ほぼ4年ぶりに上海の港近くに2泊した。ホテルの周りを散歩していて、懐かしくさえ思ったのだが、ここではスクーターやバイクは赤信号でも「安全」と判断すれば、まず止まらない。歩行者が青信号で横断歩道を渡っていても、歩行者の間をすり抜けるようにして進んでいく。もちろん、スクーターやバイクに対する信号は赤であるが、歩行者が驚いたり、苦情を言ったりしているようには見えなかった。慣れているのだろう。
 
こうして眺めてくると、中国の人たちは一般に交通ルールに対して「無頓着」なようである。だけど、「無関心」とまで決めつけるわけにもいかない。話はまた桂林に戻って、下の写真は僕の宿の近くの交差点である。正面は百貨店で、都心部ほどではないが、このあたりの車の交通量は少なくはない。2階建ての公共バスも頻繁に走っている。
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それなのに、交通信号が全くない。写真左下の女性は男の子の手を引いて、交差点のど真ん中を渡って行こうとしている。横断歩道もあるのに、彼女の目には入っていないみたいだ。
 
こんな信号なしの交差点が僕の宿の近くではほとんどだったが、おかげで交通が混乱するなんてことはないようだった。車は互いに譲り合い、人々は車の間をすり抜け、なんとか機能していた。中国では桂林でも上海でも、あるいはその他の都会でも、市民はお上が決めた規則にただ従うのではなく、それぞれの「交通ルール」を持って車社会を生きている。少し褒めすぎかもしれないけど、そんな感じがした。

「スマホ決済」全盛の中国を旅して

今回、3年ぶりに大陸の中国に行くにあたって、ちょっと不安があった。それは、この国ではホテルでもレストランでもスーパーでも、今や支払いと受け取りが瞬時で済んでしまう「スマホ決済」が普通で、人民元の「お札」はほとんど相手にしてもらえないという情報だった。とりわけ若者は現金なんか、まったく持ち歩かないとのこと。中国人でさえ、数年日本にいて帰国すると、その変わりように戸惑うそうだ。

おまけに僕はまだスマホなるものを手にしたことがない。使っているのは、いわゆる「ガラケー」だ。2年前に台湾で買ったおもちゃのような携帯電話は、大陸でも使えるだろうけど、スマホ決済には役立たない。

が、案ずるよりは・・・だった。スーパーのレジを眺めていると、たいていの客はスマホ決済だが、現金を出している人もいる。レジの女性は見たところ、嫌がりもせず、お札で釣り銭を渡している。なんとか一人でも買い物ができそうだ。ほっとした。

ただ、現金の通用には「事情」があるとのこと。教え子の一人によると、中国ではスマホ決済が急速に進み、現金を断る店が出てきた。そんなある日、某所のスーパーでおじいさんが8元(1元=16~17円)の品物を買い、レジで10元札を出した。ところが、レジの女性はその現金を受け取らず、スマホで決済するように迫った。だが、スマホを持っていないおじいさんは「じゃあ、払わないで帰るぞ」と怒り出し、喧嘩になった。これがニュースになってネットで流れ、どこかお上のほうから「現金を断ることは、一切まかりならぬ」というお達しが出たそうだ。

なるほど、そのせいか、僕も現金を断られたのは、たったの1回だけだった。海南省海南島)の省都海口市の海南大学の学生食堂で、缶ビールを買おうとしてお札を出したら、スマホ決済でなければダメとのこと。一緒に旅行していた教え子に助けてもらった。この食堂ではどの店もスマホ決済だった。一つの大学の中だから、許されることなのだろう。
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今や屋台でさえ、スマホ決済になっているとも、日本で聞かされてきたが、それは本当だった。写真は桂林での宿舎の近くにあった八百屋さんで、板の上に野菜などを並べただけの店だが、店頭にはちゃんと二つのQRコードが展示してあった。方式にはWeChat payとAlipayの二つがあるからだ。現金もOKだが、八百屋のおじさんは客からスマホ決済を求められれば、商売上、断るわけにはいかない。イヤでも、スマホを持たざるを得ないのだろう。

屋台どころか乞食も・・・という話も本当だった。桂林の歩道橋の上で見た男性の乞食も二つのQRコードを、さっきの八百屋なんかより、ずっと目立つように置いていた。そして、現金を受け入れる鍋もちゃんとその横に置いてあった。写真に撮りたかったが、彼は両足とも膝から先がなかった。さすがに、写真は遠慮した。

笑い話がある。一人の青年が乞食の前に立って言った。「いくらか恵んであげたいのだが、あいにく銀行の口座にはまったく現金が入っていないので、スマホ決済ができない。ポケットには現金があるが、100元札が1枚だけだ。こんな大金を恵むわけにはいかない」

すると、乞食は答えた。「その100元札を私に渡してください。うち、10元だけを私が頂いて、残り90元はスマホ決済ですぐにお返ししますから」。笑い話ではなく、実際に起こりそうなことである。

スマホ決済の普及は社会にいろんな影響を与えているようだ。一つは結婚式のご祝儀――かつては結婚式に出たうえで、現金を封筒に入れて渡していたが、最近はスマホ決済で祝儀を渡せるようになった。つまり、以前なら、結婚式に出られないことを理由に祝儀を免れられたが、最近はそうはいかなくなった。それを狙って、新郎新婦側は当日まで、メールで結婚式の案内状を送り続けるといった話も聞いた。

僕はかねて、中国に来て円を元に換える際には、闇の両替屋を銀行の店頭に呼んで、現金でやり取りしていた。3年前までそうだった。証拠は残らない。厳しく言えば、よくないことなのだろうが、銀行自体が「闇のほうがレートがお得ですよ」と勧めてくれたからだ。その闇の両替も今やスマホ決済でやっているとのこと。証拠はきちんと残る。果たしてそれでいいのだろうか。変な気持ちにもなってくる。

いずれにしろ、僕も次に中国に行く時には、乞食の皆さんに差し上げるおカネくらいは、スマホでやれるようになっていたいなあ、と思っている。

華僑の原点!?

久しぶりの桂林両江国際空港。香港からの飛行機で着き、空港の建物を出ると、おばさんが「ライター、1元(16〜17円)」と言いながら寄ってきた。手にはいくつかの使い捨てライターを持っている。えっ、なんでこんなところでライターを売ってるの? なんか場違いな感じがした。「新品」とのことだが、当然、手を振って断った。

でも、その「場違いさ」が気にもなり、しばらく歩いてから振り返って、ライター売りのおばさんの動きを目で追ってみた。おばさんはほかの男たちにも声を掛けている。すると、ライターを買う男が1人、2人、3人・・・そして、すぐにたばこに火をつけている。

何かと鈍い僕にも事情が分かってきた。飛行機に乗るときには、預ける荷物にも手荷物にも、もちろんポケットの中にも、「危険物」であるライターを入れることは出来ない。機内は禁煙で、たばこを吸う人にとってはつらい時間である。

飛行機から降り、さあ一服と思っても、手元にたばこはあるけれど、ライターがない。禁断症状でイライラし始めたところへ「ライター、1元」のおばさんが寄ってきたら、「地獄で仏」みたいな感じがするかもしれない。僕も20年ほど前まではたばこを吸っていた。その気持ちは完全に禁煙した今でもよく分かる。

そこに目を付けたおばさんは偉い。俄然、取材意欲がわいてきた。さっきのおばさんをさらに目で追った。すると、同業のおばさんはほかにも2人はいるようだ。僕の想像が膨らんできた。飛行機に乗る際には安全検査を受けるが、その入り口にはライターなど危険物を自主的に捨てるための箱が置いてある。空港当局はあそこに捨てられたライターをあとでどう処分するのだろうか? 捨ててしまうのだろうか。いや、まだしばらく使えそうなものは、ライター売りのおばさんたちに安く払い下げているのではないか。双方にとって利益がある。

僕の足は自然に安全検査の入り口に向かった。途中、たばこやライターを売っている店があった。使い捨てライターは1個5元だった。

安全検査の入り口に着いた。ここには、ライターなどを捨てる箱のほかに、やはり機内には持ち込めない、水などの入ったペットボトルを捨てる箱も置いてある。さっきとは違うおばさんが中をあさっていた。なるほど、ペットボトルもカネになるし、同じあさるのなら、ここは一等地だろう。空港内のほかのごみ箱も搭乗客の捨てるペットボトルが多いはずだ。おばさんはやがてそちらのほうに移動していった。

桂林の都心から少し離れたところに居を定めて翌朝、近くを散歩していると、下の写真のように、歩道の端に板を置き、そこに野菜や果物などを並べた八百屋を見かけた。

道端といっても、八百屋のおじさんは広い歩道の4分の3ほどをふさいで商品を並べている。歩道を歩いてきた人を商品の前で立ち止まらせるには効果的だろうが、随分と自分勝手である。歩行者は八百屋をよけて道の端っこを通らなければならない。だが、ここでは誰も文句をつけていないようだ。おじさんの人柄のせいもあるのだろうか、立ち止まって野菜や果物を物色している。

ライター売り、ペットボトルあさりのおばさんにしろ、このおじさんにしろ、今のところはしがない商人に過ぎない。だけど、目のつけどころが違う。独創的でもある。世界各地で商人として活躍する華僑や華人の原点を見たような気がした。

謹賀新年 久しぶりに「老人優遇!?」の中国で正月

このブログ「なんのこっちゃ」のタイトルには「桂林&南寧&・・・発」とある。10年以上前、桂林にいた時にこれを始めたので、「桂林」が最初に出てくるのだが、近年はその桂林の話がほとんど出てこない。タイトルと中身がずれている。申し訳ない。そこで久しぶりに、懐かしい桂林にしばらく滞在してみることにした。

桂林時代の教え子で、日本に留学中の中国人女性に頼んで、出来るだけ安い飛行機の切符を取ってもらった。結果、早朝6時40分、東京・羽田空港発、香港で乗り継ぎ、夕方桂林に着く便を頼んでくれた。ともに香港の「キャセイ・ドラゴン航空」である。

ただ、外国の空港での乗り継ぎというのは、どうも苦手である。2年前、上海経由で台湾に行った時には、乗り継ぎの便に乗り遅れるは、焦って上海空港のどこかにパソコンを置き忘れるは、おまけにスーツケースが行方不明になるは、まさに「三重苦」で大汗をかいた。

そんなことが思い出されたので、羽田空港でチェックインする時、カウンタ―の女性についくどくどと乗り継ぎについて尋ねてしまった。すると、傍らにいた別の女性が「もし、ご心配なら、香港で次の搭乗口までご案内させますが・・・」と言ってくれた。もちろん、お願いした。2人が香港人か日本人かは分からない。

搭乗した飛行機はほぼ満員。日本人の女性乗務員が2人いることが放送で分かった。離陸して1時間ほど経った頃、通路を歩いてきた日本人乗務員の1人が僕に向かって「何かお飲み物はいかがですか」と言う。ほかの乗客は無視して、僕だけに声を掛けてきたみたいだった。

まだ、朝も早いので、僕は恐る恐る「ビールでもいいですか」と、小さな声で答えたら、まもなくピーナッツのおつまみまでつけて、缶ビールが届いた。飲み終わってしばらくしたら、また彼女が通りかかった。空の缶を返すと、「もうひとつ、いかがですか」。ありがたく頂戴した。エコノミーの客なのに、VIP待遇を受けているみたいだ。

さらに、彼女が言うには、「飛行機が香港空港に着いた後は、席を離れずに待っていてください。ほかのお客様がみんな降りられてから、次の搭乗口までご案内します」とのこと。もちろん、客室乗務員の彼女はそこまでは付き添えないので、地上の職員が次々にバトンタッチして連れて行ってくれた。

乗り継ぎの飛行機が離陸してしばらくすると、女性の客室乗務員が「ミスター・イワキですか」と言いながら寄ってきた。多分、香港人だろう。流暢な英語がちゃんと聞き取れず、トンチンカンな受け答えをしていると、乗客の中から日本語のできる男性を連れてきた。想像するところ、非番の同僚のようだった。伝えられた話は簡単で、「飛行機が桂林に着いた後、ここでそのまま待っていてください。ご案内します」とのことだった。連絡が届いていたのだろう。

桂林空港でも代わる代わる職員が現れて案内された。ただ、出口まで案内してくれた男性の英語もよく聞き取れない。すると、スマホの画面に「受け取る荷物はありますか」「誰かが出迎えに来ていますか」などと、英文で書いて示してくれる。さすがの僕もこの程度の英語は分かるので、意思疎通に不自由しなかった。

かくして無事、懐かしい桂林の町に着いたのだが、出迎えてくれた教え子にこの話をすると、「最近の航空会社は先生のようなお年寄りの一人旅は歓迎しないんです。何かあったら、困りますからね」とのこと。航空会社の皆さんの心優しい対応に感激していたのだけど、あれはどうも不慮の事故などに備えてのことだったようでもある。感謝の気持ちに少し水を差された感じになってしまった。