総選挙――我らが泥縄の戦い

今回の衆議院議員選挙では10月10日公示の「6日前」に出馬を決めた男がいる。これまで「地盤」「看板」「鞄」のいわゆる「三バン」とは無縁だった。もちろん、選挙事務所をどこに置くのかさえ、あてもなかった。無謀と言えば無謀だが、文字通り健闘し、そして僅差で敗れた。

男の名は「山田厚史」と言い、住まいのある千葉5区(市川市の一部と浦安市)で立憲民主党から立った。69歳。僕より年少だが、新聞社の経済部にいたころの同僚である。

彼によると、民進党希望の党に飲み込まれた結果、統一候補のいなくなった「市民連合」が立候補の話を持ちかけてきた。彼は僕なんかとは違って、新聞社を定年退職した後もフリージャーナリストとして活躍している。筆鋒(ひっぽう)舌鋒(ぜっぽう)ともになかなかに鋭く、そんなところを見込まれたのだろう。チラシでは「闘うジャーナリスト」をキャッチフレーズにしていた。ただ、いかんせん、選挙区での知名度はあまり期待できない。

彼も当初は「私はジャーナリストで、政治に手を染めるつもりはない」と断っていたらしい。ところが、枝野幸男氏が立憲民主党を立ち上げたのを見て、気が変わった。「これを見殺しにはできない。会社にいる人、家族を養っている人は政治にかかわれない。年金生活で失うものがないオレが引き受けるしかないか」。彼は「『義によって助太刀いたす』です」と言うが、元新聞記者でなければ、多分こんな無鉄砲なことはしないだろう。

対立候補は今回が4期目の自由民主党の現職で、安倍首相の補佐官。当初の予想では圧倒的に山田厚史君をリードしている。ただ、共産党が自分たちの候補を降ろしてくれた。これは彼にとって有利な点であるが、希望の党からも元浦安市議会議員が出て、野党の足の引っ張り合いにもなっている。

公示の翌日、やはり新聞社の経済部で同僚だった別の男からメールが届いた。思想、信条、政治理念など、人それぞれではあろうけど、一口千円でカンパしてやってくれないかというお願いだった。まさに泥縄であるが、僕も今回は立憲民主党に投票しようと思っている。及ばずながら、助太刀という気持ちになった。

公示から5日後、地下鉄東西線浦安駅の近くにある彼の選挙事務所に行ってみた。洋服店なども入っているマンションの3階にあり、広さは100平方メートルほどだろうか。30人ほどが何やら忙しげに作業をしている。

僕が入り口に立つと、何人かが僕に向かって手を振る。目を凝らすと、新聞社時代の同僚たちだ。僕よりは年少だが、いずれもすでに定年退職している。聞けば、そのうちの3人が一緒に事務所を取り仕切っている。大丈夫かなあ? 元記者以外の人たちは市民連合から来たりしたボランティアのようだった。

その彼らがやっていたのは、宅配の新聞に折り込んだり、街頭で配ったりするチラシに1枚1枚、選挙管理委員会の証紙を貼る作業だった。全部で7万枚あるそうだ。すでに、選挙戦も中盤だ。今ごろ、こんなことをやっていて大丈夫なの? そう思ったが、選挙事務所がやっと出来たのが公示の2日後だった。それまでは、青空の下で証紙貼りをしていたそうだ。僕も手伝いだしたが、証紙貼りが終わると次は、街頭で配るチラシを二つ折りにしたり三つ折りにしたり。慣れない作業に指先が痛くなってきた。

これじゃ、選挙の結果が思いやられる。と言っても、僕に何かができるわけではないけれど、心配でならない。その後は時間があれば、埼玉の自宅から東京を経て千葉の選挙事務所まで行くようになった。その僕にできるのは街頭演説にサクラで顔を出すくらいだが、候補者と「頑張ってください」と握手してみたり、サクラとしてはいくらか働いた。

あと、街頭演説の場所でのチラシ配りも僕に出来ることだ。ただ、これは勝手がよく分からない。通りかかる人たちに「山田厚史です。よろしくお願いします」と、チラシを渡そうとしても、無視されることがほとんどだ。

たとえ受け取らなくても、手なりなんなりで「拒否」の意思を示してくれればいいのだが、たいていの人は当方を完全無視して去って行く。目線を合わせようともしない。こちらが勝手にチラシを配っているのだから、文句を言うのは筋違いなのだが、それにしてもアタマに来る。結局は「無関心」ということなのだろう。

かくして、10月22日の投票日が来た。新聞社やテレビ局によると、山田厚史君は自民党の候補にかなり迫っているらしい。彼は比例代表にも重複立候補しているので、たとえ、小選挙区で負けても、比例での復活当選が期待できる。立憲民主党を支持する人たちが日に日に増えているそうだから、なおさらだ。

当日夜は選挙事務所に詰めた。午後10時ごろだったか、小選挙区での敗退が決まった。あとは比例での復活を待つばかりだ。聞けば、彼の属する「南関東ブロック」では、立憲民主党の当選枠が現段階では5つある。そして、「惜敗率」で上位の立憲民主党の候補者から1位、2位、3位と当選者が決まっていく。

惜敗率とは小選挙区で敗れた候補者が当選者の何パーセントの票数を獲得したかという数字である。たとえば、当選者の得票が10万票、敗れた候補者が6万票だとすると、惜敗率は60パーセントである。そして、ある選挙区の候補者が得た惜敗率60パーセントは、同じブロックの別の選挙区の候補者が得た59パーセントの惜敗率より優位にある。立憲民主党南関東ブロックの候補者のうちで、この数字が5位以内に入らなければ、彼は当選できない。これからは他の選挙区から出た同じ党の候補者との競り合いになる。

日が変わり、午前2時前。山田厚史君はみんなの前に立って静かに言った。「惜敗率で私は6位です。当選の見込みはなくなりました」。彼の惜敗率は58.61パーセント。5位との差は2パーセント余りだった。まさしく「惜敗」である。彼は事務所にいる一人ひとりに握手を求め始めた。

ちょうど台風21号が本土を襲っていたころだった。しかも、ここ千葉から埼玉の僕の自宅まではもう電車がなくて戻れない。選挙事務所を出て、ひとり近くの飲み屋で始発まで時間をつぶした。電車を乗り継ぎ、自宅に着いたころには、すでに台風一過、久し振りの青空が広がっていた。もし、彼があの僅差を制してくれていたら、この青空から受ける感じも随分と違っていただろうなあ。ふと感傷的な気持ちになった。