続々・非日常の9日間――「幻覚」「幻影」に悩まされる

慶応義塾大学病院で右肺の腫瘍除去手術を終えてから、確か2日目の朝のことだった。ベッドから床に降り立ったが、周りの様子がどこかおかしい。といっても、ベッドやテーブル、テレビ、物入れなどの配置が変わっているわけではない。テーブルの上のこまごまとした僕の私物も昨夜のままだ。

違うのは全体の雰囲気で、どこか「硬い」感じがする。テーブルやテレビがいやにくっきりと見える。寝る前はもっと「軟らかい」感じだった。全体がぼやけていたといってもいい。

僕がいるのは4人部屋で、4つのベッドがそれぞれカーテンで仕切られている。僕のカーテンの外はどうなっているのだろうか? 昨夜と同じだろうか? 外に出て、1つのカーテンを引っ張ってみた。「間違っていますよ」と、ベッドの上から親しげな声がした。「あっ、すみません」。顔見知りになったご老体だった。あわてて、自分のベッドに戻った。

僕のいる病棟は長い廊下を挟んで両側に4人部屋と1人部屋が並んでいる。廊下のほうはどうなっているのだろうか? 出てみたら、反対側の病室は消えている。机が並んでいて、その上には、雑誌や書籍が山積みにされている。どこか「1980年代」の「出版社」の雰囲気である。

自分のベッドに戻って考え込んだ。僕がいまいる病室は「2019年」に存在している。ところが、廊下の向こう側には1980年代の出版社がある。1つのビルの中に1980年代と2019年という2つの「時」が共存している。この「不条理」をいったいどう解決したらいいのだろうか?

その後、どうなったのかは分からない。記憶がない。ただ、この幻覚・幻影がすべてベッドの上で「夢」を見ている間のこととは思えない。隣のベッドのカーテンを引いた時は、確かに起きていた。夢の中でのことではなかった。また、僕は長らく新聞社に勤めていたが、1980年代の一時期には雑誌の編集に携わっていた。それが今回の不条理とかかわっているみたいだけど、どうしてあの頃ことが突然、出てきたのだろうか。

手術後2日目から3日目にかけては、この種の幻覚・幻影がいくつも出てきた。例えば、白っぽい壁やカーテンを見ると、新聞の記事が10行、20行と浮かんでいる。あるいは、画数が何十もありそうな難しい漢字がいくつも書いてある。目を凝らすが、新聞記事も漢字もはっきりとは見えない。したがって、意味はまったく分からない。また、ベッドに寝転んで天井を見上げると、そこには迷路のような地図が描かれている。

そんなものを見るのが嫌になって、目をつぶると、今度は何かの映画の場面が次々に眼前に展開する。目をつぶっても、眼前が薄暗くなってくれないのだ。

心配になって、手術をしてくれた医師や看護師に訴えると、「手術の時の麻酔の影響でそんなこともありますよ」と、そう問題にもしていないみたいだ。手術の前に、麻酔科の医師から麻酔についていろいろと説明を受けたが、そんな話はまったくなかった。

僕があまりにも心配そうにしていたからか、手術後3日目の深夜、看護師がベッドにやってきて「幻覚・幻影を消す薬と睡眠薬です」と言って、錠剤を2個、置いていった。4日目あたりになって、幻覚・幻影がやっと薄らいできた。新聞記事や漢字が目の前の壁やカーテンに出てきても、目をこすると消えていってくれる。

退院してからネットで調べてみると、「国立国際医療研究センター病院」による「麻酔の副作用・合併症」という記事が出てきた。そして、同じ副作用・合併症でも「比較的に頻度の高いもの」と「まれな合併症」があり、前者には吐き気・嘔吐やのどの渇きなどがある。僕も経験した。

後者には最初に「術後痴呆・譫妄(せんもう)」というのが出てくる。その説明では「高齢者の方には、手術の後でいわゆるボケが見られたり、異常な興奮や言動が見られたりすることがあります。これらの多くは、入院や手術という環境の変化によるストレスが原因で、一時的なものがほとんどです」とある。

なるほど、僕は手術後の2日目、3日目、まさに「ぼけていた」ようなのだ。隣のベッドのカーテンをいきなり引いたのも、異常な行動だった。恥ずかしい。

しかし、ぼけていた際に浮かんできた幻覚・幻影そのものは「1980年代の出版社」だの「新聞記事」や「画数の多い漢字」だの、随分とレベルの高いものだった。そんじょそこらの「術後痴呆」とは程度が違うんだ。そう自分を慰めたことではあった。