毛筆を練習し始めました

毛筆を練習し始めた。毎日が暇なこともあるが、ほかにも理由はいくつかある。

ひとつの理由は、ずっと以前のこのコラムでも書いたことがある。もう四半世紀ほども前、中国を旅している時に、あるところで揮毫(きごう)を求められた。しかも、紙の上ではなくて白い綿布だった。もともと、毛筆がまともには使えないのに、布の上に書くなんて、想像したこともなかった。結局、大恥をかいてしまった。「よし、日本に戻ったら、毛筆がうまくなってやろう」と思ったけど、その後なんの努力もしないで今に至ってしまった。

もうひとつの理由は、最近のテレビの画面に現れるいわゆる識者たちの毛筆の字である。たとえば、ある番組では最後にコメンテーターたちがその主張や提案を短い表現で紙に書く場面がある。大部分の人はそれに毛筆を使うようだが、失礼ながら、これらの字が上手とはお世辞にも言えない。

たまには、おや、うまいじゃないの、と思って肩書を見ると、中国駐在の元日本大使だったりする。僕と同じように中国でさぞかしご苦労なさったのだろうか。うまいかどうかは分からないが、風格のある字だなあと思っていると、日本の大学で教授をしている中国人だったりもする。よし、これを機会にかねての決意を……と脈略もなしに思ったわけである。
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さらなる理由は、ゴルフの全英女子オープンで先般、見事に優勝した弱冠20歳の渋野日向子さんである。日本記者クラブに招かれての会見の際、揮毫を求められたのだが、上の写真(8月7日付『スポーツ報知』新聞から)のような堂々たる字を毛筆でしたためた。小学生のわが孫たちも毛筆は僕より上手だ。負けちゃおれない。
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それやこれやで、遅ればせながら本格的(?)に毛筆を練習し始めることにしたのだけど、まず道具類が必要である。もっとも、わが家には何もあるはずがない。そう思いながら、飾り棚を眺めていたら、上の写真のような硯が見つかった。亀の形をしており、蓋もついていて、なかなかに立派そうに見える。多分、かなり前に中国から持ち帰ったもののようである。

必要なほかのものは買ってこなければならない。さっそく「100円ショップ」に向かった。しかるべき文房具店ではなくて、100円ショップというところが、いささか恥ずかしいけれど、ちょっと驚いたことには、そこには毛筆の練習に必要なものがほぼそろっていた。

毛筆、半紙(100枚入り)、硯、墨に始まって墨汁、筆巻き、下敷き、水書き用紙(2枚入り)から筆入れと水入れのセット、文鎮まである。もちろん、すべて税別100円で、毛筆は2本100円のもあった。硯はプラスチック製ながら使えないわけではないだろう。必要そうなものを一式そろえても、1000円でお釣りが来た。
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さて、次には「先生」は誰にするかをしばらく考えて、今までにその字を何度か拝見したことのある「武田双雲」という書道家にすることにした。といっても、彼のもとに直接弟子入りしたわけではない。図書館で『知識ゼロからの 書道入門』(幻冬舎)という彼の著作を借りてきて、ぱらぱらとめくったり、字をまねたりしている。上の写真はその本の中の一場面である。
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かくして、かなりいい加減に始まった僕の「修業」だけど、30年ほど前に亡くなった父親のことをふと思い出した。若い頃の父はそうではなかったが、晩年は毛筆を持ってよく机の前に座っていた。水墨画も描いていた。上の写真はわが家の表札なのだが、書いたのは亡父で、もうかれこれ40年近く、わが家の玄関に鎮座している。

僕もせめて自宅の表札くらいは恥ずかしくない字で書けるようになりたい。そう夢想して練習に励んでいる。