『源氏物語』をついに読破したぞ!!

この10年ほど、紫式部の『源氏物語』をもちろん現代語訳でいいから読んでおかなくちゃ、という思いが頭の片隅にこびりついていた。

それは中国・桂林の大学でボランティアの日本語教師をしていた時のやや後ろめたい思い出があるからだが、その話は少しあとで書くとして、ひと口に源氏物語の「現代語訳」と言っても、訳者は実に多彩である。

谷﨑潤一郎、与謝野晶子に始まって円地文子田辺聖子橋本治瀬戸内寂聴林望角田光代……訳者はまだまだいらっしゃる。そして、どれもこれも5巻とか10巻とか、分厚い本であるだけに、どれを読んだらいいのか、素人には見当がつかない。

で、さっきの「後ろめたい思い出」に戻ると、10年ほど前、その桂林の大学から「日本古代文学史」の授業をやるように頼まれた。

エッ、日本古代文学史!? 夏目漱石芥川龍之介、あるいは谷崎潤一郎川端康成あたりの明治時代以降の作家なら一応、人並みには作品を読んだことがある。だけど、江戸時代以前となると、ほとんど知識がない。源氏物語は、その冒頭のところだけ、高校の授業で習った記憶があるが、原文はもちろんのこと、現代語訳も通して読んだことがない。

でも、僕のメンツもある。日本古代文学史の授業を断るわけにはいかない。幸い、この授業は来学期からで、それまでに1カ月ほどの休暇がある。日本に戻って、いろいろ調べることができる。

と言っても、源氏物語なんかを最初から読んでいる暇はない。学生たちには申し訳ないことだが、手っ取り早く、いろんな参考書を漁って歩いた。あまり真面目一点張りの授業をして、居眠りされても困るので、面白そうな話を探した。

すると、碩学加藤周一氏(1919~2008)の著作の中に「日本文学史における3大プレーボーイ」といった話が見つかった。源氏物語光源氏、『伊勢物語』の主人公とされる在原業平井原西鶴好色一代男』の世之介の3人で、それぞれが生涯に関係を持った女性の人数が記してある。光源氏については、彼女たちのその後の運命――何人が出家したなどといったことまで書いてある。そうだ、これは授業に使える。

いま改めて加藤氏の著作をめくってみると、光源氏が深く関わり合った10人の女性のうち、半分の5人が出家している。残りのうち、2人は病死し、1人は出家を望んだが許されず、最後の2人はその死が書かれていないので、出家したか否かは分からないとのことだ。

授業でこれを披露すると、なかなかに好評だったみたいで、ある女子学生は「先生、面白かったです。こういう知識は大学院の入学試験に役立ちますか?」と聞いてきた。「いや、まったく役に立たないね」と答えると、がっかりしていたようだが、僕には、こんないい加減なことでお茶を濁しまったという反省の念が湧いてきた。

これがきっかけで、中国の大学院の日本語科の入学試験を調べてみた。すると、源氏物語の原文がかなり長く引用されている問題があった。そして、数カ所に傍線が引かれ「現代の日本語に訳しなさい」とある。僕にはとてもできない。反省の念が強くなった。僕がハルビンの大学で教えた女子学生の中には、日本に留学して源氏物語をテーマに博士号を取ったのがいる。ただ尊敬するばかりだ。

それでもこの10年ばかり、僕は具体的な行動を起こさなかったのだが、田辺聖子さんが去る6月に亡くなったことが、源氏物語の現代語訳に挑戦する契機になった。

さっきも書いたように、彼女には源氏物語の現代語訳がある。そして、彼女が亡くなって1カ月ほど後だったが、『朝日新聞』の「歌壇」を眺めていると、「谷崎も円地訳にも挫折して おせいさんでようよう源氏が読めた」という読者の短歌が載っていた。

あっ、そうだ。おせいさんでいこう。読みやすそうだ。さっそく図書館から新潮文庫で全5巻のおせいさんの源氏物語を借りてきて、ようよう読み終えたところである。

でも、源氏物語について一家言が出来たわけではない。ただ、分かったことはひとつ、ふたつ……当時のデートは男が女の家に出向くというのは知っていたが、朝方、男が自宅に戻ったら、すぐに歌を詠んで女のもとに届けなくてはならないというのは初耳だった。夕方になってはまずいのだそうだ。

また、もちろん電気も写真もない時代のこと、光源氏が女の家に通い、初めて契り合っても、相手の顔も定かではなかったりする。後日、女の顔が馬のように長いことが分かっても、心優しい光源氏は決して彼女を粗略には扱わなかったそうだ。

まあ、こんな新知識?を得た程度だけど、英国人がシェークスピアを読んでいないのと同じように、日本人が源氏物語を読んでいないのは恥ずかしいことだという話をどこかで聞いた。今後は僕も少しは胸を張れるというものである。