昭和のころの「記者と賭けマージャン」

東京高等検察庁の黒川弘務検事長新型コロナウイルスの非常事態宣言が出ている最中に2回、産経新聞記者のマンションで産経記者2人、朝日新聞社員1人と賭けマージャンをしていた。このことが『週刊文春』で報じられ、黒川氏は検事長の職を辞任した。

産経の記者はともに検察庁担当で、朝日の社員も今は記者職ではないものの、以前は検察庁担当の記者だった。新聞社の3人は黒川氏という検察庁ナンバー2の情報源をしっかりとつかんでおきたかった。それが同氏とマージャンに興じた大きな理由だった。そういう事情が容易に想像できる。法務省の調べだと、賭けマージャンのレートは1千点を100円に換算する「点ピン」と呼ばれるもので、現金のやりとりは1万~2万円程度だったそうだ。

そんな話に接して、僕の現役の記者時代を思い出した。最近の若い記者はあまりマージャンをやらないようだが、当時、昭和のころの記者仲間ではマージャンが実に盛んだった。もちろん、賭けマージャンである。

もう50年以上も前のことだ。僕は朝日新聞社に入って九州に5年ほどいた後、東京本社の政治部に転勤し、首相官邸記者クラブ詰めになった。当時の首相は佐藤栄作氏。僕の主な役目は「佐藤番」で、首相のところに誰が来たかを見張るのが仕事だった。政治部の新米記者はまずこれをやらされた。

その官邸記者クラブの隅にはマージャン卓が置いてあり、新聞社、テレビ局、通信社といった各社の記者が「呉越同舟」でよくマージャンに興じていた。ここでやるマージャンは一般的なものとはちょっと違って「茶殻マージャン」と呼ばれていた。マージャンをやらない方には分かりにくくて申し訳ないけど、誰かが上がれば、そこで現金をやり取りして清算する。例えば、僕が誰かに振り込めば、その場で彼に千円を渡す。もし、僕が自摸って上がれば、3人から千円ずつをもらう。マージャン卓の上では、それこそ千円札が乱舞していた。

記者クラブでのマージャンがこんなやり方になったのは、仕事が飛び込んでくれば、すぐにやめなければならないからだろう。例えば、誰かの記者会見が始まれば、すぐそれに出なければならない。何時間も続けて、のんびりやっているわけにはいかない。その点、茶殻マージャンなら、現金のやり取りはその都度、済んでいるので、いつでもやめられる。名前の由来については、ネットに「茶殻と同じように、いつでも捨てられるマージャンだから」という説があった。まあ、そんなところかもしれない。

もちろん、記者クラブにいる記者たちみんなが、こんなマージャンに興じていたわけではない。むしろ、やらない記者のほうが多かっただろう。やるのは「キャップ」と呼ばれている年配の記者が多かった。

僕は政治部にしばらくいた後、経済部に異動になった。それからは大蔵省(現財務省)、通産省(現経済産業省)、農林水産省といった官庁を担当することが多かった。どこの記者クラブにもマージャン卓が置いてあって、ここでも各社の記者たちがよく卓を囲んでいた。昼間は仕事もあるから、そんなに長くはやらないが、仕事が一段落した後は、深夜に及ぶことも時にはあった。

ここまで僕は記者クラブでの賭けマージャンを他人事のように書いてきたが、実は、僕も結構やっていた。午前中からマージャン卓の前に座っていることもあった。そんなときは早朝、政治家や役人の家に朝駆けし、仕事も一応はやっていた。ただ、黒川氏と3人の記者、元記者のように、取材先とやったことは一度もなかった。記者仲間の誰かが取材先とやっているという話も聞いたことがない。でも、なんと言い訳しようとも、記者クラブでの賭けマージャンというのは、どうも感心しない。と言うより、やってはいけないことだろう。

そもそも、記者クラブの部屋自体がどこかのお世話になっている。僕の場合だと、首相官邸や大蔵省などである。もっと正確に言えば、税金で賄われている。そのうえ、マージャン卓と牌、あれも税金で賄われていたはずである。当時も「こんなのよくないなあ」と思わないでもなかったけど、その世界にどっぷりとつかってしまい、罪悪感はそれほどには強くなかった。

話を今回のことに戻すと、最初にも書いたように、黒川氏と産経新聞記者、朝日新聞社員は「1千点100円」で賭けていたとのこと。僕も勤務後、茶殻ではなく普通のマージャンを社内の仲間とやる時はそんなレートだった。

さらに言い訳すると、マージャンに限らず勝負事はそもそも賭けなければ面白くない。楽しくない。法律上は1円でも賭ければ、賭博だそうだけど、いわゆる「点ピン」くらいなら、「大人の遊び」として許されてもいいのではないか。かつての賭けマージャン「常習犯」の正直な気持ちである。

ただ、今回の黒川氏にからむ賭けマージャンは「非常事態宣言」が出ている折に「密室」でというのが引っかかるし、取材先との「癒着」という点も気になる。しかし、僕がいま朝日新聞の現役の記者で、あのマージャンに誘われたら、断っていたかどうか。何しろ、黒川氏はその「定年延長」が問題になっている「渦中の人」である。安倍晋三首相が自分に近い黒川氏の定年を無理やり延長し、次の検事総長にしようとしている。それは自分が将来、検察庁から睨まれないようにするための布石である。そんな話がもっぱらだったからだ。

その黒川氏がマージャンをしながら、「自分で定年延長を望んだわけでもないのに、周りからいろいろ言われて疲れたよ。もう検事長を辞めるよ」とでもつぶやくかもしれない。現に、検察庁の先輩あたりも黒川氏に辞任を求めている。時節柄、「黒川氏 辞任へ」は新聞の1面トップの大ニュースである。よし、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。僕も多分、マージャンに参加していただろう。

今回の事件は、懐かしいけれども、いささか無頼で、いささか恥ずかしい、僕の現役記者時代を思い出させてくれた。