そうだ 僕も「どもり」だったんだ

ジョー・バイデン次期米大統領は子供の頃、「吃音(きつおん)」に苦しんだそうだ。そんなニュースがきっかけになってか、吃音に悩んでいる人、かつて悩んだ人の話を最近、新聞などで時に見かけるように思う。先日の朝日新聞には、以前吃音に悩んだ33歳の女性が、その体験を『きつおんガール』という漫画にして出版した話が載っていた。この記事によると、吃音はおよそ20人に1人が幼少期に発症し、7~8割は成長するにつれて症状がなくなるそうだ。

ぼんやりとそんな記事を読んでいて、ふと気づいた。そうだ、僕だってそうだったし、今も完全には治っていない。「吃音」なんて、難しい言葉はどうも発音しにくい。要するに「どもり」のことだ。どもりという言葉は「差別的」というので、今は使われなくなっているらしい。だけど、僕は「どもり」なら、すんなりと発音できるが、「吃音」は言いにくい。どもってしまいそうだ。で、以下はどもりという差別表現でお許し願いたい。

どもりは幼少期に発症するとのことだが、僕もどもりになったのは小学校6年生の時だ。それを語るには、いささか「自慢話」もしなければならない。僕は当時、奈良市の小学校に通っていた。クラスでは成績抜群(?)で、級長を務めていた。担任の男の先生は僕らより12歳上、いい先生だったが、午後にも授業があるのに、なぜかいなくなることがあった。そんな時は僕に「先生は用事があるから、午後の授業は君がやっといてくれ」と言って消えていった。「はい、分かりました」と僕。先生に代わって、教壇に立った。

とはいうものの、準備もしないで、いったいどんな授業をやったのやら。それからすでに70年近くがたち、もう記憶も薄れている。ただ、ひとつ鮮明に覚えているのは、僕がどもり始めた瞬間だ。教壇の僕に級友から質問があった。それは僕が予想もしていなかった質問だった。内容は忘れてしまったが、僕はそれに答えられない。突然、僕はどもり出した。なんとか切り抜けはしたのだろうが、「先生」である僕のプライドが傷つけられた。それがどもった原因だったと思う。級友たちは不思議に感じたことだろう。

その後、僕のどもりは中学校、高校と続いたが、程度はそれほどではなかった。だけど、ある言葉が発音できなくて、困ったことは時々あった。例えば、「プロ」と言うのが難しい。従って「プロ野球」とはなかなか言いにくい。そんな時、別の言葉に言い換えて切り抜けた。プロ野球の代わりなら「職業野球」である。今では、職業野球は聞きなれない言葉だろうけど、かつてはそうではなかった。現に、プロ野球という言葉が普及する前は職業野球と呼んでいた。後日、新聞記者になった僕だから、語彙が豊か(?)で、言い換えにそれほど苦労しなかったのかもしれない。

学校を出て、「朝日新聞社」に就職し、九州の「佐賀支局」が最初の赴任地だった。ところが、いつものことではないのだけど、「朝日」という発音がどうも苦手だ。とりわけ、まず最初に「朝日」と言うのが苦しい。つまり、初対面の人を取材する時は、「朝日新聞の何々です」と名乗らなければならないのだが、これが時にはすんなりと出てこなくなる。でも、相手に直接会った時はまだいい。名刺を渡して「こういう者です」とごまかすこともできる。

だけど、電話で取材する時は、そういう手は使えない。で、ある時、思いついたのは「朝日新聞」を最初に言わずに、「佐賀支局の朝日新聞……」という言い方だ。「佐賀支局」は僕には発音しやすくて全くどもらない。これが最初に出てくると、次の「朝日新聞」もどもらないで、すんなりと言える。

まあ、こんな方法でしのいできたのだけど、ただ、どもりに悩んだとか、苦しんだとかいった記憶はほとんどない。「素直に発音できなくて、少し困ったなあ」といった程度だ。今もたまにどもりそうになったら、適当にごまかしてしまう。持ち前のずうずうしさが、どもりの「傷」を軽くしてくれたのだろうか。

最近では、新型コロナウイルス感染症のニュースに出てくる外来語の「クラスター」がやや苦手で、どもり出すことがたまにある。プロ野球の「プロ」と似て「クラ」が言いにくい。ただ、幸いなことに、新聞記事の「クラスター」の後にはよく(感染者集団)という日本語の表記がついている。僕もクラスターとは言わず、感染者集団と言えば済んでしまう。忌まわしいコロナ禍だけど、「気配り」も少しはあるようだ。