見入ってしまった「年賀状と喪中はがき」

僕に年賀状をくれる人は、孫や甥っ子、姪っ子を除くと、60歳代、70歳代から90歳くらいまでの年配者だ。仏教の「生老病死」でいうと「老」や「病」の渦中にいる人たちだろう。この正月、久しぶりに日本にいて、そういう方たちからの年賀状を読んだ。年末には喪中はがきも読んだ。決まり文句だけのも多かったが、しんみりとさせられ、見入ってしまったものも結構あった。

その筆頭は「健脚」で鳴らしてきた90歳の「歩き仲間」からのものだった。81歳の時には「四国遍路」で1200キロを歩いている。これまでに地球を2周分、3周分は歩いているだろう。「鉄人」のような人である。それなのに……以下、引用する。

最近年齢的ボケが進みました。認知症とはあえて言いません。
度忘れが多くなりました。
耳が遠くなりました。
動作も鈍くなりました。
階段の昇降が困難になりました。
歩くのだけはと思っていましたが、1キロも歩けません。速度は幼稚園児並みです。たった一つ、背筋が伸びていると褒められます。ウォーキングの賜物でしょうか?
何もかも衰えましたが、持病だけが勝手に進んでいます。

そして「こんな私ですが、今年もよろしくお願いします」と結んでいる。失礼ながら、思わず噴き出してしまった。己を達観し、ユーモアに満ちている。認知症であるはずがない。「名文」である。年賀状はすでに出していたが、「寒中見舞い」と称して返事まで書いてしまった。ただ、あんな鉄人でもこうなるのかと思うと、感無量になった。

次は、新聞社時代の後輩からの年賀状だ――昨年、新しい舌癌が左舌に見つかり、手術をしないで、何とか年を越しました。食べるのとしゃべるのとが不自由になりました。歳を取ると足腰がしびれたり、痛くなったり大変ですが、何とか頑張ってます。

彼が「癌」に苦しんでいることは知っていた。そして、年賀状は続く――ゴルフは20回ほどしましたが、115前後です。健康維持のためにできるだけ多くプレーしてます。

ゴルフをやらない方(僕もそうだけど)には分かりにくいが、「115」というスコアは初心者レベルだろう。いったい君は何十年、ゴルフをやってるんだい? そう突っ込みたくもなるが、癌と闘いながらである。深刻な話の後にさらりとゴルフのスコアが出てくる。これもユーモアが感じられる。

年賀状にはほかにも「昨秋、糖尿病の悪化と肺炎で1カ月入院しました。積年の不養生が一気に出た感じです」(彼も新聞社時代の後輩。新型コロナウイルス感染症にやられたら、怖いなあ)、「目を悪くしました。ブドウ膜炎です」(難病である。この人はかつて飲み屋の女将だった)などと、「老」と「病」が結構あったが、それらに続く「死」と言えば「喪中はがき」である。

共通の飲み屋を介して付き合いがあり、1年前にも年賀状をくれていた知人の奥さんから年末、喪中はがきが来た。知人は現役時代、広告代理店に勤めていた。取材に行ったこともある。えっと驚いて、去年の年賀状を探し出した。そこには海外での鉄道旅行の際に写したらしい写真がいくつかあり、その下には――すっかり思い出ばかり。思い出から抜け出したいのですが、今一歩努力が足りないのですね。頑張ります。

彼は鉄道旅行が好きで、近年は病魔に……ということは知っていた。そうか、思い出だけでは嫌だ、そこから抜け出して、もう一度、元気に現実の鉄道旅行がしたかったんだ。でも、「思い出から抜け出したい」なんて、さすがは元広告マン、うまいことを言うなあ。1年前はなんとも思わなかった年賀状に、あらためて見入ってしまった。

僕は今年の年賀状には「思い切って脊柱管狭窄症の手術をしたらうまくいった。今は元気に歩き回っている」といったことを書いた。一応、まだまだ元気いっぱいだけど、1年後、2年後……僕の年賀状はどう変わっていくのかなあ? そんなことも考えさせられたこの正月だった。