「無観客」東京五輪が生んだ「無駄遣い」

東京五輪の開会式が国立競技場で行われた際、組織委員会がスタッフの食料として1万食分を発注したところ、なんと4千食分が残り、廃棄処分にした。1食500円としても、総額200万円になる。開会式が無観客になってスタッフの数も減ったはずなのに、それを考えていなかったのだろうか? 他の競技場でも同様のことが起きている。組織委は「多くの食品ロスがあった」と謝罪した。先日、そんなことが報じられたが、似たようなことはあちこちで起きているのではないだろうか。以下は僕が見聞きした話である。

わが埼玉県川越市にあるゴルフ場「霞ヶ関カンツリー俱楽部」では、7月終わりから8月初めにかけ東京五輪のゴルフ競技が行われている。最寄りの駅は徒歩で15分ほどのJR川越線笠幡駅。わが家からはかなり離れているが、散歩の際には近くをよく歩いている。
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この笠幡駅(上の写真)は1940年、路線開業と同時に誕生した。僕と同い年で、駅舎は当時の面影を残しているとか。それなりに風情がある。そして、問題はこの駅舎の並びに建てられた臨時駅舎(下の写真)である。この写真では分からないが、隙間からのぞくと、ICカード用の改札機10台(出場専用、入場専用が各5台)などが置かれている。五輪のゴルフ競技を見物に、どっとやってくる内外の観客がお目当てだった。
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ところが、肝心のゴルフ競技が無観客になってしまった。そしてある日、臨時駅舎などに「せっかくなので、一緒に写真を撮りませんか?」というポスターが貼り出された。どういうこと? その続きを読むと、「東京2020大会のゴルフ競技が無観客になり、頑張って造った笠幡駅の臨時駅舎が使われないままお蔵入りになってしまいました。そこで思い出に写真を撮りませんか」というJR東日本からの呼び掛けである。

でも、何も「お蔵入り」にすることはない、このまま使えばいいではないかとも思うのだが、笠幡駅の現状を考えると、そうはいかないようだ。何しろJR川越線というのは、さいたま市の大宮駅から川越駅を経て、同じ埼玉県日高市高麗川駅に至る30キロ余りの路線で、大部分は単線。東京の山手線かどこかのお古の列車が4両編成で農村部を走っている。おまけに笠幡駅では、昨年度の1日の乗車人員はわずか2千人余りで、昼間は30分に1本のダイヤ。五輪がなければ10台の改札機なぞは「無用の長物」である。わずか数日間のために無理をしたものだが、いずれにせよ撤去するしかない。
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で、「写真を撮りませんか?」と誘われた日時に現場に行ってみた。臨時駅舎の囲いが取り除かれている。よく見ると、改札機の前には赤いテープが張られ、上からは薬玉(くすだま)が下がっている(上の写真)。えっ、これって何なの? そう、一応は竣工記念の式典なのだった。テープカットがあり、薬玉が割られた。集まっていたのは、僕のような野次馬を含めて50人ほど。お誘いの文句に嘘はなく、JR東日本の職員が臨時駅舎を背景に僕を写し、写真をプレゼントしてくれた。僕にとっては、格好の暇潰しになった。
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JR東日本の関係者は悔しくてこんな催しをやったのだろうが、川越市役所も残念がっているかもしれない。というのは、笠幡駅前は従来、広場がなくて手狭だった。そこで、東京五輪を前に川越市は約5億6千万円を掛け、路線バスやタクシーの乗降場を備えたローターリー型の駅前広場を完成させた(上の写真)。2千平方メートル余りの広さだ。ところが、五輪の観客が来なければ、これも無用の長物といった感じ。ある路線バスの時刻表を見ると、平日だと1日に双方向に各5本、土曜休日でも各9本。広場は閑散としている。

僕は今度の五輪の無観客に反対し、観客を入れろと言っているわけではない。そもそも、ほとんど無観客でしか開けない五輪を強行開催したことに反対している。あと1年、開催を延期するか、それがだめなら返上する、あるいは次期五輪のパリと提携する道はないか、探ってみる。そうすべきだったと思っている。
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最後にもうひとつ。五輪のゴルフ競技が始まる前日には、笠幡駅近くの道路にたくさんの花が並べられた(上の写真)。これって、誰に見せるための花? 観客は来ないし、選手たちも車でやってくる。冒頭の食品ロスに似て「花ロス」じゃないのか。必要もないのに、発注してしまったのだろうか。おカネはどこから出ているの?

いやいや、街に花が多いのは無条件にいいことである。いちゃもんはいけない。無観客の東京五輪はどうやら僕までを疑心暗鬼にさせ、品性を下げさせてしまったみたいである。