不治の病!?

行きつけのお好み焼き屋のおやじさんに道で出会った。コロナ禍で長い間、店を閉めていた。「やっと店が開けました」と挨拶され、「じゃあ近々、行きますよ」と返事した。数日後に行くと、店の前に貼り紙がある。「3日間、臨時休業いたします」

休業明けにまた行ってみると、おやじさんが言うには、「実は手の指が痛くて、皿洗いがつらいんです。以前は1日だけ休んで湿布していたら、よくなったんですが、最近はそうはいかなくて……」。手の腱鞘炎か関節炎か。ふたつは違うそうだが、手が痛む点では同じことだろう。

実は僕も何年か前から同病である。「ビヤホールに行って、大ジョッキを片手で持ち上げるのはなんともないけど、リッタージョッキだと、両手を使わないと、ちょっと不安でね」と、窮状を訴えてきた。リッタージョッキとは、ビールが1リットル入ったやつである。

この病を患っている人はそれなりにいるようで、お好み焼き屋に近い散髪屋のお兄さんもそうである。「腱鞘炎は一生、治りませんからね」とぼやきながら、見た目には、元気にチョキチョキとやっている。ただ、食事の時には一切、箸を使わない。もっぱら、フォークとスプーンで食べているそうだ。

ところで、僕はどうしてこんな病に罹ったのだろうか。ひとつ、思い当たることがある。僕は字を書くときの「筆圧」が並外れて強いみたいだ。思い出すのは、新聞社に入ってすぐ、九州の佐賀支局にいた頃のことだ。もう半世紀以上も前の話で、当時、支局から本社に原稿を送る際には、はがきより少し大きめのざら半紙に太い万年筆で書き、電送していた。1枚のざら半紙に書く字数は5字×3行の15字が標準だった。

ある日、僕の送った原稿が本社から「模範原稿」として送り返されてきた。内容がそうだったのではない。強い筆圧のせいで、支局から電送されてきた原稿がはっきりと読める。弱い筆圧でサラサラと書かれた原稿は、判読するのに苦労する。支局員諸君はすべからく彼の書き方を見習うべしという内容だった。

だが、これが現在の腱鞘炎か関節炎かの原因だとするには、いささか矛盾がある。僕はいま右手も左手も痛い。左手で原稿を書いたことはないから、左手までが痛くなるのは、つじつまが合わない。そうは言っても、右手には筆圧の強さがいささか関係しているだろう。

僕もこの痛みを放っておいてきたわけではない。何年前だったか、近くの整形外科医に行った。でも、湿布薬をくれるだけで、とても治りそうには思えない。次には、これも近くの接骨院に行き、電気でピリピリと患部に刺激を与え、マッサージをしてもらった。だが、先行きは明るくなさそうだ。いずれも通院をやめた。最近は、手の指に関しては第一人者だという慶応病院整形外科の医師のところにも行ってみた。

その折、レントゲン撮影の画面を見ながら「ほら、関節のこことここが白く写っています。関節炎ですね」とおっしゃる先生に「手術はどうでしょうか?」と尋ねてみた。すると、「いや、痛くて我慢できないようなら別ですが、そうでないなら、手術はお勧めしません」。なんでも、手術そのものは4~5日の入院で済むが、例えばまず左手を手術したとする。その後、左手が完全によくなるまでに半年ぐらい掛かる。次に右手……となると、1年掛かりである。結局、この先生からもらえたのも湿布薬と次回の予約だけだった。

こうなると、まるで「不治の病」である。さっきの散髪屋に行った時、お兄さんに治療はいったいどうしているのか、と聞いてみた。すると、温泉の「湯の花」を使っているとのこと。湯の花は温泉に含まれる成分が沈殿し、固形化したものだ。これを入浴時、浴槽に入れて溶かし、15分ほど湯に浸かっている。「効くようです。(群馬県の)草津温泉まで泊りがけで行って買ってきています」と言う。ふだん親しくしている彼のことだから、湯の花を少しは分けてくれるかもと期待したが、その気配は全くなかった。

よし、そのうちに自分で湯の花を買ってこよう。それに、不治の病だと言っても、命に差し障りがあるわけでもない。リッタージョッキを大ジョッキから中ジョッキ、小ジョッキ……と軽くしていけば、ビールを飲むのに不自由することもない。そう考えれば、気持ちも晴れ晴れとしてくるのである。