「二つの中国」派はもっと声を上げよう

米国のペロシ下院議長が8月初めに台湾を訪問したところ、中国はその後、台湾を包囲するようにして軍事演習を始めた。台湾や米国、日本などへの脅しで、かつてない大掛かりなものだった。日本の排他的経済水域EEZ)にも断りなしに弾道ミサイル5発を撃ち込んできた。ペロシ氏の訪台は、中国が主張する「一つの中国」への真っ向からの挑戦だとして、かなり頭にきているようだ。

「一つの中国」とは、平たく言えば、台湾は中国のものということだ。だけど、日本も米国も表向きはこれを認めているようでいて、腹の底はまた違っている感じ。米国はしきりに台湾に武器を売っているし、要人たちが絶えず台湾を訪れている。日本も台湾との交流がますます密になっている。米国も日本も中台の関係は「現状維持」、つまりは実質的な「二つの中国」で行ってほしいのだろう。

ところで中国が、とりわけ習近平氏が「中台統一」を悲願としていようとも、2300万人余の台湾の人々はどれくらいがそれを望んでいるのだろうか。僕は2020年の1月、台湾で総統副総統選挙と立法委員(国会議員)選挙を見て回ったが、大変な熱気で、台北の街中では民進党と国民党の支持者たちがそれぞれ集会を開いて気勢を上げていた。投票率は74.90%、そして当選した立法委員の40%以上が女性である。こんな民主的な台湾が共産党一党独裁の中国に飲み込まれるなんて、筋が通らない。

しかも、中国共産党が「一つの中国」と言い出したのは、もう50年ほど前である。どんなに正しい政策でも、半世紀も経てば、そうではなくなることもある。「一つの中国」もまさしくその類ではないか。中国共産党の存在そのものを否定するわけではない。中国は共産党一党独裁の下で生きて行けばいい。でも、台湾は台湾である。

そして、僕が不思議に思うのは「『一つの中国』はおかしい」「中国は二つではないか」という声が、表立ってはそれほど聞かれないことだ。いわゆる西側の政治家たちがそれを言い出すと、中国は何をやらかすかもしれない。怖くて言えないのだろうが、学者やジャーナリストたちはもっと声を上げるべきではないか。中国国内でそんなことを言ったら、たちまち逮捕されるかもしれないが、外からなら、その心配もない。政治家でも(あまり好きな人物ではないけれど)米国の前大統領トランプ氏は大統領に就任する前、「なぜ我々が『一つの中国』の原則に縛られないといけないのか」と公言していた。

台湾の総統を務めた故李登輝氏はかつて次のように言っていた。もし台湾が以前、清国によって統治されたのを理由に、中国共産党が台湾を中国の一部とするのなら、清国の前に台湾を統治したオランダやスペイン、それに清国の後で統治した日本にも、そういう言い方が許されることになる。中国の論法はまさに暴論である。

どうも西側の人々は中国共産党を必要以上に恐れている。現に50年前、日中が国交を正常化した後、僕がいた新聞社は台湾にあった支局を引き揚げてしまった。中国共産党にそう指示されたのか、あるいは彼らの意向を忖度したのか。僕が「そんなのおかしいじゃないか」と社内で言い回っていたら、ある時、「台湾の現況について、社内用のレポートを書け」との社命が下った。ああ、この新聞社も決して悪くはないな……でも、思い違いだった。「台湾にはいっさい行ってはいけない」との条件が付いていた。中国共産党に記者派遣を知られるのが怖かったのだ。もっとも今は、その共産党からお許しが出たのだろうか、台湾の支局も復活している

そんな気の使いようはちょっと異常な気がする。「一つの中国はおかしいよ。メンツにばかりこだわるなよ」「二つの中国になったら、中国は台湾に攻め込まなくてもいい。軍人たちも死ななくて済む。かえって、気が楽になるのでは?」「中華人民共和国と台湾の中華民国とで『中華連邦』をつくってみたら?」なぞと、もっと気軽にあちこちで声を上げていったら、どうか。そんな声が「百家争鳴」のように湧き出てくれば、相手もだんだん目が覚めていってくれるのではないだろうか。

新聞社やテレビ局の世論調査で、日本の皆さんに「一つの中国」と「二つの中国」のどちらが正しいか、と尋ねてみるのも面白い。もっとも「二つの中国」が圧勝したりしたら、そのメディアは中国に立ち入り禁止になるかもしれない。日本のメディアにそれだけの勇気があるかどうか? まあ、これは、あまり期待しないほうがいいかもしれない。