満身「軽」痍で、謹賀新年

師走のある日、朝起きると、右手の状態がおかしい。人差し指、中指、薬指、小指の4本を一緒に手のひらの方に曲げようとしたら、痛くて、中途半端なところまでしかできない。数日前から、やや変だったけど、おやおや、正月を前に面倒なことになったぞ。

朝食もそこそこに近くの整形外科医院に駆け込んだ。何回か前、このブログの「新しい『仲間』変形性膝関節症」で紹介したところだ。もう90歳に近そうな老先生が座っておられる。僕は両手の親指の付け根も変形性関節症とやらで、少し力を入れた時には、親指のあたりにピリッと痛みが走る。わが家の庭先の草むしりをサボる理由にはなっているのだけど、今朝の人差し指などの痛みはこれとも関係があるのだろうか。

老先生は僕の訴えを聞くと、やおら親指で僕の手首の内側を押した。「あ、痛い!!」。そして「これは手根管(しゅこんかん)症候群だよ」とおっしゃる。聞き慣れない名前なので、聞き直したほどだ。なんでも、手首には手根管と呼ばれるトンネル状の空間があって、ここを通っている神経が圧迫されたのが原因だとか。「注射しましょう」。この注射は実に痛かった。看護師がご親切に手根管症候群について記したパンフレットを手渡してくれた。見ると、「多くは原因不明だが、圧倒的に女性に多く生じる」とある。男性の場合は「手を使う重労働者に多い」とか。どうも、僕には似つかわしくない症状だなあ。

実はこの日、整形外科医院に駆け込んだのには、もうひとつ理由があった。今年の年賀状にも少しだけ書いたのだけど、手根管症候群になる少し前、猛烈な肩凝りに襲われた。肩が凝るだけなら、我慢もできようが、とにかく痛い。朝、畳の上の寝床から起き上がる時、僕は肘か手のひらでちょっと体を支えるが、そうしようとすると、肩に激痛が走る。とても体を支えるどころではない。起き上がるまでに、まさに七転八倒、涙が出てくる。「介護」の世界で言えば、軽いほうから、要支援1、2、要介護1、2、3、4、5とあるけど、「要支援1」くらいに該当するのではないだろうか。

治療はやはりマッサージの類がいいだろう。そう思い、わが家の近くの評判のよさそうな整骨院に通い出した。ところが、10日近く通っても、一向によくならない。七転八倒は毎日のことである。整骨院ではなくて一度、整形外科医院に相談してみるのも正解かもしれない。そう思い直した。

整形外科の老先生は僕の肩のレントゲン写真を見ながら、「四十肩、五十肩と似ているなあ」とおっしゃる。えっ、80歳を過ぎても、四十肩、五十肩になれるの? 僕にはその経験はないのだけど、それほど僕の体は若々しいのかしら? 結局、両肩に注射された。これはそれほど痛くはなかった。

で、右手首と両肩への注射の効果だけど、まさに見る見るうちといった感じで、痛みが消えて行った。4本の指は軽々と曲がってくれる。翌朝、寝床から起き上がる時も、何の苦痛も感じない。注射をしてくれた老先生の手が「神の手」のようにも思えてくる。当然、接骨院に通うのはやめてしまった。

ところが、世の中、そうは簡単に問屋が卸してくれない。注射の後、6日、7日と経つうちに、右手の指はまた曲がりにくくなり、両肩の痛みも戻ってきた。起床時、七転八倒はしないで済むけど、ある程度は痛みに耐えなければならない。で、暮れも押し詰まってから、また老先生のところに駆け込んで、同じように注射をしてもらった。おかげで、朝は痛くて顔のあたりまでしか上がらなかった両腕から痛みが去り、バンザイを何度もできるようになった。ただし、この日、心配になって、注射の効力が続くのは何日くらい?と聞くと、「5日くらいかな」とおっしゃる。今後、どうなるのか、まあ不透明である。

それにしても、寄る年波のせいだろうか、体のあちこちに随分と不具合が出てきたものである。幸い、癌や糖尿病といった恐ろしい病気には今のところ無縁のようだけど、「機械」はあちこちで錆びたりしている。下の絵の〇で囲んだあたりが、大なり小なり、その不具合が感じられる部分である。

「満身創痍」だろうか。いや、それはちょっと言い過ぎではないか。創も痍も「傷」の意味だが、僕の場合は、満身は満身に近いけど、傷は軽い。「満身軽痍」程度だろう。これくらいはどうってことはない。なんとかならないはずがない。というわけで、本年も何とぞよろしく「駄文ブログ」にお付き合いのほどをお願い申し上げます。