「108歳」まで生きるには……

つい最近、テレビで元気な姿を見たばかりなのに……そんな人が相次いで亡くなった。ひとりは神戸大名誉教授の政治学者で、東日本大震災復興構想会議議長や防衛大学校長を務めた五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんだ。3月6日、自身が理事長を務める「ひょうご震災記念21世紀研究機構」で執務中に不調を訴え、急性大動脈解離で死去した。新聞に大きく報じられた。80歳だった。

大動脈とは心臓から全身へと血液を送る管のことだが、この大動脈の内側に亀裂が入り、血液の通り道が別にもうひとつできた状態を解離と呼ぶとか。恐ろしい病気で、高血圧の人に多く発生するそうだが、五百旗頭さんも血圧が高かったのだろうか。

実は、彼は僕と同じ大学の同じゼミの何年か後輩にあたる。彼は優秀、僕は平凡な学生であったと思うし、特に付き合いがあったわけではない。ただ、僕が新聞記者をしていた頃、パーティーなんかで彼を見掛けると、近づいて行って、先輩風を吹かせたりした。彼の死を悼む各界の人たちの言葉を新聞で読むと、周りから尊敬され、好かれていたようだ。自慢できる後輩を失ってしまった。

もうひとり、驚いたのは、2月20日に死去した俳優の山本陽子さんだ。当日、所属事務所社長の甥と一緒にいて元気だったのに、帰宅直後に急性心不全で亡くなった。81歳だった。彼女は死去のほんのちょっと前、テレビ朝日の番組「徹子の部屋」に同じく俳優の高橋英樹さんと出演し、僕も自宅で見ていた。最近は4月からの舞台公演を控え、準備に取り組んでいたとか。心不全も心臓の病気や高血圧などに関係があるらしい。

僕は今83歳だが、茶寿つまり108歳まで、あと四半世紀は生きてみたいと思っている。特に何かをしたいわけではないが、地球が、世界が、どうなっているか、自分の目で見てみたい。今年の年賀状ではそんな決意!?を述べている。ちなみに、茶寿がなぜ108歳かと言うと、「茶」の草冠(くさかんむり)は「十」がふたつだから、合わせて「二十」、草冠の下は「八十八」だから、合計「百八」になる。まあ駄洒落の類である。

そんな僕にとっては、元気で、しかも僕よりも少し若いおふたりに死なれたのは、ちょっとショックである。108歳という目標に赤信号が灯ったような気もしてしまう。ただ、おふたりの死に関係していそうな血圧については、僕は十分に注意している。実は15年ほど前、中国の桂林にいて大学で教えたり、自分で日本語の塾を開いたりしていた頃は、血圧が随分と高かった。病院に行くと「今すぐに入院してください」と言われたほどだ。

しかし以後、帰国の度に慶応大学病院に通い、降圧剤を処方してもらってきた。今では血圧は正常で、たまに高いことがあっても、もう一度測ると、正常に戻る。108歳の障害物にはなっていない、と自分では思っている。

もうひとつ最近、死を大きく報じられた有名人は、「ドラゴンボール」などの作品で世界的に知られる漫画家の鳥山明さんだ。3月1日に急性硬膜下血腫で亡くなったのだが、まだ68歳だった。僕は108歳までです、なんて言うと、怒られてしまいそうである。ところで、急性硬膜下血腫の主な原因は交通事故や転倒などでの頭部の外傷とのこと。鳥山さんはどこかで、頭を強く打ったのだろうか。頭部の打撲については、僕は血圧同様、かなり気をつけているつもりだ。つまり、自転車には乗らないようにしている。

きっかけは、毎日のように自転車に乗っていた何年か前のこと。スーパーのそばで自転車にまたがると同時に無理やりほぼ180度、方向転換しようとしたら、自転車もろとも倒れ、僕は頭から地面にたたきつけられた。近くにいた人が2~3人、「大丈夫ですか」と寄ってきてくれたくらいの衝撃だった。

幸い、けがは大したことはなかった。僕は子供の頃から、体のバランスが悪いのか、しょっちゅう転ぶ。ただ、なぜか大きなけがはしない。が、この日をきっかけに以後、自転車に乗るのはきっぱりとやめた。いつか致命的な大けがをするかもしれないし、予防のためにヘルメットをかぶるのも面倒くさい。もっぱら歩いている。

それやこれや、血圧にも頭部の打撲にもそれなりに気を配っている。おかげさまで、懸案の108歳にも少しずつ着実に近づいているのかもしれない。

求む、日本人教師やぁーぃ

僕は今世紀初めの5年間、中国は黒竜江省ハルビン理工大学で日本語の教師をしていた。60歳で新聞社を辞めたあとのことで、「給料なんて要りませんよ」と、大きな顔をしたボランティアだが、宿舎代と光熱費は大学が負担してくれた。

その大学でいま日本語を教えている女性から最近、「SOS」が舞い込んできた。彼女は当時の僕の教え子である。メールによると、1人いた日本人教師が昨年退職し、今年からは日本人がゼロになった。あちこちで募集しているが、なかなか来てもらえない。「日本人の先生がいないと、学生の会話やヒアリング能力はなかなか伸びません」とのことだ。

僕がいた頃はあんなに日本人教師がいたのに、どうしたのだろうか? 当時の記憶を探った――60歳以上のボランティアの老人は僕と学生時代の友人の2人。友人は僕の話を聞いて「面白そうやなあ」と、あとからやってきた。そのほか、20歳代、30歳代、40歳代の男性、女性、「日本で高校教師になるつもりがうまくいきませんでしたので、当分はこちらで……」「焼き鳥屋をやっていましたけど、今回はJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊員として……」などと、いろんな経歴の人がいた。入れ代わり立ち代わり、常時4~5人の日本人教師がいたと記憶している。

それがゼロになった。日本と中国の最近の冷ややかな関係が影響しているかもしれない。また、JICAはこれまで開発途上国向けに、つまり中国に対しても、費用は日本持ちで教師などを青年海外協力隊員として派遣してきたが、中国向けは2022年で中止になった。中国は経済大国なのだから、仕方のないことだが、これも影響しているだろう。

でも、ハルビン理工大学は何しろ僕が5年間、機嫌よく、かつ楽しく在籍したところである。放っておくわけにはいかない。採用の条件を聞くと、一応は60歳以下の大学卒で、給料は月に6500元(日本円だと13万円台)、宿舎は大学側が提供し、光熱費も要らない。年に2回、日本との往復の航空券代が出る。ボーナスも――などなどだが、給料がやや少ない。でも、自炊したり、校内食堂で食べたりすれば、十分に食ってはいける。

よし、日本人教師の募集に少しは力になってみようか。とは思ったものの、長年の「浪人」には、どこに声を掛けたらいいのかが分からない。仕方なく昔の資料をひっくり返していたら、僕より30歳以上も若い当時の同僚で、力になってくれるかもしれない2人の男性を見つけた。あれ以来、どこかで1回かそこら会ったことがあり、連絡先が手元にあった。うち1人は高校の先生をしているから、この種のコネがあるかもしれない。もう1人は行政書士だが、電話で聞くと、日本語学校も経営しているとか。2人とも期待できそうだ。事情を話すと、早速あちこちに「募集要項」を配ってくれている。もちろん、このブログの読者が直接、僕にお声を掛けて頂くのも大歓迎である。

余談ながら、昔の資料からは、僕がこの大学を辞めた際、惜別の辞を載せてくれた大学新聞も出てきた(上の写真)。「“藤野先生”在中国」(藤野先生は中国にいる)という見出しの記事は「かつて魯迅には藤野厳九郎先生がいた。私たちにはいま岩城元先生がいる」「永遠にあなたに感謝いたします」と締めくくられている。

さらに、余談を続けると、中国が「清」だった時代のこと、清から日本に留学していた魯迅は一時、仙台の医学専門学校(東北大学医学部の前身)に籍を置いていた。ただ、魯迅の日本語は未熟で、講義のノートをきちんと取れていなかった。それを心配した解剖学担当の藤野厳九郎教授は魯迅に毎週ノートを持ってきて見せるように言った。そして、魯迅の作品『藤野先生』によれば、「わたしの講義ノートは始めから終りまで、すっかり朱筆で添削してあったばかりか、たくさんの抜けている部分が書き足してあり、文法のあやまりまでいちいち訂正してあったのだった」(駒田信二訳)

魯迅は結局、医学専門学校を辞め文学を志したのだが、中国に戻ってからは藤野先生の写真を自分の机の前に掛け続けた。そして「夜、仕事に倦み疲れて、なまけごころがおこってくると、いつも、顔を上げて」彼の顔を眺めた。すると、「わたしにはたちまち良心がおこり、勇気が加えられるのである」と記している。僕も中国に何枚か、顔写真を残してくればよかったかもしれない。

いやはや、日本人教師募集の話にかこつけて、自慢話を長々と記してしまったが、中国での教師業がいかに楽しいかの例としてお許し願いたい。

麻生太郎君の悪口ばかりは言えない

自民党麻生太郎という老爺がまたまた物議をかもしている。最近、老爺の選挙区でもある九州は福岡県での講演で、上川陽子外相について「そんなに美しい方とは言わんけれども、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん会うべき人に予約を取っちゃう」「俺たちから見てても、このおばさんやるねえと思った」などと話したのだ。

老爺は上川外相の仕事ぶりを褒めたつもりなのだが、その際に女性の容姿・外見に触れるなんて、全く余計なことである。「おばさん」などと女性政治家を揶揄(やゆ)するのも、これまた余計である。結局、老爺は数日後、「容姿に言及したことなど表現に不適切な点があったことは否めず、撤回させていただきたい」との談話を出した。

この老爺、麻生太郎氏は調べてみると、1940年(昭和15年)の生まれ、今83歳である。実は僕も同年の生まれで、誕生日もあまり違わない。政界の重鎮のようだが、今後「君」付けで呼ばせてもらおう。で、我々が生まれた当時はどんな世の中だったのか。日本は中国侵略の泥沼から抜けられず、1年後の1941年には米国ハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、破滅へと向かって行った頃である。それはそれとして、当時の女性には「選挙権」というものがなかった。「国民」として認められていなかったのだ。女性が選挙権を得たのは、日本が戦争に負けた後の1946年になってからである。

そんな頃に生を受けた麻生君が女性に対して差別発言をするのは、同い年の僕としては、なんとなく分かるような気もする。いま70歳の上川外相を「おばさん」と呼んだけれども、「老婆」とまでは言わなかったのは、いくらか評価?してあげたい気もする。

僕は1963年(昭和38年)に学校を出て、朝日新聞の記者になった。老爺も同じ頃に社会人になったはずである。で、その頃の社会の「女性差別」の状況はどうだったのか――僕が就職した朝日新聞社の例で言うと、同期入社の50人以上の記者のうちで、女性は1人だけだった。入社試験は女性も平等に受けられたはずだし、女性の記者志望が極端に少なかったわけでもないだろう。ただ、上司に聞くと、「わが社は基本的には女の記者は採用しない。もっとも、入社試験の成績が飛び抜けてよくて、落とすと問題になりそうな場合は、女でも仕方なく入社させる」とのこと。一応は「進歩的」だと言われる朝日新聞社でもこんな状況だった。

つまり、記者は「男の仕事」という、とりわけ根拠もない固定観念が社内には根づいていて、僕も特に疑問を感じなかった。一方で今、麻生君の暴言を厳しく批判しているのは、新聞の中ではもっぱら朝日新聞である。それは正しいことだと思うし、女性記者の数が増えてきたことも、影響しているのだろう。昔のことを思うと、僕はまさに汗顔の至りで、麻生君の悪口ばかりは言えないのである。

ところで前回、僕はこのブログで、毎日寝る前には池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』(文春文庫)を愛読していると書いた。で、この本は面白いことは面白いのだけど、男が女の容姿などを悪く言う表現には事欠かない。例えば――

鼻すじがくぼんでいるくせに鼻頭や小鼻がもりあがり、(それにどうだ、こいつの鼻の穴の大きいことといったら……鼻にも目玉がついていやがる)……

むかしは、小肥り(こぶとり)の、よくよく見れば、さほどにみにくい女でもなかったお熊であったが、七十をこえたいまは、凧の骨のように痩せてしまい、……
「たのむぜ、破れ凧の歯抜け婆あ」……  女ともいえぬ、先ほどの老婆……
「女という生きものに、理は通らぬ」……

いやはや。さすがに出版元も本の末尾にお断りを載せている。本作品の中には、今日からすると差別的表現もあるが、「それは江戸時代における風習、慣行にもとづく歴史的事実の記述、表現であり、……」というものだ。と申しても、この言い訳はいささか苦しい。

つまり、これは江戸時代の作品ではなく現代、それも戦後の作品である。「歴史的事実」云々なんて、おかしくはないの? むしろ、1923年(大正12年)生まれの池波氏の、麻生君もびっくりの女性観が、色濃く出ているのではないだろうか。ついては、麻生君の今回の発言は、これからは厳に慎むことを条件に、大目に見てあげてもいいと僕は思ってしまっている。

快眠vs.寝酒

僕は毎夜、寝床に入ると、まず「極楽じゃ、極楽じゃ……」と、何度かつぶやくことにしている。そうすると、いつの間にか眠ってしまっている。睡眠のための「呪文」のようなものかもしれない。この「極楽じゃ」は僕自身が考えたものではない。僕と同年配の知人の母親が昔々、夜の寝床で唱えていたという話を聞き、真似するようになった。

何しろ、当時は太平洋戦争の頃である。この母親は何人もの幼子を抱え、朝早くから炊事、洗濯、掃除……田畑があるので、農作業もある。おまけに、夫は戦争に取られ、いつ戻ってくるか、分からない。毎日、毎日、くたびれはてて、夜に横になるのが唯一の楽しみ。思わず「極楽じゃ、極楽じゃ」という声が出たのだろう。

日々、のうのうと暮らしている僕が同じ言葉を唱えるなんて、まことに申し訳ないのだけど、ただこの呪文だけでは、朝までぐっすりの「快眠」とまではいかない。夜中に2度、3度、トイレに行きたくなって目が覚める。理由は自分でも分かっている。毎夜、布団に入る直前まで、ウイスキーオン・ザ・ロックを「寝酒」と称して意地汚く手にしているせいなのだ。僕は「快眠」を求めているだけなのだが、寝酒は睡眠そのものにとって、決していいものではないらしい。

去年、訳書が出たスウェーデン・ウプサラ大学の睡眠研究者クリスティアン・ベネディクト氏の著書『熟睡者』の中で同氏は「アルコールを摂取すると、たいてい、通常より早く眠りにつける。その一方で、……いびきをかくリスクが高まる。加えて、汗をかきやすくなり、繰り返し目が覚めたり、睡眠中に呼吸が何度も短く止まったりする可能性もある。また、アルコールは胸やけの原因にもなるため、睡眠がさらに損なわれる。……悪夢をともなうこともある」などと、寝酒を批判している。

また、月刊『文藝春秋』は最近号で、睡眠について特集しているが、その中で筑波大学の睡眠学者柳沢正史氏も「お酒を飲むのは、夕食時の晩酌までにしましょう。……禁物なのは寝酒です。世界的に見ても、日本は寝酒をする人が極端に多いことで知られています。……飲酒直後の睡眠中の脳波を測ってみると、睡眠の質は本当にガタガタになっています。深い睡眠も減り、中途覚醒時間も多くなる。夜、お酒を飲まないと眠れないと言う人は、すでに不眠症と言えるので……」と、寝酒に厳しい。

ところで、寝酒の話はひとまず置いて、ふと昔、高校生の頃、試験の前日なんかに飲んでいたトランキライザー向精神薬)のことを思い出した。当時、流行していて、アトラキシンという商品名も覚えている。新聞によく広告が載っていた。これを飲むと、それこそグッスリと朝まで眠れた。大学に入ってからは、勉強そのものをあまりしなくなったので、アトラキシンとは縁が切れたが、高校時代のあの「快眠」はまだ脳裏に刻まれている。

今も似た薬がないものか。薬局で尋ねてみたら「睡眠改善薬」なるものを勧めてくれた。6錠入りの1箱が2000円ほどと、いいお値段だが、飲むのは1日に1回、1錠だけ。これを飲んでいる知人に聞くと、なかなかに優れものだそうだ。さっそく買ってきた。

ところが、いざ飲もうとして「使用上の注意」を読むと、「服用前後は飲酒しないでください」とある。ウーム、もしこれを無視して、飲酒したらどうなるのか? ネットでいろいろ調べていると、「最悪の場合、呼吸停止の恐れもあります」とまで書いてある。まさに、命懸けである。もちろん、そうまでして「快眠」を求めることはない。ついては、せっかくの睡眠改善薬も薬箱に眠ったままになっている。

じゃあ、ほかには「快眠」のための方法はないものか。さっきの柳沢氏の話を読むと、「自分に合った入眠儀式を作る」というのがあった。僕の場合、これは「極楽じゃ」が相当する。次に「読書をする」というのもあった。僕はこのところ寝る前、池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』を読むことにしている。ひとつの話が50ページほどで終わるから、就寝前の読書にはちょうどいい。肩も凝らない。

温かくしたウイスキーやブランデーを少しだけ飲むのなら、寝酒もOKという説もある。でも、ほんの少しじゃ全く楽しくもない。僕は別に不眠で困っているわけではない。寝酒がいくらか睡眠を妨げていても、「極楽じゃ」と「鬼平」のおかげか、まあまあ眠れる。「準快眠」といったところか。いっそのこと、生きている間は「快眠」はあきらめ、この程度で満足している方が人生は楽しいかもしれない。

「せこさ」比べ

僕は生来、せこい性格なので、他人の「せこさ」が人一倍、気になる。自分のことはさておいて、他人のせこさが許せない。頭にくる。

なかでも日頃、憤慨しているのは、スーパーマーケットなどのいわゆる「ポイント」についてである。その店のカードを持っていると、普通200円買うごとに1ポイントつまり1円分がカードにたまる。たまったポイント数は買い物の都度、レシートに示される。それはそれでいいのだけど、僕がよく行くスーパー4軒のうち3軒では、これを500ポイントためると、やっと500円の「お買物券」が出てくる仕組みになっている。

言い換えれば、500ポイントためなければ、例えば300ポイント、400ポイントの段階では、このポイントを現金として使えない。極端な話、何らかの事情があって、その店に行けなくなったら、せっかくためたポイント、つまり300円、400円が消え、店のものになってしまう。こういうのは、実にせこいのではないか。1ポイントでも、それは僕のカネなのだから、たまった段階で使えるようすべきだろう。

いや、まだこれは許せる。レシートにポイントの有効期限は書いてないから、そのうちにまた同じ店に行くようになったら、300ポイント、400ポイントは多分まだ有効だろう。ところが、僕がたまに行く自宅近くの本屋は、やはり500ポイントで500円の買物券なのだが、レシートには「ポイント有効期限:6カ月」とある。せっかくためていたポイントも、わずか6カ月で次々に失効していくのだ。ポイントの有効期限を永遠にしろとは言わないが、この店で買物券を得るためには、半年の間に本を10万円以上買わないといけない勘定だ。普通の人には至難の業である。

ただ、スーパーなどの店側も最近、僕のようなせこい客からの苦情もあってか、買物券の不条理さに気づいてはいるようだ。僕の見るところでは、これをやめて、たまったポイントをそのままいつでも現金代わりに使えるようにするところが増えつつある。さっき、僕がよく行くスーパー「4軒のうち3軒」では買物券うんぬんと書いたが、残る1軒も以前は500ポイントで500円の買物券だったが、最近ではためたポイントを自由に使えるようになった。それが当然というものだろう。

ところで、以上に書いた500円の買物券は、500円以上の買い物をすれば、現金同様に使えるのだが、最近、某店で同じ500円券なのに、絶句するせこさに出くわした。

これははっきりと店の名前を書きたい。東京近辺を中心に営業している「ルミネ株式会社」なるものがある。JR東日本の子会社で、「ショッピングセンターの管理及び運営」などを手掛けている。ここのカードを持っていると、多少の年会費は要るけど、買い物の代金が5%引きになる。それに引かれて僕も会員になっている。我が町川越にも「ルミネ川越」があり、昨年末、ショッピングセンター内の書店で本を何冊か買った。

すると、抽選券をくれ、何枚かのうちの1枚が「500円」の当たり券だった。小躍りして同じセンター内のスーパーに行き、代金600円余りになる缶ビール2個と当たり券をレジに差し出した。現金100円ちょっとで、缶ビール2個が買えるわけだ。得したなあ。ところが「お客様、1000円以上買っていただかないと、この券は使えません」と言われ、券の裏側にある表示を指し示された。見ると、「税込み1000円以上で1枚ご利用いただけます」とある。つまり、500円の当たり券を使いたければ、あと500円以上買えというのだ。

虚を突かれた。慌ててビールを買い増して、代金の合計を1000円以上にし、500円の当たり券を使ったが、よく考えると、腹が立ってきた。むしろ、当たり券を破り捨ててやってもよかった。

――と、以上はたかだか500円ほどをめぐる話だけど、自民党安倍派を中心とする政治資金パーティーの話は規模と言い、悪質性と言い、まあ、せこい。パーティーで集めたカネの流れを法律に従ってきちんと報告せず、各議員が数百万円から数千万円を「裏金」として懐に入れてしまう。パーティー券は1枚2万円もするのに、ろくな食い物も出さず、利益率は90%というのもあるとか。せこさ比べで僕を「序ノ口」とすれば、安倍派の皆さんはまさに「横綱」ではなかろうか。

「1000円カット」を求めて

明けましておめでとうございます
月並みな表現ながら 本年も何とぞよろしくお願い申し上げます

新年早々、けち臭い話で恐縮ですが、皆さんは散髪代に1回、どれくらい使っていらっしゃいますか。僕の30日か40日に1回の散髪代は、このところずっと1000円ぽっきりです。1200円、1300円の散髪屋にはめったに行きません。

話を昔に戻すと、もう30年以上も前、僕が東京・築地の新聞社から六本木のテレビ局に出向していた頃は、いつも勤め先の近くで散髪していたが、料金は3800円だった。最近、僕が通っている「カットのみ」の店とは違って、顔を剃り、頭を洗いといった普通の散髪屋だった。この「3800円」という料金をなぜかよく覚えている。さらに言うと、築地の新聞社に戻れば、社内に散髪屋があり、料金は2100円。かなりの節約になるのだけど、ついでの折に、たまに行くだけだった。当時は結構高給取り(?)だったので、六本木の3800円をそれほど高いとは思わなかった。

だけど、年金生活者の今となっては、そうは言っておれない。顔を剃ったり、頭を洗ったりは、自分でできる。散髪屋ではカットだけで十分だ。で、もっぱら1000円カットの散髪屋に長く通ってきたのだが、最近は「1000円カット」とは名のみで、わが家の近くの店では1200円、1300円へと値上がりしてきた。それはそれで仕方がないのだけど、僕としては正味の1000円カットがありがたい。

そこで、近所をうろうろしていたら、いつだったか、新しくできたスーパーマーケットの裏通り、それまではあまり人通りもなかったところに、正真正銘の1000円カットの店を見つけた。入ってみたら、あるじの腕前は悪くないようだ。ところが、店には欠点もある。このあるじはどこかの職業学校で講師もしているとかで、授業があればそれを優先してしまう。そのため、平日に行くと、店が閉まっていることがよくある。土日に行くと、開いている確率が高い。そんな不便もあるが、1000円には代えられない。このところはもっぱら、ここに通っている。15分かそこらで済むのもありがたい。3人、4人と、先客がいても、暇人の僕にはどうってことはない。

最近、もう1軒、近くに1000円カットの店を見つけた。初回は1200円なのだが、次に2カ月以内に行けば、65歳以上のシニアは1000円にするとのこと。今の行きつけの店に何かあったら、次はここに通おうと思っている。

話は変わるが、新聞に毎日載っている「首相動静」を眺めていると、岸田文雄首相は月に2回は散髪に通っていらっしゃるようだ。12月も10日と23日の土曜日、ともに東京・鍛治町の「ヘアモードキクチ 神田日銀通り店」で散髪している。どんな店なのか、お値段は? ネットで調べてみたら、一番人気は「アイブロウカットコース+頭皮クレンジング」なるもので、料金は7700円。もっと高いコースも安いのもある。

先日「サラリーマンの街」とも言われる東京・新橋で見た理髪店の料金表には、一番安いカットコースが5500円とあった。岸田首相が通っている理髪店も特に高い店ではないようだ。そして、新橋の店で料金表をじっと眺めていたら、店の人から「いらっしゃいませ」と声を掛けられ、「1000円カット」の僕はどぎまぎしてしまった。

ところで、岸田首相は理髪店で実際にどのくらい払っているのか、ケチな僕としては気になる。で、これもネットで検索してみたら、以前に通っていた別の店では「1万890円(税込み)」を払ったとの記事を見つけた。新聞の「首相動静」を見る限り、岸田首相の理髪店での滞在時間はゆうに1時間を超えている。この数字は信憑性があるようだ。とすると、彼の1カ月の散髪代は2万2000円ほど。なんと僕の2年分の散髪代に相当する。

僕はそれ自体に文句を言うつもりはない。いわゆる「裏金」ではなく、自分のカネで払っているのなら、全くおかしくはない。ただ、最近の朝日新聞に「非常時もきのう鉄板きょう四川」という読者の川柳が載っていた。日頃、高そうな料理店を巡っている岸田首相を皮肉ったものだ。岸田サンはそう悪い人には見えない。でも、物価高に苦しんでいるかなりの国民に対する心配りに欠けている。散髪にろくに行けない人もいるだろう。そんな世の中で、この御仁は能天気だなあ。「1000円カット」一途の僕はそう感じるのである。

階段は親の仇か!?

映画「こんにちは、母さん」を見ていたら、主演の吉永小百合の住まいにやってきた孫娘が2階まで階段を上る時、トントントンと駆け上っていく。渥美清の映画「男はつらいよ」の何作目かをテレビで眺めていたら、東京・柴又の寅さんの「おいちゃん」の家で、やはり誰かが2階まで駆け上っていく。そうなんだ、1階から2階くらいまでは駆け上るのが普通なんだ。老人つまり僕は今さらながら、何でもないことに感心してしまった。

わが家は1階から2階まで14段、しかも途中に踊り場まであるのに、僕は2階の自分の部屋に行く時、もちろん駆け上ったりはしない。1段、1段、踏みしめるようにして、ゆっくり上っていく。さすがに、まだ手すりは設けてないけど、つかまるところがあれば、それにつかまって、安全を確保している。

駅の階段を2段ずつ駆け上っていく若者もちょくちょく見かける。そう言えば……と昔々のことを思い出した。23歳の時、大学を出て新聞社に入り、九州の佐賀支局に配属された。最初は警察担当で、県警本部の中をネタを求めてぐるぐる回っていた。県警本部は4階建てで、エレベーターなぞはない。その2階、3階、4階に行く時には、階段をいつも2段ずつ駆け上っていた。快適だった。疲れなんて全く感じなかった。

今は、駅の階段は原則、歩いて上ることにしているのだが、きつく感じることもよくある。50段、60段を上ると、しばらく休息を強いられる。

どうも最近は、この種の情けない話をよく書いてきたみたいだが、もうちょっと景気のいい奴はなかっただろうか。そうだ、「趣味はマンションの階段上り」といった話を書いた記憶もあるぞ。古い記事を探っていくとちょうど10年前、2013年にそれはあった。中国南方の南寧に住んでいたころのことだ。

読んでみると、僕が住んでいたアパートのそばに30階建てのマンションがあり、上までの階段数は計600段ほど。「一気にはなかなか上れない」けど、「冬でも汗びっしょり、結構な運動になる」ので、ちょくちょく上っていた。あるいは、僕の住むアパートは7階建てに過ぎないが、8回ほど上ったり下りたりすると、「計1000段やそこらにはなる」ので、時にはそれを繰り返していた。

まだあるぞ。コロナ禍の前は台湾にも時々行っていたが、台北の市内、地下鉄の終点近くに「象山」という標高180メートル余りの山がある。頂上まで階段は1000ちょっと。これをゆっくり、ゆっくりだけど、休まないで上り切った。そんな記事をこのブログで書いている。2018年、5年前のことだ。今は「1000段」なんて、とても、とてもといった感じである。「十年ひと昔」ならぬ「五年ひと昔」なのだろうか。

老人にとって階段は、上るのも一苦労だが、下るのも注意が必要だ。バランスを崩して、階段を滑り落ち、骨でも折ったら馬鹿馬鹿しい。僕は駅の階段を下りる時、端の方、つまり手すりのあるそばを選ぶことにしている。もし、つまずきそうになった時、すぐにつかまれるようにするための用心だ。

テレビのニュース番組を見ていると、各国の要人が飛行機のタラップを下りる光景が時々、出てくる。それらを見ていると、僕よりやや若い81歳の米国大統領バイデン氏の足元はちょっと心もとない。記者会見の際には、若さを強調しようとしてか、軽く走る格好をしてマイクの前に立つこともあるが、なんか痛々しい。70歳の中国の国家主席習近平氏がタラップを下りる姿も決して感心したものではない。太り過ぎなのか、ヨチヨチしている。

その点、米国の国務長官ブリンケン氏には感心した。トントントンと軽く弾みをつけるように、タラップを駆け下りていくのだ。「お、カッコいいじゃん」と、思わず叫んでしまった。そのブリンケン君は御年61歳だそうだ。

年齢を重ねてくると、「階段」というものが、上るにしろ、下りるにしろ、まるで「親の仇」のように立ちはだかってくる。もう一度、ゆっくりゆっくり、休み休みでいいから、1000段あるいは500段程度の上り下りに挑戦してみようか。それとも、歳を取るのは仕方ないからと、成り行きに任せるか。でも、中国語で言えば「我老了(われ老いたり)」とは言いたくない。僕はいま「岐路」に立っている。