そして、理由は少し後で書くけど、「紀元2600年」は僕にとって、なじみのある数字でもある。
紀元2600年という節目の年は昭和で言えば15年、西暦で言えば1940年である。その年にはこれを祝う様々な催しが行われた。国民歌「紀元二千六百年」も制定された。「金鵄(きんし)輝く 日本の 栄えある光 身に受けて いまこそ祝へ この朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の胸はなる」と、小学生たち、それも意味も分からないまま、低学年までが暗唱させられた。「金鵄」とは金色のトビ(鵄)のこと。神武天皇が日向(宮崎)から瀬戸内海を経て大和(奈良)に東征した折、弓の先に金鵄がとまり、その光で敵の目をくらませたとの伝説がある。
一方で、この2600年には我が国では初めて「東京オリンピック」や「万国博覧会」という平和の催しも開かれる予定で、日本にとって、世界に向けての華々しい年になるはずだった。だが、これらは日中戦争の激化などからとっくに中止になっていた。
実は、僕はこの年の生まれである。両親は記念すべき年に生まれた息子のことをどう思っただろうか。僕の名前は「元(ハジム)」だが、これは紀元2600年を祝福した名前ではないだろうか。そう思い、母が遺した育児日記を引っ張り出してきた。「誕生」というページを開くと、縦書きで「紀元二六〇〇年ノ秋 昭和十五年十一月十九日」とある。紀元2600年に生まれたことを喜ぶ気配は全くなく、素っ気ない。
次いで、命名者は「お父ちゃん」、そして「名の意味」には「創世記 第一章 元始に神 天地を創造たまへり」とある。「元始」には「ハジメ」、「創造」には「ツクリ」のルビが振ってあるが、なぜ創世記なのかなどの説明は一切ない。ましてや、両親がキリスト教に関心を持っていたなんて、聞いたこともなかった。当時の軍国主義、そして2600年、2600年と騒ぐ世間に対する不満から、無関係の「創世記」を持ち出したのだろうか?
余談ながら、僕のひとつの自慢?は「今年は紀元何年?」と尋ねられた場合、普段は意識することが全くないのに、間髪を入れずに、例えば「2686年」と答えられることだ。秘訣も何もない。2600年そのものが僕の生まれ年だから、それに僕の年齢を足すだけでいい。これが普通の人だと、西暦に660年を足すという作業が入ってくる。
もうひとつ余談だけど、母の育児日記は市販の本に書いてあるが、この本のもともとのタイトルは「ベビーブック」だ。戦中、英語や、英語由来のカタカナ語は「敵性語」として排斥されるのだが、紀元2600年時点ではまだそこまで行っていなかったらしい。しかし、ベビーブックの中にある挿絵には、剣をかざし、鉄砲を担いだ男の子や女の子が登場する(写真下)。僕ら子供たちもすでに兵隊として期待されていたのだ。

僕が生まれてほぼ1年後、日本は「真珠湾攻撃」に踏み切り、奈落の底へと突っ込んでいく。思えば、日中戦争の最中とは言え、知恵と勇気さえあれば、まだ引き返すことができたはずだ。紀元2600年は平和と戦争の「分水嶺」だったような気がする。
そして、紀元2700年は間近である。あと13年余りしかないが、今のところ平和なこの日本にも、何か戦争の匂いが漂ってきている。
例えば、日本の「国是」とされてきた核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」の「非核三原則」。佐藤栄作氏以来、歴代の首相はこれを「堅持していく」と言い続けてきた。だが、高市早苗首相は「堅持している」と言いつつも、これからも「堅持していく」とは絶対に言わない。さらには、非核三原則を国是ではなく「政策上の方針」だと言う。非核三原則から「おさらばしたい」気持ちがありありである。推測すると、まずは「持ち込ませず」をやめる、次いでは……という気持ちなのだろう。官邸の誰かが匿名で核武装論さえ唱えているが、首相がそれに注意したとの話も聞かない。
紀元2700年、僕が満100歳になるおめでたい(?)年が再び平和と戦争の分水嶺にならないよう、祈るばかりである。いや、祈るだけではなく、この駄文ブログなどで、影響力は弱くても、世間の片隅でつぶやいていきたい。


