「先生、今日は屁をひりましたか」

前回のブログにも書いた、武警病院に入院した時のことである。男性の医師がやってきて、中国語で僕にいろいろと質問をした。何を言っているのか、僕にはよく分からない。だが、幸いなことには、駆け付けてくれたわが塾の生徒や元生徒が何人も周りに控えている。通訳陣には事欠かない。みんな20歳代の女性である。

ただ、医師の今の質問をどう日本語に訳すか、困っているみたいだ。突然、ひとりがハンドバッグから電子辞書を取り出して何やら調べ始めた。そして、意を決したようにうなずき、僕に向かって発したのが「先生、今日は屁をひりましたか」である。予期しない言葉遣いだった。

「いやあ、屁をひるねぇ・・・できれば、おならをしましたか、あるいは、おならが出ましたか、とか言ってほしいんだけどねぇ・・・どちらにしろ、今日はまだ、ひってないんだけど・・・」。僕はしどろもどろになった。

下腹部が痛くて入院したのだから、医師からこういう質問が出るのは当然である。そして、彼女が電子辞書で中国語の「屁」を調べたら、日本語で「屁をひる」との用法が出てきたのだろう。彼女を責めることはできない。それに、この種のことはこれまで塾で教えたことがなかった。つまり「屁をひる」あるいは「屁をこく」は昔からある表現だが、上品とは言い難い、「おならをする」「おならが出る」の方がまだましだろう――なんてことは、女性の生徒がほとんどのわが塾だけに、授業ではそもそも取り上げにくかった。

試みに、小学館の『中日辞典』で中国語の「屁」(ピー)を引くと、日本語では「屁」(へ)「おなら」とあるが、用法としては「屁をひる」しか載っていない。もっとも、日本語を勉強中の中国人の若者が「おなら」という珍しい表現に興味を引かれ、今度も同じ小学館の『日中辞典』で日本語の「おなら」を引いたとする。すると、中国語では「屁」とした後に、日本語の用法としてやっと「おならをする」が出てくる。中国人の若者がいかに熱心かつ優秀でも、ここまで到達するのは大変である。最初に「屁をひる」との表現を知っただけで満足してしまい、「先生、屁をひりましたか」となってしまう。また、辞典には「おならをする」はあっても「おならが出る」は載っていない。けだし、辞典の欠陥ではないだろうか。

以下も付き添いの女性陣とのやり取りなのだが、「先生、これに小便を入れてきてください」と、大さじ大の小さなプラスチック容器を差し出されたことがある。もちろん、医師か看護師から言われてのことだが、日本の病院でなら「(お)小水を・・・」と言ってくれるはずである。それを、ぶしつけに小便だなんて・・・。

もっと赤面したのは「先生、先ほどトイレにいらっしゃいましたが、小便でしたか、それとも大便でしたか」である。やはり医師か看護師の指示によるのであろう。が、これも日本でなら「(お)通じはありましたか」と聞いてもらえるところだ。「大便」云々に対しては「いやあ、おしっこだけで・・・」と答えるのがやっとだった。そう、「おしっこ」も小便に比べれば悪い響きではないなあ。

こうして見てくると、日本語では「大便」「小便」を上品に言い換えられるが、中国語ではどうもそれが無理なようだ。塾で相棒の中国人の先生は「中国語では大便、小便が一番上品な言葉です。もっと汚い表現ならいくらでもあります」と言う。病院でも家庭でも、あるいはセレブ同士の会話でも、使うのは「大便」「小便」そして「屁」だそうである。

もちろん、中国語で「大便」(ダービエン)、「小便」(シャオビエン)と言った場合、中国人がそれから受ける感じは、日本語の「大便」(だいべん)、「小便」(しょうべん)という響きとはいささか異なっているかも知れない。日本語の場合のような直截的な感じが少ないのかも知れない。そうは言っても、日本語はやはり表現が豊富かつ繊細で上品な言葉ではないだろうか。わが塾の生徒にもそう言ってくれる子がいる。現に、日中辞典で「大便」と引いても「通じ」と引いても、中国語で出てくるのは「大便」とか「排泄」とかである。日本語でせっかく「お通じ」と上品に言っても、中国語に訳せば同じなのである。

おなかの調子もよくなり、僕はめでたく病院を出た。翌朝、入院中に付き添ってくれた女性と目を合わせた時、開口一番、真面目な顔で聞かれた。「先生、今日は大便が出ましたか」。心配してくれているのだ。

僕もいささか年老いたとは言え、少しはこわもてし、若い女性からも「おじいさんの割にはカッコイイじゃん」くらいは言われたいと願っている。それが、朝の挨拶がいきなり「大便が出ましたか」では、どうも目の前が暗くなってくるのである。