安保法案をもし成立させたいのなら・・・

安全保障関連法案をめぐって世の中、かまびすしい。国民の間では反対意見が多いようだが、アベさんがどうしてもこの法案を成立させたいのなら、「名案?」がある。もう1本、追加の法案を出してはどうだろうか。アベさんがそこまで腹をくくっているのなら賛成しよう・・・ということになるかも知れない。

その法案とは、わが国がもし集団的自衛権を使って中東・ホルムズ海峡や南シナ海などの海外で武力を行使する場合には、あるいは、他国軍の後方支援ということで兵站を担当する場合には、自衛隊の最高指揮官でもある首相に現地に赴くことを義務付けるというものである。

現地に行っても、首相が鉄砲を担ぐ必要はない。首相は現地で戦況を眺めているだけでいい。下手に動かれると、自衛隊にとっては、かえって迷惑である。じっとしていてほしい。ただ、自衛隊員は命の危険にさらされているのに、それを命じた最高指揮官たる張本人が本国の安全地帯にいるのはいかがなものか。不公平である。自分の目で戦況をじっくりと見るべきである。

でも、それだけでも、武力行使つまり戦争を命じたのが正しかったのかどうか、これからはどうすべきか――それらを考える上で大いに役立つはずである。「現に戦闘が行われている現場」以外での後方支援だと思っていたら、敵の攻撃にさらされ、肝を冷やすことがあるかも知れない。また、戦地での滞在日数に応じて、首相には税金から特別のボーナスを差し上げてもいい。万一のことが起きた場合、ご本人が望まれるなら、靖国神社に神として祭ることもできるだろう。

「ノブレスオブリジュ(noblesse oblige)」というフランス語がある。英語でもそのまま使っているようだが、「高い身分に伴う義務・責任」といった意味だ。イギリスの王室や上流階級にはそうした考えが強いらしく、例えば軍事面に限って言うと、イギリスとアルゼンチンが南米のフォークランド諸島をめぐって戦った1982年の戦争では、イギリスの王子がヘリコプターに乗って第一線で戦っていた。イギリス政府は王子の戦死を心配したが、王室がそれを押し切ったとか。日本でも戦前、皇族男子は軍務につくのが普通だった。また1904〜05年の日露戦争乃木希典大将は二人の息子を戦場で失った。中国の毛沢東主席も1950〜53年の朝鮮戦争で息子一人を亡くしている。

いずれも戦場の第一線での「息子たち」の話だが、ノブレスオブリジュということから言えば、首相が戦争の第一線に出て行くのも、しかも直接に戦うわけではないのだから、ごく自然なことだろう。安保関連法案に反対する学生たちを「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自己中心、極端な利己的考えに基づく」と批判した自民党の若手の国会議員がいた。彼なんか、戦地に赴く首相の副官あたりに向いているのではないだろうか。身をもって首相を守ってあげてほしい。

歌手の美輪明宏さんがどこかで「国会議員が言いだしっぺの責任を取って、鉄砲を担いで鉄兜をかぶって、まず第一に兵隊として出ていただくのがよい」と話していた。僕はふだん美輪さんの意見には賛成なんだけど、これはいささか非現実的である。見せしめという感じもして、感心しない。しかし、僕が言うように、自衛隊の最高指揮官が現地に赴き、戦闘には参加しないけど、静かに体を張って敵と対峙する――これは非現実的ではないし、そうあって当然ではないだろうか。

ところで、「一国の首相がそう簡単に戦争の第一線に出て行っていいものだろうか。もし、万一のことがあったら、どうするのか。国政が混乱するではないか。由々しき事態である」との意見もあるだろう。でも、そう心配することはない。

近い将来、首相が戦地に赴くことになれば、その首相はアベさんという可能性が結構ある。そして、戦地でアベさんにもしものことがあっても(もちろん、無事を祈りたい気持ちは山々だけど)アベ内閣の№2にアソウさんという方がいらっしゃる。彼はかつては首相をしたことがある。すぐに代役が務まるだろう。 

「でも、アベさんの後、そのアソウさんも戦地に赴き、もしものことがあったらどうするのか」という意見もあるだろう。それもそんなに心配は要らない。

実は日本はこれまで首相がくるくると代わったせいで、前首相、元首相がわんさといらっしゃる。自民党だけでも、アソウさんのほかフクダさん、コイズミさん、モリさん、ナカソネさん・・・民主党その他まで広げればノダさん、カンさん、ハトヤマさん、さらにはムラヤマさん、ハタさん、ホソカワさん・・・日本は前首相、元首相の宝庫なのである。おおむねは第一線を退いていらっしゃるが、いざと言う場合には力になっていただけるだろう。これだけ首相経験者が多いということは、これから首相になろうという人材もいっぱいいることを意味している。

現役の首相は後顧の憂いなく戦地に赴けるというものである。