アルコール依存症? それとも、単なる酒飲み?

何がきっかけだったか、僕は「アルコール依存症」ではないかなあ、という気がふとした。ただし、アルコールのおかげで、家族や世間に大きな迷惑をかけた覚えは僕自身にはない。ならば、アルコール依存症であっても、別に構わないようなものだが、ちょっと調べてみる気になり、アルコール依存症に関する本を図書館から何冊か借りてきた。

そのひとつに「自己判定」のためのテストが10問、載っていた。まずアルコールの摂取量や飲む頻度を尋ねたあとに、たとえば、次のような質問が続いている。「過去1年間に、飲み始めると止められなかったことが、どのくらいの頻度でありましたか?」「過去1年間に、深酒のあと体調を整えるために、朝、迎え酒をせねばならなかったことが、どのくらいの頻度でありましたか?」「過去1年間に、飲酒後、罪悪感や自責の念にかられたことが、どのくらいの頻度でありましたか?」「過去1年間に、飲酒のため前夜の出来事を思い出せなかったことが、どのくらいの頻度でありましたか?」

誓って言うけど、どれもこれも僕には「ない」である。ただ、アルコールの摂取量や飲む頻度については、大きなことは言えない。思えば、学校を出て22歳で就職し、自分のカネで飲めるようになって以来、これまで55年間、飲まなかった日がどれくらいあっただろうか。「休肝日」なんてことは夢にも考えなかった。飲まなかったのは目の手術や胃腸の検査などで入院した日ぐらいだ。合わせて2週間にもなるだろうか。

40歳代で経済記者をしていた頃、ビール会社の社長にインタビューしたことがある。社長が盛んにビールの効用を説くので、「僕は休日、大瓶で3〜4本は飲んでいます」と、合いの手を入れてみた。すると、社長から「それは飲み過ぎです。いけません」と真顔で注意された。当時は「サッポロジャイアンツ」という大瓶3本分の特大のビールがあり、休日にはひとりで抱え込んでいた。

最近はさすがに酒量が落ちている。それでも、ときどきビアホールに行ったとき、僕には生ビールの「大ジョッキ」がどうもまだるっこしい。とりわけ1杯目などは、あっという間にジョッキの底が見えてしまう。昔に比べて、ジョッキが小振りになったのではないかと疑っているが、それはそれとして、大ジョッキの代わりに「リッタージョッキ」というのをよく飲んでいる。名前の通りなら1リットル入っているはずだ。もちろん、大ジョッキよりも一回り大きい。

外で少し飲んで家に戻ってから飲むのは、もっぱらウイスキー。それも700ミリリットルが1000円ほどの安物だが、これも瓶の底がすぐに見えてきてしまう。1瓶が3〜4日しかもたない。これじゃ、せわしないので、2.7リットル入りの特大のペットボトルを買ってくることもある。

まあ、我ながら結構な酒量で、これらも真面目に申告してさっきの「自己判定」10問をやってみると、「健康被害の可能性が高い」ということになった。

先月、行きつけの病院で、半年ごとの血液・尿検査を受けた。少し心配しながら結果を見ると、90ほどの検査項目のうち、正常値を外れているのは2項目で、そのひとつがγ‐GTP(ガンマージーティーピー)だった。酒飲みが気にする数値で、僕は119と、正常値の10〜90を上回っていた。そのほか、やはり酒飲みに関係が深いALTとASTの数値は正常だった。

病院の医者はγ‐GTPについて何も言わなかったので、特に気にはならなかったが、念のためにネットで調べていると、高築勝義さんという医者の分かりやすい話が出てきた。いわく、γ‐GTPの値が上がっていても、ALTやASTの値が正常なら、それほど心配することはない。たとえて言えば、城(肝臓)に敵の軍隊(アルコール)が攻めてきて、城外で小競り合いしている程度と考えていい。

ただし、ALTやASTの値も同時に上がっているようだと、敵軍は城門を破って中に入り、暴れ回っている。死者やけが人も出ている。これを続けていると、肝炎や肝硬変へと進んでしまう場合もあるとか。ALTやASTの値が正常な僕にとっては、いたって心強いお話である。しかも、γ‐GTPというのは、ちょっと節酒すれば、すぐに下がるそうだ。

以上から見て、僕は確かにアルコール依存症ではあるが、懐が許す限り、これまで通りに飲み続けてよろしい。ただし、多少は量を減らせば、さらによろしい――そう結論づけている。