聞き書き「デイサービス」よもやま話 その3(完)

介護保険の影]

認知症がかなり進んでいる80歳代の男性。背中が痛くて座れないと訴えます。看護師を呼んで手当をしてもらうと、かなりよくなったようです。夕方、送り届けた自宅に、今日の様子を伝えるために看護師が電話しました。身元引受人の娘さんが電話に出たようです。

看護師は今日一日の経過を詳しく説明したあと、「幸い、昼食はきれいに召し上がりました」「明日は日曜日なので、お目にかかれませんが、月曜日にお会いできるのが楽しみです」などと話しています。

ただ、聞いていると、看護師が一方的に話すばかりで、相手が何かをしゃべっている様子がまったくありません。不思議に思い、あとで看護師に聞くと、相手は「うん、うん」と言うだけで、「ありがとう」の一言もなかったそうです。

胃がん末期の80歳代の女性。施設に来ている間に症状が思わしくなくなったので、救急車を呼んで入院してもらうことになりました。看護師の判断です。この女性には息子と娘が4人いますが、うち身元引受人の娘さんに電話して、入院の了解を取りました。

苦しむ女性を病院に連れて行き、入院が完了するまで、随分と時間がありましたが、4人の子供さんのうち誰ひとりとして、病院にやって来ませんでした。電話した娘さんの家は施設や病院から遠くはないし、その他の3人も住まいは東京都内かそのすぐそばです。入院の手続きなんて、施設に任せておけばいいや、ということでしょうか。

さっきの看護師が言います。彼女がこの施設で働き始めた10年ほど前には、夕方、親を迎えに来て、一緒に食事に行こうと誘う子供たちがいました。最近はそんな光景も見かけなくなったそうです。

また、息子さんや娘さんなど身元引受人に限らず、その他の家族の連絡先も施設としてはぜひ知っておきたいことです。でも、10年ほど前は、身元引受人の自宅と携帯、それに勤め先の電話番号に加えて、他の家族のものまで詳しく教えてくれたのに、最近は身元引受人だけの電話番号、それも自宅か携帯のどちらか1つだけという人が増えてきたそうです。個人情報はあまり知らせたくないということでしょうが、施設としては緊急の連絡ができず、困ることもよくあります。

介護保険って、素晴らしい制度だと思います。でも、そんな制度があるんだから、年老いた親たちの面倒は施設に任せておけばいいんだ、カネだって払っているんだから、という風潮が強くなってきたのではないでしょうか。介護保険のせいで親子の絆も薄れていっているのではないか、そんな気もします。

ところで、介護保険制度を利用するためには、市区町村役場で「認定」を受けなければなりません。支援や介護の程度が軽いほうから「要支援1、2」「要介護1、2、3、4、5」の7段階に分かれています。例えば「要介護5」の人は食事、排泄(はいせつ)、着替えなど日常生活のあらゆる場面で介護が必要です。

実際に施設の利用者に接していると、私にはこの「認定」にも納得できない点が出てきました。

まず90歳代の男性です。びっくりするほど元気で、かっこよく歩いています。どこも悪いとは思えません。女性と手をつなぐのが大好きだそうです。陽気で、施設に来るとみんなを楽しませてくれます。彼は「要介護4」です。生活全般にわたって介護が必要な人のはずです。

次は70歳くらいの女性です。もともと障がい者で、体が曲がっています。そこへパーキンソン病を患っています。入浴のときの着替えが大変です。彼女は「要介護2」です。私は「要介護4」か「要介護5」でもおかしくはないと思います。

最後は80歳くらいの女性です。半身不随です。片目が見えません。片耳も聞こえません。いつも目から、やにのようなものが流れ出ています。彼女は「要介護」より軽い「要支援2」です。彼女は「支援」ではなく当然「介護」の対象ではないか、と私は思います。

それはそれとして、元気いっぱいの先ほどの男性がどうして「要介護4」なのでしょうか。市区町村役場で認定する際、「介護」でも「支援」でもない「非該当」でもよかったような元気さです。認定の時には非常に体調が悪かったのが、奇跡的によくなっているのかもしれませんが、他の2人の女性に比べると不公平ではないでしょうか。コネのようなものが認定の際の「判断」に影響したのではないか。施設で私の周りにいる人たちはそんなふうに言っています。

以上で私の「デイサービス よもやま話」は終わります。お付き合いくださり、ありがとうございました。