続・非日常の9日間――「お通じはありましたか?」「お小水は?」

「お通じはありましたか?」。朝一番に僕のベッドにやってきた女性の看護師の第一声である。「いや、まだ・・・」と僕。右の肺に出来た腫瘍の除去手術で慶応義塾大学病院に入院中のことだ。

病院側の説明によると、手術時に麻酔を使う結果、腸の動きが低下し、便秘になることがあるそうだ。僕もそのせいだろう、手術後1日経っても、2日経っても「通じ」がない。普段はめったに起きないことだ。毎食後、下剤を飲まされているが、効き目がない。看護師がお腹を温めてくれたが、それでも駄目。自分で腹部を一生懸命にさすってみるのだが、通じの気配はいっこうに起こらない。揚げ句は下腹部が張って、少し痛くなってきた。

ふと、6年ほど前、中国南部の南寧で入院した時のことが脳裏に浮かんだ。当時、僕は日本語などを教える塾をこの地でやっていたのだが、ある朝、下腹部が痛くなり我慢できなくなった。病院に駆けつけ、いろんな検査の後、「浣腸」をやらされた。子どもの時以来のことだったが、おかげですっきりした。

下腹部が痛くなった原因は実にばかばかしいことだった。そのころ、エンドウ豆を乾燥して炒ったものを毎晩、酒のつまみにしていた。多い時には茶碗1杯分もつまんでいた。そのエンドウ豆が酒と一緒になって腹の中で膨れ、腸の「流通」を阻害したようなのだ。浣腸はベッドのそばのトイレに入って自分でやったが、病室には看病に来てくれた若い女性の塾生たちがいて照れ臭かった。

そんなことを思い出したので、手術後3日目の夜、看護師に浣腸させてほしいと頼んでみた。もちろん、自分でするつもりだった。すると、浣腸の代わりに「座薬」を持ってきて、「さあ、私が入れましょう」とおっしゃる。いや、いや、そんな恥ずかしいことを女性にやらせるわけにはいかない。「自分でやれます」と言って、ベッドで試してみた。

ところが、2度、3度とやってみても、うまくお尻の穴に入れられない。もう、やむをえない。観念して「すみませ~ん」と看護師を呼び戻した。やってもらって分かったのだが、座薬というのは、かなりお尻の穴の奥深くに差し込むもののようだ。僕はそれが分からなくて、穴の入り口でうろうろしていたのだ。

恥も外聞も捨てた(?)おかげで、その夜遅くやっと通じがあった。手術前から数えて、80時間以上が経っていた。翌日、座薬を入れてくれた看護師に会った時、「ありました」と報告したら、「よかったですね」と、満面の笑顔で喜んでくれた。

入院中、女性の看護師が入れ代わり立ち代わりやってきて、随分と世話になったが、退院して2週間、3週間と経つと、顔も名前もほとんど忘れてしまった。ただ、座薬の看護師の名前と理知的な顔つきだけははっきりと覚えている。

通じとともにもうひとつ困ったのはおしっこ、病院で言う「お小水」である。前回にも書いたのだが、手術の時に尿道に「カテーテル」なる管が入れられ、おしっこはそうした管を通じて、体につながった瓶の中に流れていってくれる。いちいちトイレに行く必要がなく、それはそれでラクチンだったのだが、手術後2日目にカテーテルがはずされた。

そして、自分でおしっこをしようとすると、尿道が飛び上がるほど痛む。看護師から「お小水はどれほど出ましたか」と聞かれたのだが、とんでもない。激痛のせいで、ほんの1滴、2滴で終わってしまう。ただ、この痛みのほうは何回かトイレに通っているうちに収まってきたのだが、もうひとつ困ったことが起きた。

通じがない時に、医師や看護師から「水をたくさん飲んでください」と言われた。確かにそうだと思い、病院内のコンビニから水のペットボトルを次々に買ってきて、がぶがぶと飲んでいた。そのせいだろう、夜中、ベッドに横になっていても、すぐにおしっこに行きたくなる。

時計を見ると、前回に行ってから30分ほどしか経っていない。こんなことを10回近く繰り返した。看護師から「お小水の量を記録してください」と言われていたので、トイレに備え付けの紙の計量カップでいちいち測っていたが、1回150~200ミリリットル。結構な量である。僕は年齢のせいか、普段からいくらかは頻尿気味だけど、こんなのは初めての体験だった。

お通じにお小水――入院前には想像もしなかった苦難だった。でも、退院すると、たちまちにして雲散霧消し、生活は「日常」に戻った。