脊柱管狭窄症を「友」として

10年前のクリスマスイブの日だった。中国・桂林の大学での日本語教師を辞め、同じ桂林で日本語、韓国語の塾を始めて間もない頃だ。生徒たちとレストランで食事をし、1キロほど離れたキリスト教会に向かって歩いていた。クリスマスイブにはきっと何か催しがあるはずだから、見に行こうということだった。

半分ほど歩いた頃、突然、両足が痺れ始めて、自由が利かなくなり、道路脇に倒れ込んだ。ほんの少し休むと回復し、また元通りに歩いたが、生徒たちを随分と驚かせてしまった。以後、年が開けて春節旧正月)に一時帰国するまで、もうそんなことはなかった。足の痺れを忘れかけてさえいた。

ところが、一時帰国して東京・池袋の東武東上線のホームで急行電車を待っていた時、またもや突然、両足が痺れ始め、その場に倒れ込んでしまった。すぐに立ち上がったが、たちまちまた痺れて倒れた。周りから「大丈夫ですか」との声が掛かった。ちょっと恥ずかしかった。幸い、次はなんとか立てたし、反対側のホームに準急電車が止まっていたので、それに乗り込んで腰掛けた。

大学病院の整形外科に行って診察を受けると「脊柱管狭窄症」だった。脊椎にあって神経を囲んでいる脊柱管が、加齢に伴って狭くなり、その結果、足が痺れたりする病気だ。手術する手もあるが、手術すれば必ず治るというものでもないらしい。整形外科の医師も「どうしますか? いつでも手術しますが、あなたの決断次第です」とおっしゃる。当分、様子を見ることにした。

整形外科医でもあった作家の渡辺淳一さんがいつか週刊誌のコラムに「脊柱管狭窄症になったが、手術では治らないことを外科医である私自身が知っている。だから、手術なしで自分で治してしまった」と書いていた。ただ、具体的な方法は何も書いてなかった。いつか渡辺さんに会ってその方法を教えてもらいたいなあと思っていたが、そのうちにご本人が亡くなってしまった。

手術で必ず治るとは言えない。そんなことがあってか、巷の健康雑誌はよく「こういう体操で治る」「こういう姿勢で治る」とかいった特集をやったりする。その方法で治ったという人たちの喜びの談話も載っている。同様の単行本もある。僕も読んで試してみたりするが、真面目にやらないせいもあってか、効き目はまずない。効く人、効かない人があるのかも知れない。

そんな中で「効果があるのでは」と思っているのが、写真のような三角形の台に立つことだ。愛知県で「スポーツマッサージ」なる看板を掲げている友人に相談したら、「これを試してみたら」とプレゼントしてくれた。写真左奥の突起のようなところに両方のかかとをつけて立つのだが、これが年寄りには案外と難しい。最初は体を前に曲げたうえ、何かにつかまっていないと立てなかった。それが、何年かやっているうちに、何にもつかまらないで、ほぼ真っすぐに立てるようになった。両足の後ろの筋が引っ張られて、やや痛いけど気持ちがいい。

でも、この三角台だって決して万能ではない。ちょっと長い距離を歩くと、10年前のような極端なことはなくなったけど、日によってはちょくちょく痺れてくる。ただし、少し重めのリュックを背負って、両手に何も持たずに歩くと、痺れてくることが割合に少ない。ずっとなんともないので、「おや、治ってしまったのかな」と思うことさえある。素人考えだけど、背中に当たるリュックが脊柱管に微妙な影響を与えているのではないだろうか。定期の検診で大学病院に行った折、そんな話をすると、「あなたも脊柱管狭窄症との付き合いに慣れてきましたね」と、担当の医師から褒められたりする。

最近、その付き合い方でもう一つ見つけたことがある。自宅近くの池の周りで時々、何キロかのジョギングをしてきたのだが、途中で足に痺れが来たりしたら、うんざりする。しばらく休めば元に戻るのだけど、やる気が失せてしまう。で、ある日、何キロかを続けて走るのをやめて、試しにほぼ100メートルを自分なりに全力疾走(?)してみた。こいつを5回、6回・・・9回、10回とやったが、痺れはいっこうに来ない。これも素人考えだけど、全力疾走している時の姿勢が影響しているのではないだろうか。

ついでに自分の腕時計でおおよその速度を測ってみたら、我ながらそう悪くはない。すぐ悪乗りしがちな僕は「マスターズ陸上」を思い出した。100歳を超えるまで5歳刻みで競い合う陸上競技の大会で、100メートルなら僕でも割合にいい線にいけるのではないだろうか。早速マスターズ陸上の男子100メートルの日本記録を調べてみたのだが、なんとなんと、僕と同じ70歳代は13秒台である。僕が今の速度をあと15年か20年、維持し続けたら、その年代の日本記録に届きそうだが、なんとも難しい話だ。

そんなわけで、当面の夢は消えたが、脊柱管狭窄症とはいろいろ工夫しながら、これからも「友」として付き合っていこうと思っている。工夫次第では、そのうちに相手が愛想をつかして「絶交」してくれるかも知れない。