ついに「脊柱管狭窄症」の手術をすることに

僕が長年、「脊柱管狭窄症」に悩まされていることは、これまでに何度も書いてきた。神経をおさめている脊柱管が、加齢に伴い狭くなって神経を圧迫し、おかげで、歩いていると足が痺れてきたり、痛くなったりする。調子のいい折にはかなり続けて歩けるけど、時にはそれこそ数十メートルごとに立ち止まって休まないと歩けなくなる。

発症したのはもう10年以上前のこと、中国・桂林で日本語の塾を開いていた時だった。塾の生徒たちと一緒に街を歩いていたら突然、足が痺れだし、道端に倒れこんでしまった。しばらく休んでいると、また普通に歩けたが、それからは似た症状がときどき現れるようになった。

以後、日本にいる折には、半年か3か月に一度、慶應義塾大学病院の整形外科に通い、レントゲン写真を撮って、病状の進み具合を見たりしてきた。ただ、医師から「手術をしますか?」と聞かれても、いつも「いや、もう少し様子を見ます」と答えてきた。なんとか、運動や体操で治したいと思っていた。慶応病院に通うのは、どうしようもなくなり、いざ手術という場合に備えてといった気持ちが強かった。

で、友人のマッサージ師に教えを請うたり、体操で治したという昔からのサッカー仲間にそれを実演してもらったり、あるいは「こういう体操がいい」と勧める指南本を買ってきたり、それこそ「溺れる者は藁をもつかむ」といった感じでいろいろ努力してきた。時には「あれ、最近は調子がいいな。これだと手術しないで済むかもしれない」と思うこともあった。

だけど、それも長続きしない。それどころか、最近は調子の悪い時が「常時」といった感じになってきた。歩き始めは大股で速く歩けるのだが、しばらくすると、痺れてきた足をかばいながらでないと歩けなくなる。街中で周りを眺めると、僕より遅く歩いている人なんて、まずいない。どんなおじいさん、おばあさんでも僕よりは速く歩いていて、やがて後ろ姿が見えなくなってしまう。悔しい。ジョギングをしている人を見ると、ほんとに羨ましくなる。

でも、家に籠っているのは嫌なので、1日に外で1万歩以上は歩くようにしているが、これが結構つらい。残念だが、「白旗」を上げよう。これ以上、頑張っていても、大きく改善できる見込みはなさそうだ。

それで先日、慶応病院の整形外科に定期の健診で行った折に、医師に「いよいよ手術をお願いします」と告げた。すると、医師は「じゃあ、まず2泊3日で検査入院していただき、それから……」と、実ににこやかに応対してくれた。笑顔の裏には「長い間、手術を拒否していたけど、ついに降参したな。もっと早くしておいてもよかったのに……」といった気持ちがあったかもしれない。検査入院とその後の手術は8月か9月になりそうである。

以前に書いたことがあるが、僕は昨年5月、同じ慶応大学の呼吸器外科に入院して、右肺の腫瘍の除去手術をしたことがある。担当の医師の話だと、「脊柱管狭窄症の手術に比べれば、肺の腫瘍の除去手術なんて、簡単なものですよ」ということだったが、本人からすると、決してそうではなかった。そんなこともあって、なかなか決心がつかなかったのだが、もう降参である。

そうは言っても、手術の実際はどうなのか、経験者の話を聞いてみたいものと思っていたら、関西在住で、僕より10歳ほど若いいとこが以前に経験していたことが分かった。さっそくメールで問い合わせてみた。すると、手術は全身麻酔で3時間、あとは翌日までHCU(High Care Unit)室で過ごしたとのこと。日本語でいえば、高度治療室だ。よく聞くICU(Intensive Care Unit)室、つまり集中治療室よりも重篤度が低い患者の面倒をみるところだそうだ。

HCU室を出て病室に戻ってからは、痛みが出たり収まったりする中でのリハビリ。何日も手術跡からの出血が止まらず、大変だったとのこと。結局、10日あまりで無事退院したが、「私は手術が成功しましたが、術後の後遺症で長くリハビリを続けている知人もいます。最新の手術設備と確かな執刀医のいる病院を選んでください」と結んであった。

僕は慶応病院では、さっきの右肺の腫瘍除去手術のほか、網膜剥離などの目の手術も3回やっている。どれも成功したから、この病院を信用はしているけれど、人間のやることである。今回も100パーセント成功するとは言い切れない。でも、その心配よりも、痺れや痛みなしで歩けるようになる、走れるようになる、そんな期待のほうがずっと大きい。できれば、しばらくやめていたサッカーも再開してみたい……と、もっぱら明るい未来を思い描いている。