「時勢」との付き合い方

映画『ゴジラ−1.0』を見に行った。アカデミー視覚効果賞とやらを受けた作品である。そして、切符を買おうとすると、売り場の若い男性が「4DXですが、よろしいでしょうか? 別料金も千円掛かりますが…」と尋ねる。エッ、それは知らなかったけど、4DXという言葉自体は一応知っている。

つまり、映画のシーンに合わせて、座席が前後、上下、左右に動いたり、水滴が降ってきたり、時には何かの匂いがしたり、さらには映像が飛び出して見えたり…という体感型映画のことだそうだ。ただ、実際には見たことがない。僕にはこの種のものに対する進取の精神がいささか乏しいのか、見たいとも思わない。あとで知ったことだが、老人にはお勧めではないらしい。ショックで倒れられたら困るからだろうか。

それに、座席が前後などに動くなんて、そもそも気持ちが悪いのではないか。いったいどこがいいのか? 僕は好きじゃないなあ。切符売り場の男性にそう言うと、「じゃあ、装置が故障している座席がいくつかあります。この座席の切符は売らないのですが、通路を挟んで、そのすぐ隣の故障していない座席をご用意します。ただし、上映中はそこを使わないで、故障した座席のほうにお座りになってはいかがでしょうか」とのこと。それでも千円の別料金は必要だったが、引き返すのも馬鹿らしいので妥協することにした。

とは言え、僕はケチな性分だから、みすみす千円を損するのも悔しい。そこで上映中、本来の隣の座席に時々、手を伸ばして触れてみた。すると、ガタガタと揺れている。男たちが船に乗ってゴジラと戦っている場面だ。水滴もいくらか降ってくる。少しだけ千円を取り戻した気分になった。なお、あとで知ったことだが、この映画は4DXでも正しくは4DX2Dで、座席が動いたりはするが、映像が飛び出してくることはなかった。

さっき、僕には進取の精神が乏しいと書いたが、もう少しカッコよく言うと、新しい「文明の利器」なるものが出てきたからと言って、すぐに飛びついたりはしたくない。みっともない。「時勢」には半歩か一歩、遅れてついていけばいい。どうってことはないはずだ。だから、パソコンを使い始めたのもかなり遅かった。そろそろ潮時かなあと思って、当時勤めていた新聞社の僕の机にパソコンを置いたら、周りがびっくりしていた。

スマホも使い始めはわずか5年ほど前だった。普及率が8割になったそうなので、「じゃあ、仕方がないか」と、手にすることにした。もっとも、アプリを軒並みに使っているわけではない。それどころか、SNSのLINEとかX(Twitter)、FacebookInstagramとかには全く縁がない。使っているのはメール、ニュース、Google、それに歩数計など、ごくごく限られている。スマホの機能の十分の一か百分の一かもしれない。いや、もっと少ないかもしれない。パソコンも同様である。パソコンやスマホの値段に比べれば、まことにもったいない話ではある。

あ、そうだ、ひとつ自慢もないことはない。日本人の皆さんがあまり使っていないもので、「中国版LINE」とも言われるWeChat(微信)がある。中国や日本にいる教え子とやり取りするのに便利そうなので最近、使うことにした。このWeChatで先日、上海にいる教え子から「仕事に使いたいので、何々の写真を撮って送っていただけないでしょうか」と頼まれた。簡単に引き受けたものの、さて、WeChat用の写真はどのようにし撮るんだっけ? 送信のやり方は? としばらく悩まされた。情けない話である。

僕はいわゆる「文明の利器」に対しては半歩か一歩遅れてついていくのが主義だけど、「ものの考え方」はスマホなんかとは逆にしたいと思っている。例えば、選択的夫婦別姓制度や同性婚などについては、旧弊にとらわれず、こちらは「時勢」より半歩か一歩先を歩いていきたいと考えている。

ただ「ものの考え方」に比べ「文明の利器」の進み方はあまりにも早い。僕は「茶寿」の108歳まで生きることを目指しているが、その頃、AI(人工知能)はどこまで進んでいるだろうか? 想像もつかないが、半歩か一歩遅れでついていけるといった、のんびりとした状況ではとてもないだろう。多分、逆立ちしても、僕はついていけない。いっそのこと、生きる目標を99歳の「白寿」あるいは90歳の「卒寿」あたりに前倒しして、そんな時代を見ないようにしようか……なぞとも考え始めている。