後期高齢者の求職奮戦記

新聞に挟み込まれたタブロイド版の求人情報紙をめくっていたら、わが家からそれほど遠くはない所にある「グループホーム」が正社員とパートの介護職員を募集していた。しかも、パートのほうは「無資格・未経験の方も歓迎」とある。

僕は去年、「介護職員初任者研修」を終えている。つまり、最下級とはいえ、立派な有資格者である。経験のほうはやはり去年、あるグループホームで1日実習しただけだが、慣れればなんとかなるはずだ。

高齢化が急速に進むいま、施設での介護を若い人たちだけに任せておくわけにはいかない。僕のような後期高齢者でも元気な者は介護に携わるべきである。それが「持論」の僕はときどき、あちこちの介護施設に「雇ってくれない?」と声をかけている。ところが、76歳という年齢を伝えると、たちどころに断られてしまう。門前払いである。

だが、今回、求人情報紙で見たグループホームは僕でも雇ってくれそうな感じがする。広告の文面が柔らかである。いろいろ交渉してみると、案の定、「70歳代でも断りません。一度、ボランティアで働いてみませんか」と言ってきた。

グループホームとは「介護保険法」では「認知症対応型共同生活介護」を行う施設のこと。普通の住まいと同じように居間があり、利用者は個室を持っている。定員は5〜9人。認知症の利用者が共同で生活し、それを介護職員が支えていく。

僕が応募したグループホームからは、午前7時15分から午後4時15分までの「早番」の勤務に入るように言ってきた。ほかには「日勤」「遅番」「夜勤」がある。定刻の少し前にグループホームに着くと、50歳代のKさんという女性が迎えてくれた。彼女も早番で、朝から夕方まで女性8人、男性1人、計9人の利用者の世話をする。僕はその彼女について回るのだが、いわば「採用試験」である。

ちなみに、このグループホームは利用者を入れる棟が2つあり、それぞれに介護職員がいる。僕はその1つで働いたのだが、もう一方の棟も利用者は女性8人、男性1人の計9人とのことだった。

さっそく「起床の手伝い」が始まった。午前8時からは朝食なので、まだ寝ている人を起こして回るのだ。たった1人の男性もまだベッドの中だった。Kさんは汚れているおしめも取り替えた。その折、ポリエチレンの手袋をした指で、男性のおちんちんをひょいと摘み上げた。6年目というベテランだけに、ためらいも何もないみたい。もう1人、まだ寝ている女性がいた。やはりおしめを取り替えた。

Kさんは僕には「やれ」とは言わない。僕は見ているだけである。おしめはまだ無理だと思っているのだろう。昼間、女性の下着の着替えは「助けてあげて」とだけ言って姿を消した。また、廊下の掃除など簡単なことは「やれ」の指示が飛んできた。採用試験に通るために、僕は素直に従った。

朝食は食堂を兼ねた居間でだった。さっきの男性は車椅子で、女性2人とおなじ卓についているが、まだ眠っている感じで、食はあまり進まない。Kさんがしきりに介助している。

残り6人の女性は別の卓についている。だんだん分かってきた。この6人組も半分が車椅子だが、まだ認知症が比較的軽い人で、男性を含んだ3人組はそうではない人たちのようだ。そして、皆さん、80歳代が中心と思われるのだが、ほとんどしゃべらない。食後もじっと椅子に座ったままである。このグループホームの案内には「食後の団らんでは会話が弾みます」とあるが、そうではなかった。

グループホームでは利用者自らが食事の献立を考え、買い物にも行って料理を作ることもある、と介護職員初任者研修では教わった。自分たちでやれることはできるだけ自分たちでやることによって、認知症の進行を遅らせるためだ。だけど、このグループホームではそういうこともないようだ。昨年実習したグループホームでもそうだった。せいぜい濡れた食器を拭くくらいだ。「理想」と「現実」には大きな差がある。

居間のテレビは「夏の甲子園」を写しているのだが、誰も関心を示さない。ちょっと心配になり、日勤で僕より遅くに来た40歳代の男性Sさんに「チャンネルを替えたほうがいいのでは?」と聞くと、「どれにしても同じです」とのこと。「おじいちゃんと話してたら気がつくと夕方、そんな日常がグループホームの1日です」と、このグループホームの案内にあったが、これも事実ではなかった。

朝食時と昼食時の皿洗いは僕から申し出て、積極的にやった。このグループホームでは朝食は夜勤の人、昼食と夕食は調理専門の人がつくり、職員も一緒に食べる。1棟に総勢十数人だから、お盆なども含めると、皿洗いの対象は100に近くなる。しかも、どんなものにもいちいち洗剤を使うから、なおさら大変である。

2日後、グループホームの「ホーム長」から電話があった。「いかがでしたか」と聞かれたので、「なかなかに大変な仕事ですね」と言うと、いきなり「そうですか。では、この話はなかったことに」とのこと。不合格だと言うのである。

それにしても、「話はなかったことに」なぞと、随分と失礼な言い方をする男である。同じく断るのでも、もう少し別の言い方があるはずだ。当日、このホーム長には会っていないから、僕の先生役のKさんがホーム長に「あの男は駄目です」とでも報告したのだろうか。

イソップ物語「キツネとブドウ」のキツネのような気持ちになってきた。どんなに飛び跳ねても手が届かなかったブドウを「酸っぱい」とけなした、あのキツネである。「断られて、かえってよかった。あのグループホームは利用者がみんなうつむいていて、暗い感じだ。責任者もよくない。働いても、あまり楽しくないだろう」。そうつぶやきながら、今日も求職情報紙をちらちらと眺めている。