僕の「葬儀計画書」

夜、布団に入った時の僕はいつも「今日も飲んだ、飲んだ。極楽じゃ、極楽じゃ。悩みごとも一切なし……」と、すぐに寝入ってしまう。ところが、朝、目覚めた時には、「そうだ、僕の葬儀のやり方をもっときちんと詰めておかなくちゃ。残された人たちが苦労するぞ……」と、このところ逆の思いにとらわれる。目覚めがいささかよくない。

もちろん、何事にも計画的な(!?)僕のことだから、葬儀のやり方についても一応の計画書は作っている。久しぶりにそれを紐解いてみると、最初に作ったのはちょうど10年前だ。葬儀の場所は築地本願寺にしてほしいと書いてある。著名人の葬儀も多いお寺だが、何もそれを真似したいわけではない。関西方面、九州方面から来てくれる人を、わが家のある埼玉の片田舎まで呼ぶのは申し訳ない。築地本願寺なら、都心で便利だし、「場外市場で買い物をするついでに、葬式にも出られる」と思う人もいるだろう。

計画書には、葬儀の部屋も「〇〇の間」がいい、との指示がある。当時、寺の中を見学した結果で、なんでも「80~100人が収容でき、清めのための洋間と控室に使う和室がついていて、ロビーも結構広い、使用料は……」と説明している。ただ、当時はコロナ禍のずっと前で、最近流行の「家族葬」なんてことは考えなかった。でも、今は家族葬が主流みたいだ。先般も、新聞社に勤めていた頃、親しくしていた人が亡くなったので、いざ葬儀に出かけようとしたら、「家族葬なので……」とのメールが入り、慌てて出席を取りやめたことがあった。

そんなこともあって、僕も今や「家族葬がいいかなあ」と思っている。何よりも簡単で、費用は減るし、僕個人の葬式で他人様にかける迷惑が少なくなる。さっきの計画書には、葬儀の案内を出す相手がたくさん記してあったが、家族葬にすれば、これも随分と減っていく。葬儀の部屋ももう少し狭いところにしたい。さっそく検討しよう。

葬儀につきまとう面倒な問題のひとつは、いわゆる「戒名」である。わが家は浄土真宗なので、戒名ではなく「法名」と呼ぶのだが、これには不愉快な思い出がある。もう30年以上も前のこと、大阪在住の父親が亡くなり、長男の僕が喪主になった。埼玉から駆けつけると、僧侶が二人やってきた。一人は地元・大阪の寺から、もう一人は先祖代々、わが家が世話になったという和歌山の寺からだった。父親の両親は和歌山出身である。

そして、二人がこもごも言うには――お父様は立派な方でしたから、「釋○○」という本来の法名だけでは不十分で、その上に「○○院」なる院号をつけたい。つまり「○○院釋○○」という立派な法名になる。ついては50万円が必要ですとのこと。院号なんて、言ってみれば、僧侶の金儲けのタネだろうから、バカバカしいけど、カネは父親の残したものから払う。世間体というものもある。僕はOKしたけど、二人の僧侶の話はまだ続いた。

和歌山の寺は「法名をつけるのは先祖代々、お付き合いしてきた私たちの役目です」と言う。一方、大阪の寺は「いやいや、昭和の御代になってからお付き合いしてきたのは私たちです」と言う。つまり、50万円はそっくり自分に寄越せと主張する。僕はあきれてしまったが、ふと、妥協案が浮かんだ。「じゃあ、法名の上の方はそちら、下の方はこちらにつけてもらいましょう。おカネは25万円ずつでいかがですか」と言うと、二人とも即座にOKした。二人は事前に打ち合わせしてきたようでもあった。

どうやら、死んでから法名とかを僧侶に頼んだら、随分と高くつく。調べてみたら、生前につけたら、安くてすむらしい。そこで、もう15年前のことだが、ついでの折に京都の西本願寺に行き、1万円を払ったら「釋宗道(しゅうどう)」という「味わい深い法名」をつけてくれた。もちろん、院号はない。宗教心のほとんどない僕には、釋宗道だけでもバカバカしいが、50万円やそこらを取られるよりはまだましである。

だが、まだ安心はできない。和歌山と大阪の寺が僕の葬儀をかぎつけ、僧侶たちが東京の築地までやってきて「院号を……」と言い出したらどうするか。交通費、宿泊費も当方の負担になるだろう。それに、僕の葬儀での読経は築地本願寺の僧侶一人にしたいのだが、当然、彼らも読経に参加するだろう。またカネがかかる。とにかく、僕の葬儀が連中に伝わらないよう、関係方面に固く口止めしておく必要がある。

あれやこれや、葬儀計画書の書き換え・修正はぼちぼち進んでいる。おかげで、最近は朝の目覚めが少しはよくなったようである。