仏教徒たちの会食

地方に住んでいる中国人一家から「東京に1泊で旅行します。浅草見物です」と言ってきた。30歳代の夫婦と3歳の娘さん、夫の60歳代の母親の4人家族で、妻のLさんが中国の大学での僕の教え子である。

Lさんは日本に留学してそのまま働いていたが、中国に戻って結婚し、最近はまた日本で勤めている。夫は日中を行ったり来たりとのこと。2年前、中国に遊びに行った折にはこの一家に随分とお世話になった。お返しはまだしていない。

「じゃあ、東京では僕のおごりで夕食を」と言ったものの、そう簡単にはいかない点がひとつある。一家は「仏教徒」で(詳しく言うと、チベット密教の信徒で)殺生はご法度、肉や魚、それにアルコールは口にしない菜食主義者なのである。

「家では何を食べているの?」と聞くと、「白菜、キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、豆腐、厚揚げ、油揚げ、モヤシ、キクラゲ・・・」がすらすらと出てくる。「中国から持ってきた大豆類や山菜の干し物もたくさんあります」と言う。

さて、東京ではどこにお連れしたものか。精進料理がいいのだろうが、調べると一人前1万円から1万5千円もする。Lさんは「心配しないで下さい。それこそ道端の店でいいんです」と言ってくれている。

当日の夕方、宿泊先の浅草のホテルで落ち合い、「道端の店」を探して、街をぶらぶら歩き始めた。レストランの入り口にある「サンプル」をひとつひとつ眺めた。でも、肉や魚の料理が目立つ。どうも入りづらい。昼食はうどん屋に入ったとのこと。なるほど、キツネうどん、山菜うどんなんて、菜食主義者にぴったりだ。

Lさんが「回転寿司でも」とつぶやいた。えっ、あれは魚そのものじゃないの? そう言ったら、同じ回転寿司でも「キュウリののり巻き」とか、魚に関係のないものを食べればいい。一家でときどき出かけるそうだ。

さらに歩いていくと、回転寿司はなかったが、「スパゲティとパスタ」の店があった。サンプルを見ると、肉類はあまり使ってないようだ。よし、ここだ、と衆議一決。テーブルについてからLさんと夫はメニューの写真を眺めながら、肉類のなさそうな、あるいは少なそうなスパゲティやピザを選んでいる。肉類があっても、少しくらいなら取り除けばいい。

僕は「ミラノカツレツ」という肉そのものを注文した。菜食主義者への対抗心があったのかもしれない。

で、「飲みものは何にします?」と聞くと、「水だけでいいです。私たちはいつもそうです」とのこと。これは困った。みんながジュースでも注文してくれたなら、僕も生ビールをと考えていた。だが、みんなが水では、そういうわけにもいかない。僕も水で我慢するしかないか。

すると、Lさんが助け舟を出してくれた。「先生、ビールは?」。夫も「どうぞ、どうぞ」と言う。皆さんがそうまでおっしゃるなら、ということで、やっと生ビールの大ジョッキにありついた。ただし、2杯目は遠慮した。

生ビールを傾けながら、ふと思い出した。実は僕も宗派は違うけれど、Lさん一家と同じく「仏教徒」なのだ。浄土真宗で、それが今の今まで頭の中から消えていた。しかも、10年ほど前には京都の西本願寺仏弟子になる帰敬式(ききょうしき)に出て、法名(戒名)もつけてもらっている。

ただ、これは仏の道に進もうとかいった高尚な気持ちからではなかった。死んでから法名をつけると、少なくとも何十万円かはお寺に取られる。でも、生きているうちにつけておけば、安くつく。なんともセコイ気持ちからで、現に帰敬式で寺に払ったカネは1万円だった。Lさんたちとは「程度」がまったく違うなあ。

そんな物思いにふけっていると、「アーメン」という場違いな声が響きだした。3歳の娘さんからだ。聞けば、自宅近くのカトリック系の保育園に通いだしたとのこと。一家で最も熱心な仏教徒である父親、つまりLさんの夫とともに、身振り手振りで「アーメン」を披露してくれる。

仏教徒なのに、いったいどうしたの? だが、Lさんは「仏教は基本的には寛容な宗教です。娘がアーメンを唱えることにまったく抵抗は感じません。ちなみに、私たちはイエス様をお釈迦様の分身だと見ています」と、さりげない。

宗教についての僕の無知が恥ずかしくなってきた。こんど、Lさんたちと会うときには、仏教それにチベット密教について、少しはまともなことが話せるよう、勉強しておこう。そう思わされた「仏教徒たちの会食」であった。