コロナ禍2年目の「床屋談義」

新型コロナウイルス感染症が中国・武漢から世界中に広まって1年が経った。世界の感染者の累計はすでに1億人を超え、人類の78人に1人が感染している。国内でも1月末現在、感染者数累計は40万人に迫り、国民のほぼ300人に1人が感染したことになる。

僕が住んでいる埼玉県川越市でも、これまでに同じくほぼ300人に1人が感染している。我が家のある団地の人口は4500人ほどだから、この比率を当てはめれば、住民のうち15人が該当者である。しかも、65歳以上の高齢者が半分に近い団地である。亡くなった方もいらっしゃるかもしれない。新聞をめくっていると、散歩の途中でときどき前を通る病院では20人近いクラスター(感染者集団)が発生している。昔、酔っぱらって帰宅する途中、家の近くで車にはねられ、救急車で運ばれた病院である。いま同じことが起きれば、救急搬送を拒否されることだろう。

いやはや、感染症もますます身近になってきたなあ。そう思いながら、我が家に近い行きつけの散髪屋に入った。いわゆる「1000円カット」の店で、40歳がらみのお兄さんが一人で切り盛りして、なかなかに賑わっている。話は自然にコロナ禍のことになった。

我が家の近くを走る鉄道の沿線は大学が多いのだが、彼によると、某大学の野球部でもクラスターが発生している。「エッ、そんなこと、新聞の埼玉版にも載ってないぞ。どうして知っているんだい?」と尋ねると、「その野球部にいる学生が散髪に来て、教えてくれました。本人は陰性なんですが、彼によると、陽性の学生がコンビニで買い物をしている。そんなことしていいの? そう聞くと、だって、誰も食事の世話をしてくれないから、仕方がないんだ、と答えたそうです」。症状が軽いか、あるいは無症状なので、最近、流行?の「自宅療養」をさせられているのだろうか。そうなら、気の毒なことだけど、他人にうつす恐れも十分にある。

話はワクチン接種のことに移った。散髪屋のお兄さんは「医療従事者の次は優先的に高齢者に接種すると言っていますが、そうではなくて、私はこうした若者を優先すべきだと思うんです。日本の将来のことを考えればね……」。老い先の短い高齢者を優先するのはおかしい、無駄遣いだ、とまでは言わなかったけど、彼の口振りや手元は熱を帯びてきた。……おいおい、注意してくれよ、ハサミには。実は僕も彼の説に賛成である。

菅義偉という首相は優しい人で、まず高齢者(本人もそうだけど)を大事にしたいのだろうけど、高齢者優先にはもう一つの狙いが隠されている気がする。それは「副反応」のことだ。世界的にワクチン接種は始まったばかりで、副反応がどうであるかは、まだよく分かっていない。そこで、高齢者に優しいふりをしながら、それを試してみる。いわば実験台である。もし、深刻な副反応がいくつか出ても、そんなに非難を受けることはないだろう。これからのワクチン接種にとって大いに参考になる。「一石二鳥」ではないか。

まあ、これは冗談半分としても、若者、そして働き盛りの人たちに優先して接種すべきというのは、真面目で筋が通った話である。緊急事態宣言下、新聞やテレビで朝の出勤時の光景を見ると、テレワークなどでいくらか減ってはいるのだろうけど、どこもかしこもが人々でごった返している。まさに「密」いや「超密」である。感染が広がらないほうがおかしい。最近、家庭内感染が増えているそうだが、おそらくそうした人たちが家庭にウイルスを持ち込んでいるのだろう。

一方、僕のような高齢者が「密」や「超密」を避けるのはそう難しいことではない。生活のためには仕方がないという方もいらっしゃるだろうが、人混みへの外出を自粛すれば済むことである。従って、感染の危険性も小さい。つまり、若者や働き盛りの人たちに優先して接種すれば、この人たちが感染する割合が下がり、家庭へのウイルスの持ち込みも減る。ひいては、感染拡大防止にはより効果的なのではないだろうか。

ところで、散髪屋の彼は西日本の離島の出身である。話が一段落してから聞いた。「正月、島に帰ってきたの?」。「帰っていません。島はそれどころではなかったんですよ」。彼によると、帰省客を乗せて島に向かう船の中で、クラスターが発生した。それは帰省客がもたらしたものだったとか。おかげで、島はそれこそ上へ下への大騒ぎ。「帰省客がいた家はその後、『村八分』になっているようです」

実に久しぶりに、村八分なんていう言葉を聞いた。新型コロナウイルス感染症のおかげで世の中は随分とげとげしくなってきているなあ。みんなが「被害者」のはずなのに……。散髪屋の彼は続けた。「自粛警察じゃないけど、ここにも怒鳴り込んでくる人がいましてね。70歳くらいのおじいさんでした。お前たちがこうやって営業を続けているから、病気がはやるんだって言うんですよ。お客さんの手前、毅然としたところを見せないわけにはいかないから、あなたこそ、不要不急の外出を控えたらどうですかと言って、お引き取り願いましたがね」

この「1000円カット」の店では、散髪は15分足らずで終わってしまう。もう少し「床屋談義」を続けたかったが、そうはいかない。ただ、お兄さんのワクチン接種についての主張に賛同したせいもあるのだろう、「お客さんは考え方が柔軟で、尊敬しています」というお世辞に送られて、店を出たことだった。