続・コロナ禍2年目 「官庁用語にイライラ」

この1月7日、政府は新型コロナ感染症の拡大を受けて、2度目の緊急事態宣言を首都圏などに「発出」した。「発令」ならまだ分かるが、「発出」とは聞き慣れない言葉である。昨年、最初の緊急事態宣言を出した時も同じ「発出」だった。字面から見て、意味は想像できるが、ふだん僕が手元で使っている「岩波国語辞典」(第7版)にも載っていない言葉である。

翌8日の新聞を見ると、毎日、読売、日本経済、産経、東京の各紙は「発出」を使わず、緊急事態宣言を「発令」あるいは「再発令」としていた。朝日新聞に至っては「緊急事態宣言を出した」あるいは「緊急事態を宣言した」と、実に簡単である。また、東京都のホームページを見ても、「今、緊急事態宣言が発令されています」として、都民に協力を呼び掛けている。どこもかしこも、政府の「発出」を無視している。せめて、最初から「発令」を使えば、政府もここまで恥をかかなくて済んだのにと思ってしまう。

政府の気持ちを忖度すると、「発令」には「命令」の意味もある。一方で、緊急事態宣言は「何々してください」などと、国民に「要望」「お願い」している。そこで、命令の感じを消したかったのかもしれない。しかし、「緊急事態宣言を発出する」とは、なんとも大げさである。実に重々しい。政府が何か立派なことをやっているように聞こえる。そっちのほうが政府が望んだことかもしれない。そう勘ぐってしまう。身びいきになるけど、朝日新聞のように「緊急事態宣言を出す」「緊急事態を宣言する」と言ってくれれば、国民のほうももっと協力する気持ちになったかもしれない。

これに限らず、今回のコロナ禍のもとでは、どうもしっくりしない言葉が多すぎる。その一つが「濃厚接触者」である。例えば、「男性Aと女性Bが濃厚接触者だった」と報じられると、僕がスケベなのかもしれないが、何かあらぬことを想像してしまう。

しかし、言うまでもなく、本当はそうではない。「濃厚接触者」とは、例えば「陽性の人と1メートルほどの距離で、マスクなどはしないで、15分以上の接触があった人」である。あるいは、陽性の人と同居していたり、航空機や車内で長い時間、一緒だったりした人である。英語では「close contact 」と言うそうだ。今や、僕のような想像をする人はいないだろうけど、もう少しまともな日本語にできないだろうか。いい案はないのだけど、例えば「近距離接触者」「近隣滞在者」などはどうだろうか。自信はないけど、「濃厚接触者」よりはいいと思う。

これに似た言葉で「ソーシャルディスタンス」、最近では「フィジカルディスタンス」なんていうのも、なんとかしてほしい。「濃厚接触者」に比べれば、日本語にするのはずっと簡単だ。「対人距離」とか「他人との距離」でもいいし、「車間距離」にならって「人間距離」という新語を作ってもいい。ここでは「人間」は「じんかん」と読んでもらう。

「不要不急の外出自粛」というのも気に食わない。先日、朝日新聞の声欄に「不要不急の具体例がよく分からない。具体例を示して、国民に判断材料を与えるべきではないか」との投書が載っていた。この人は「例えば、1人での外食、1人での散歩、日中すいている電車での1人の外出は控えなくてもよい、などの具体例を示してほしい」というのである。しばらくすると、別の人の投書が載った。「不要不急には個人差があります」「政府の『具体例』がいつの間にか『規制』になり、従わない者には罰則なんてことになるのはご免です。自分の頭で考えることが大事ではないでしょうか」

どちらのご意見ももっともである。だが、僕がけしからんと思うのは、政府は「不要不急の外出自粛」と唱えるだけで、あとは国民の皆さん、ご勝手に、といった感じであることだ。もちろん、「食料品を買いにスーパーに行くのはいい」とか、「通院はOK」などの例示は出ているけれども、何がいいのか、あるいはよくないのか、一緒に考えようといった姿勢が感じられない。あなたの外出のせいで、感染症が拡大したら自業自得です、自分でよく考えなさい、政府は知りませんよ、といった「上から目線」を感じてしまう。もっと穏やかで誠意のこもった言い方があるはずである。

あれこれ考えていると、イライラするのだけど、今回の一連のことはまあ大目に見るとしよう。でも、このような感染症の流行はいずれまたやってくるだろう。その時に備えて、どう訴えれば、国民に政府の気持ちが伝わり、協力が進むのか、政府にはもう少し言葉の勉強をしておいてほしいのである。