ビールは「大瓶」に限る

僕はビールが大好きだ。もし神様が「酒類は何かと弊害もある。ついては、1種類しか認めないことにしたい」とおっしゃったら、僕は間違いなくビールの存続をお願いする。日本酒やワイン、ウイスキーも好きだけど、なくてもなんとか我慢できる。でも、ビールのない世界なんて、想像もできない。ビールなしでは、生きている気がしなくなる。

ところで、ひと口に「ビール」と言っても、1年ばかり前までは、外で飲む時にはもっぱら「生ビール」を飲んでいた。「瓶ビール」には目もくれなかった。瓶ビールなら、家にいても飲めるし、第一、生ビールのほうがおいしい。外で飲むなら、生ビールを飲まなきゃ損だ。そう思っていた。ところが、月に1回、マージャンをして、あと居酒屋に流れ込む学生時代の友人の中にひとり、いつも瓶ビールを飲んでいる男がいる。変な奴だなあ。なぜだろう? 心の中で不思議に思っていた。

そんな僕だったけど、どういう風の吹き回しか、この1年ほどは、生ビールよりも瓶ビールのほうがうまいと思うようになってきた。ビアホールに入った時はもっぱら生ビールだけど、どうも生ビールは喉への刺激が乏しい気がする。瓶ビールのほうがピリッとしておいしく感じる。先ほど書いたマージャン&居酒屋の集まりはこの1年半ほど、コロナ禍のせいで中断しているのだが、いずれ再開した折には、さっきの友人と瓶ビール談義をしてみたいものと思っている。

ところで、外で飲むビールを瓶に変えたのはいいのだけど、ひとつ不満が出てきた。それは、街中の飲食店に置いてあるビールはもっぱら中瓶で、大瓶をとんと見かけないことだ。かつては、瓶ビールと言えば大瓶だった。それがいつの間に中瓶一辺倒になってしまった。店にとって、そのほうが儲かるからだろうか。容量は大瓶が633ミリリットル、中瓶が500ミリリットル。中瓶の容量が不満なら、2本、3本と飲めばいいではないか、とも言われそうだけど、そういう話ではない。中瓶と大瓶では、そもそも雰囲気が違う。中瓶は中途半端で、なんだかみっともないのである。

話は少し変わるけど、かつてサッポロジャイアンツという特大の瓶ビールがどこの酒屋でも売られていた。容量1957ミリリットル。大瓶3本分はある。40歳代の頃だったか、家で飲む際には、まずこれを空けていた。大瓶を1本、2本と空けていくのは面倒くさい。飲み初めには、これがちょうどよかった。ただ、こいつはいつの間にか、姿を消してしまった。今も僕は「斗酒なお辞せず」のつもりではいるけれど、サッポロジャイアンツを一気に空けるのは、やや荷が重そうだ。

今では、飲み初めは大瓶が1本か、せいぜい2本が適量なのだが、最近、場所によっては、飲食店にも大瓶が置いてあることを「発見」した。以前にも書いたが、コロナ禍のもと、やることがあまりないので、2時間、3時間と散歩で時間をつぶすことが多くなった。それも、街中ではなく、田舎の方に向かって歩くことが多い。感染者もそちらの方がずっと少ない。そして夕方、やや歩き疲れて、ぶらりと手あたり次第、そば屋か定食屋かに入って軽く一杯ということになる。

すると、街中にもあるチェーン店は例外として、家族とかでやっているレトロな店には、まず間違いなく大瓶が置いてある。汗を拭きながら、最初の一杯、まさに至福の時である。中瓶なら、感激の度合いがいくらか落ちるはずだ。もっとも、最近はわが埼玉県にも緊急事態宣言が出て、酒類そのものがどの店でも駄目なのだけど、大瓶の健在が僕に分かったのは、コロナ禍のおかげでもある。

これも以前に書いたのだけど、僕が家で飲むのはこのところ、もっぱら「第三のビール」だった。瓶ではなく500ミリリットルのいわゆるロング缶だ。普通のビールよりも何割か安いし、飲んで飲めないことはない。と言うより、これが結構うまいのである。ただ、残念なことに、缶ばかりで瓶がない。
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一方で、散歩の途中で本来のビールの大瓶を飲んで以来、僕の嗜好も昔に戻ってしまった。最近はスーパーの片隅に追いやられている感じの連中(上の写真)を買ってきては楽しんでいる。これらは1本300円ほどだが、できれば、第3のビールで1本200円ほどの大瓶を開発してくれないかなあ。