我がウイスキー歴

前々回にビール(と言っても、もっぱら値段の安い「第3のビール」)のことを書いたから、今回は僕のウイスキー歴について書いてみたい。僕のふだんの家飲みでは「第3のビール → ウイスキーオンザロック」というのが定番である。
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もう半世紀以上も前、僕が学生から新聞記者になって最初の赴任地の九州にいたころ、街の飲み屋などで飲むウイスキーでは、今もあるサントリーの「角瓶」(上の写真)がちょっと高級な銘柄だった。だけど、僕なんかは生意気にも角瓶を格下に見て、よく飲むのは1ランク上の「オールド」だった。ニッカのウイスキーを飲む時も同じように高いものを選んでいた。

サントリーウイスキーの角瓶より安いものには、今もある「ホワイト」や「トリス」があった。トリスには一時期、ハワイ旅行が当たる抽選券がついていて、「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」というキャッチコピーが有名だった。だけど、トリスのような安ウイスキーを飲もうと思ったことは全くなかった。それは当時、僕の入った新聞社の給料が結構高くて、懐が割合に温かかったことも影響していた。

そうは言っても、ジョニーウォーカーなどのスコッチウイスキーには全く手が出なかった。なにしろ、1ドル=360円の固定レートの時代。スコッチの値段はとてつもなく高かった。俳優の石原裕次郎がいつもジョニーウォーカー赤ラベル、いわゆる「ジョニ赤」を飲んでいると聞き、うらやましかったものである。当時に比べて円が3倍以上も高くなった今、スーパーではジョニ赤がサントリーの角瓶や時にはホワイトよりも安い値段で並んでいる。まさに隔世の感である。

もっとも当時、僕にもジョニ赤などのスコッチを心ゆくまで飲める日もあった。そのころ、僕の父親は大阪の某私立大学で事務方の幹部だった。そんな父親のもとには、在学生の親から盆、暮れには進物が続々と届いていた。悪事に手を染めるような父親では決してなかったけれど、まあ一種の「賄賂」のようなものだったのだろう。その中にはスコッチなどの酒類もたくさんあった。で、夏休みなどで大阪に戻った折には、ふだんは高嶺の花のジョニ赤などのスコッチをオンザロックでたらふく飲んでいた。「うまいなあ」と思ったことを、今でも覚えている。

以上は、僕の20歳代のころの話である。その後、同じ新聞社で営々として(?)働き、60歳で定年退職した。そして年金生活者となった今、ふだん家で飲んでいるウイスキーは、かつては歯牙にもかけなかったトリスである。そのトリスにもふた通りあるが、もっぱら飲むのは、より安いほうの「トリスクラシック」。しかも、お徳用の1・8リットル入りのプラスチックのボトル(下の写真)で買ってくる。ニッカにもこれと同じ程度のものがあるが、トリスよりは少しだけ高いので買わない。
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まあ、半世紀余りの間にずいぶんと落ちぶれたものだけど、今や角瓶よりも安いジョニ赤ごときを買えないほどの貧乏暮らしでもない。たまには買ってきて、飲んでみるのだけど、昔のように「うまい」とは全く感じない。むしろ、トリスのほうが口当たりがいい。ビールも格安の第3のビールというふうに、安いものばかり飲んでいるので、味覚が変わってしまったのだろうか?
 
会社を定年退職後の十数年、中国で暮らしていたころは、ウイスキーの代わりに、安い白酒(中国の焼酎)を飲んでいた。そもそも中国ではウイスキーは高価だし、トリスなんてものは売っていなかった。

そして今、安いウイスキーを口にしながらも、贅沢(?)していることがひとつある。それはオンザロックの折に使う「氷」である。家の冷蔵庫で作った四角くて安っぽい氷は使わない。ちゃんとした製氷工場で作った硬くて溶けにくい氷をスーパーから買ってきている。1キロで150円ほどだ。氷山のような形をしていたりして、ウイスキーの中から首を突き出している姿はなんともカッコイイ。(下の写真)
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かくして、家飲みが中心になったコロナ禍の最近だけど、安い第3のビールとトリスウイスキーで機嫌よく過ごしている。ちなみに、その第3のビールは10月からの値上げ前に買いだめし、少なくとも年内の在庫は十分である。