階段上りにも奮闘中

昨年の夏の終わりに「腰部脊柱管狭窄症」の手術をしてから、「『速歩き』を目指して奮闘中」とか「『歩き』から『走り』も奮闘中」とかいったブログを書いてきた。それはそれで嘘ではないのだが、その折に気付いたのは、駅などの階段を上るのがいささか苦痛になっていることだった。手術の前までは、足のしびれを言い訳にして、駅などでは階段を使わず、もっぱらエスカレーターかエレベーターに頼ってきた。だけど、手術も無事に終わったのだから、そういうことではよろしくない。原則、エスカレーターなぞは使わず、階段は自分の足で上ろう。そう決心した。

ところが、40段から50段ほどある駅の階段を上ろうとすると、途中でひと息つきたくなる。幸い、息そのものは切れないのだけど、膝のあたりがちょっとがくがくしてくる。階段の一番上まで行った後は、しばらく立ち止まって休みたくなる。これは由々しき事態である。かつては(と言っても、20歳代の頃だけど)階段なんてものは、3階だろうと、4階だろうと、2段ずつ駆け上がるものと思っていた。最近だと、数年前に台北でゆっくりゆっくりだけど、1000段の山を休みなしで上っている。なのに、なんとも情けないことになっている。

ふと、40年以上も前、僕がまだ30歳代の頃に、70歳過ぎのある経済人から聞いた話を思い出した。大企業の社長、会長を務めた人である。しんみりとした口調で話しかけてきた。「いやあ、僕も60歳代の頃は年を取ったなんて、全く思わなかった。元気いっぱいだった。だけど、70歳の古希になると、ガクッときたよ。すぐに疲れる。駄目だねえ」。僕は70歳代でも年を取ったとは思わなかったけど、さすがに80歳の傘寿になると、ガクッとくるのだろうか。

でも、負けるわけにはいかない。とりあえず毎日、階段をどんどん上がってみよう。とは言っても、コロナ禍もあって、電車で出掛けることも稀になった昨今は、40段や50段の階段に出くわすことも少ない。どうするか。

そうだ、最近は暇に飽かせて自宅近くの川の土手をよく散歩しているのだけど、もう1段上の土手との間に階段がいくつもある。段数はせいぜい15段ほどしかないが、何回も上り下りすればいいことだ。かくして、散歩のたびに、川の土手にある階段のお世話になることにした。それだけではなく、よく行くスーパーマーケットの近くにある歩道橋も見逃さない。スーパーへの行き帰りには必ず上り下りしている。階段を見かけたら、まさに「親の仇」のように、攻めかかっている。

ポケットに入れているスマホ歩数計では、階段を3メートルほど上がると、「1階分」と計算される。そして、あちこちの階段を上っていると、それが集計されて「15階」や「20階」という表示が出てくる。ちりも積もれば、ではないけれど、これを見るのも結構楽しい。

ところで、階段上りのほかに何かできることはないか。そうだ、「筋トレの王道」とも言われるスクワットがあった。これもやってみよう。で、毎日、10回ずつのスクワットを3度、繰り返すことにした。新聞で、膝の裏を伸ばす「きくち体操」というのを見掛けたので、これもやっている。どちらもあまり楽しくはないけど、やった日には、手帳の日付のところに「✓」を入れている。ちなみに、きくち体操というのは86歳の菊池和子さんが提唱しているものだ。

ほかにも、やることがないだろうか。そうだ、両足に「重り」を付けて歩くのを再開しよう。実は、会社のサッカー部でまだ現役でボールを蹴っていた50歳代の頃、両足に1キロずつの重りを巻いて歩いていた。いつの間にかやめてしまったが、当時のものが残っているはずだ。探し出してきて、下の写真のように、再登場をお願いした。ただし、実際にこれを付けて歩く時は、重りをトレパンの中に入れて、目立たないようにしている。毎日24時間、これを付けているわけではないが、付けた日にはこれも手帳に✓を付けている。
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かくして1カ月、2カ月……効果がないことはないようだ。50段くらいの階段なら、割合にさっさと上がっていける。ちょっと前までは、長そうな階段を前にすると、足がすくんだものだけど、今は逆に「よし、行くぞ」という気持ちが湧いてくるのである。