中国の「介護」事情

中国のハルビンに住む60歳代前半の知人夫婦は10年ほど前に一人息子を病気で亡くし、長らく悲嘆にくれていた。が、今はそれさえ忘れてしまうほどに、別のことで悩んでいる。夫婦双方の両親、合わせて4人が90歳を超えて足腰がとみに弱くなり、自分たちだけでは生活していけなくなったからだ。どうやって面倒を見ていくか。そして、子供を亡くした自分たち、つまり面倒を見てくれる者のいない我々は将来、どうなっていくのか。

日本でも介護、ましてや「老々介護」は大変だけど、いまは「介護保険制度」というものがある。だが、それがない中国では介護の負担はすべてと言っていいほどに家族にのしかかってくる。

さっきの夫婦の場合、夫の両親はハルビン、妻の両親はハルビンから少し離れた石油の町、大慶に住んでいる。少し前までは、夫婦が別居してそれぞれの両親のところに住み込み、面倒を見ていた。夫自身も病身なのだけど、それしか方法がなかった。

ただ、幸いなことにはと言うか、妻には弟が1人、妹が3人いて、次々に定年を迎えだした。少し暇ができた。そこで、それぞれが1カ月交代で両親の家に住み込み、面倒を見ることにした。やや楽にはなった。

もう一つ幸いなのは、両親のアパートが1階にあることだ。中国のアパートは一般に8階建てくらいまではエレベーターがない。足腰が弱れば、出入りに難渋する。老親を背負って階段を上り下りしている男性を見掛けたこともある。そんなことを見越したのだろう、両親はかなり前に上の階から1階に引っ越してくれた。おかげで車椅子での散歩に連れ出すことができる。

夫の方も姉妹2人に弟が1人いるが、みんな生まれつき体が弱くて両親の面倒を見られない。ただ、ここも幸いなことには、住み込みで面倒を見てくれる女性の看護師が見つかった。給料は4000元(1元≒17円)。彼女の食費その他も負担しなければならないから、安い金額ではないが、夫の両親は割合に豊かだし、子供たちが力を合わせれば、払えないこともない。

住まいはアパートの3階。もちろんエレベーターはなく、これがいささかの難点だが、看護師に聞くと、二人は全く外出したがらない。ガラスに覆われたベランダで手を握り合ったりして、仲良く過ごしているとか。

かくして、悩みながらもなんとか過ごしているさっきの夫婦ではあるけれど、一般にこの国では自分たちだけで親の面倒を見切れなくなった場合、どうやって人を探すかが頭の痛い問題である。人が見つかっても、普通は介護の専門家ではない。看護師が来てくれるなんてのは、奇跡のような話である。

この2〜3年、僕が時々過ごしている広西チワン族自治区の梧州市の街中を歩いていると、老親の面倒を見てくれる人を探す手書きの表示が目に入ってくる。書き出しはみんな同じで「照顧老人」、つまり「老人の世話をして下さい」である。あとに具体的な条件が続く。

「住み込みで、休みは月に2日です。男性の老人で、自分では何もできません。月給は2500元です」

「夜8時から朝8時までの勤務で、休みは月に2日です。女性の老人で、自分でも少しは動けます。月給は1500元です」

「住み込みで、休みは月に2日です。78歳の女性で、自分では何もできません。アパートは1階です。月給は2300元です」

ところで、中国では老後の生活・介護は家族に頼らざるを得ないのに、長く続いた「一人っ子政策」のもとでは子供を一人しかつくれなかった。先ほどの知人夫婦のように、その「一人」を病気や事故で亡くせば、残された親たちはどうすればいいのか。こうした親たちは「失独者」と呼ばれ、近年、大きな社会問題になっている。「独」は一人っ子のことで、「失独家庭」は中国全土で100万世帯になるとも言われている。

そんなことを考えていたら「そうだ」と思いついた。僕はこれまで結構長く中国と付き合ってきたが、これからの関わりのキーワードは「介護」になるのではないか。ならば、僕も少しは介護について勉強しておいたほうがいいだろう。決断は早く、ある会社がやっている「介護職員初任者研修」なるものに2カ月ほど前から通い始めた。実習も車椅子での移動・移乗、食事や入浴の世話などを経験してきた。次は排泄の世話で、教科書を見ると「尿器・差込便器の使用」とか「おむつ交換」「陰部の洗浄・清拭」といった言葉が並んでいる。さて、どうなることか。身構えてしまう。この話はいずれまた・・・。