中国での「理想の生活」

中国から日本に戻って数カ月も経つと、無性に中国での生活が懐かしくなってくる。また行きたい。それは中国の一種の猥雑さが僕に合っていることもあるが、本当の理由はもっと別のところにある。去年亡くなった漫画家の水木しげるさんが望んでいたという、ネコのように自由に寝て、起きて、あくびをする「理想の生活」ができるからでもある。もっとも、僕の場合は「あくびをする」代わりに「ビールを飲む」である。

日本にいても、素浪人の僕だから「自由に寝て、起きて」に近い生活はできる。でも、家人がいると、そうそういつまでも寝ているわけにはいかない。布団を干したいから、なぞと言って起こされる。家人が留守の時でも「ピンポーン」と誰かがやって来る。宅配便だったり、ヤクルトのお姉さんだったりする。あ、そうだ、今日は生ゴミを出しておかなくちゃ、なんてこともある。

僕は去年11月からこの1月まで、中国は広西チワン族自治区の梧州という町でアパートの6階に一人で住んでいた。たまに塾時代の教え子が来るくらいで、それ以外にやって来る人なんて誰もいない。いつまで寝ていても勝手である。ゴミも好きなときにアパート脇の桶に放り込んでおけばいい。分別の必要もない。

さっきの水木しげるさんの本を読んでいたら「睡眠至上主義」という言葉が出てきた。なんでも、水木夫人が朝、いつまでも寝ている子供を起こそうとすると、「眠っているのをムリに起こすのは、かえって健康によくない」と注意したとのこと。たとえ遅刻しようとも、体が睡眠を欲していることに逆らってはいけない、眠りたければ何時間でも眠り続けるのが水木家の家訓だったそうだ。「なまけ者になりなさい」「少年よ、頑張るなかれ」という水木さんの言葉も残っている。

そうは言っても、あれだけの作品を残した水木さんのことだ。睡眠至上主義を貫けたわけではないだろう。けっこう勤勉でもあったろう。その水木さんに代わって、僕が中国で理想を実現しているような気にもなってくる。

そして、日本にいては極めて難しいのが「好きな時にビールを飲む」である。理由は二つある。まずは家人の反対である。「朝から飲むのはやめて下さい」と言われれば、なんとも反論できない。「朝のビールって格別にうまいのだがなあ」という悔しさだけが残る。

もう一つの理由はビールの値段である。物価が安いとは決して言えなくなった最近の中国だが、ことビールに関しては日本よりずっと安い。写真は僕が中国で気に入っていた500ミリリットル缶の黒ビールだが、梧州のスーパーで4.3元(1元=16〜17円)、しかも僕のいた頃はしばらく3.2元で安売りしていたので、写真のように買いだめしておいた。青島ビールの600ミリリットルの瓶も2.9元を2.2元で安売りしていた。

日本にいると、年金暮らしの僕なんか、家飲みの際はなかなか普通のビールには手が出ない。勢い発泡酒で我慢ということになる。それが中国にいると、発泡酒なんてものにはそもそもお目に掛からないうえ、本当のビールがまさに「数十円」で手に入る。もちろん、もっと高いビールも沢山あるのだが、僕にはこれで十分である。こたえられない。

明け方、ふと目が覚める。のどが渇いたなあ。冷蔵庫からよく冷えた黒ビールの缶を取り出す。シュパッ。まさに至福の時である。生きていてよかった。そのうちに、また眠気が戻ってくる。ベッドにもぐり込む。水木さんも生前、こんな時があったのだろうか。

こうした「理想の生活」ができたのは、中国で一人暮らしだったからなのだが、全くの一人だったら、それはとてもできない。第一、アパートを探してしばらく借りるなんて、僕の手には負えないことだ。それに、プロパンガスが切れた、Wi-Fiが通じなくなった、ズボンのチャックが壊れた、なんとかしてくれ、風邪を引いた、病院に連れて行ってくれ――などなどは教え子たちに助けてもらわなくてはどうにもならない。僕にできるのは、スーパーで安売りのビールを探してくることくらいだ。まことに身勝手なものである。

梧州の町には、さっき書いたように去年から今年に掛けてと、一昨年から去年に掛けてと、2回住んだ。いずれも地元の日系企業に勤める教え子の世話になった。遠方からも教え子が様子を見に来てくれた。梧州の彼女には適当に実費を渡していたつもりだけど、アパートの家賃がいくらだったのかもよくは知らない。

その教え子がこの春、3年余り勤めた会社を辞めて日本の大学に留学してきた。意気には感動するが、おかげで、中国での僕の「理想の生活」をさりげなく支えてくれる人が当面、いなくなった。さて、どうしたものか。「明け方のシュパッ」は帰らぬ夢となってしまうのだろうか。