ゴミの「一生」

中国で暮らしていて、いつも申し訳なく思うのは、ゴミを出す時だ。ああ、またこの大地を僕が汚してしまっている。ゴミの収集がせめて、例えば「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「プラスチック」くらいにでも分別されていれば、そうは思わないだろう。それがこの地では(以前に住んだ桂林市でも南寧市でも、いま住んでいる梧州市でも)ゴミは一律にゴミ、すべて一緒くたなのだ。街中のゴミ箱は「回収できるゴミ」「回収できないゴミ」と分かれていたりするけど、収集の折は(僕が見た限りでは)どちらも一緒くたにして持って行く。

正月早々、薄汚い光景をお見せして恐縮だけど、写真は僕の住まいのゴミ置き場である。同じようなところがもう1カ所あり、周りの100世帯余りのアパートの住民が使っている。桶が3つ並んでいるけど、分別しているわけではない。生ゴミ、紙くず、プラスチック。瓶、缶、古い衣類や靴。さらには割れたコップなど危険物。ごっちゃに何を放り込んでもいい。たまには、少しはカネになるペットボトルなどを探しに来る人もいる。強いて言えば、これぐらいが分別収集である。

定期的に(と言っても、詳しいスケジュールは知らないけど)リヤカーを引いたおばさん、おじさんがこれらのゴミを集めに来る。圧倒的におばさんが多い。でも、リヤカーでどこに持って行くのだろうか? 一度、ストーカーしてみたい。

いい機会が訪れた。リヤカーにゴミが溢れんばかりのおばさんを街中で見つけた。ゴミ集めは一段落だろう。思ったとおり、おばさんはどこやらに向かい始めた。ゴミ集めのリヤカーには自転車やバイクで引くものもあるが、このおばさんのはそうではない。手助けしてあげたいようなゴミの量だが、おばさんは両腕で軽々とリヤカーを引いて行く。道路の両側は中層のアパート街で、その1階は雑多な商店街、さらには道端に野菜や肉などを売る露店が並んでいる。

やがて、おばさんとリヤカーは、とあるアパートの1階に吸い込まれた。入り口には「公共厠所」とある。えっ、公衆便所? いや、元はそうだったが、今は改装されて、近所のゴミが集まる場所になっている。上の写真をちょっと説明すると、向かって右側からゴミ積載のリヤカーが建物に入って行く。そして、左側の大きな空色の容器にゴミを放り込む。満杯になれば、この容器をトラックに積み込み・・・という手順になっているようだ。ここはゴミの中継所の1つである。

でも、僕にはこの程度しか取材できない。次の日曜日、教え子のひとりで日系企業に勤める女性と一緒にもう一度、この中継所を訪れた。そして、ゴミ集めのおばさんに話を聞こうとしたら、おばさんはそれを遮り、道端に座り込んで野菜を売っている50歳がらみのおじさんを指した。実は、彼はこのゴミ中継所の責任者で、溜まったゴミをトラックで最終処理場、つまり埋め立て場に運ぶ手配をしたりしている。もう20年もこの仕事しているが、今日はたまたまトラックが走らない日なので、野菜を売っているとのこと。気軽にいろいろと教えてくれた。

人口40万ほどの梧州市には3つの区があるが、いま我々のいる区にはこうしたゴミ集めのおばさん、おじさんが1000人ほどいる。40歳代、50歳代が中心で、朝3時半から夜9時半まで3直で働いている。あるおばさんに聞くと、週に6日働いて月収は1500元(1元≒18円)ほど。この町の最低賃金並みの収入である。

ゴミの最終処理場の場所もさっきのおじさんが教えてくれた。教え子と一緒に行ってみた。市の中心部から10人乗りのバスで30分ほど、それは小高い丘の上にあった。ゴミ処理場といった感じはなく、入り口の「生活ゴミ無害化処理場」との看板の向こうには、木々の間を舗装道路が伸びている。「関係者以外 立入禁止」とあったが、構わずにどんどん歩いて行った。後ろからゴミ満載のトラックが僕らを追い越し、前からはゴミを降ろしたトラックが戻ってくる。

20分も歩いただろうか。眼前が開けた。野球場が10ほど入る広さだろうか、小山を切り開いただだっ広い土地にトラックが次々に着き、ゴミを降ろしている。分別もなしに何もかもごっちゃに埋めている。僕の頭にはハエがまとわりついてくる。こんな埋め立て方をしていて、いったいどうなるんだろう?

ゴミ積載のトラックが処理場の道路を走行中、ゴミを落とすこともよくある。それらを拾う役目おばさんがいた。聞いてみた。彼女によると、市政府も決して現状がいいとは考えていない。以前は彼女たちがここでゴミの分別をやっていた。だが、ゴミがあまりに多くなり、市も諦めてしまった。実験用の焼却施設もできたが、どうもうまくいっていない。そう言えば、ゴミ中継所のおじさんが「有毒ガスの出るものまで一緒に燃やして、どうするつもりかね」と話していた。

ゴミはやはり「分別収集」が基本だろう。僕の住むアパートの近くに19階建ての新しいマンションがある。住民たちの間で「ゴミは分別しよう」と意見が一致したが、具体的にどう分別すべきかが分からず、話は立ち消えになったとのこと。この地のゴミ処理はいま「試行錯誤」の段階にあるようだ。