「ごみ」と「ごみ箱」と「掃除のおばさん」の三角関係

歩道を歩いていると、右前方の文房具店から若い男が出てきた。男の手には飲み終えたと思われるジュースの缶が握られている。男は車道との境目にあるごみ箱に向かって歩いている。そして、ごみ箱から1メートルほどの所で立ち止まり、ごみ箱に向けてジュースの空き缶を投げた。ところが、空き缶はうまくごみ箱に入らず、歩道に落ちてしまった。男はそれをちらりと見たようではあったが、拾おうとはせず、さっさと文房具店に戻ってしまった。下の写真がむなしく歩道に転がされたままの空き缶である。

もし、こんな光景を1回だけ見たのであれば、僕もそう不思議には感じない。困った奴もいるものだ、と思うくらいだろう。ところが、こんな人たちをしばしば見掛ける。どうしてちゃんとごみ箱に捨てないのだろう?

もう一度、先ほどの若者の行動を検証すると、彼のいた文房具店からごみ箱まで歩いて20歩近くある。彼はその距離を嫌がらず、わざわざごみ箱にジュースの空き缶を捨てに来たのだ。店の中から道路にポイと捨てたりはしなかった。そんな連中も多いなか、彼はきわめて「常識」のある若者だ。それなのに、ごみ箱にうまく入らなかった空き缶を入れ直そうとはしない。その手間を惜しんでいる。いったい頭の中はどうなっているのだろう? 

数日後、近くの広西大学のキャンパスを散歩していた。僕の少し先を男の子が歩いていく。この大学の学生だろう。左前方にごみ箱がある。と、男の子はごみ箱にもっとも近づいたあたりで、ごみ箱に向かって何か小さなものを投げた。そいつはごみ箱のふちに当たって地面に落ちた。男の子はそちらの方を見ようともしない。僕がごみ箱に近寄ってよく見ると、地面に転がっているのはリンゴの芯だった。

思うに、男の子はリンゴをかじりながら歩いて来たのだろう。でも、僕が彼に気づいた時には、何かをかじっている様子はなかった。多分、すでに食べ終えてリンゴの芯だけを手のひらに持ち、捨てる場所を探していたのだ。このあたりは木々がうっそうと茂っていて、広い草むらもある。リンゴの芯をポイ捨てしても、そのうちに土に返る。だが、彼は「リンゴの芯はごみ箱に」と思ったのだろう。それほど「常識」のある若者なのに、なぜ地面に落ちたリンゴの芯をごみ箱に入れ直そうとしなかったのか? 

さらに数日後、このあたりをたまたま歩いたら、下の写真のように、ごみ箱の近くもごみだらけだった。ペットボトルに至ってはご丁寧にもごみ箱のふちに鎮座している。周辺のこんな惨状はごみ箱が満杯だからではない。箱の中を覗いたらがらがらだった。

桂林にいた時、雑居ビルの4階にある僕の部屋から、隣の団地のごみ置き場がよく見えた。畳2枚ほどの広さで、三方を高さ1メートルほどのレンガ塀が囲んでいた。団地の住民はここにポリ袋などに入れたごみを捨てに来るのだが、数メートル離れた所から塀越しにポーンと投げる横着な連中が多かった。ごみがちゃんとごみ置き場に安着すればいいのだが、塀にぶつかり、通路側に落ちることもしばしばだった。でも、そのごみをもう一度、ごみ置き場に運び直した住民を僕は見たことがない。ごみは通路に落ちたままである。時にはポリ袋が破れ、ごみがあたりに散乱していた。

ごみ箱やごみ置き場のすぐそばまで来ながら、ごみを道端に捨てていく。どういう感覚なのだろう? 折にふれ、僕を悩ませていた「難題」なのだが、ある日、わが家の台所から階下の通りを眺めていて突然「解答」がひらめいた。つまり、南寧や桂林の街中では朝から晩まで掃除のおばさんが(たまにはおじさんもいるが)行ったり来たりしている。その存在がどうやらこうした事態を引き起こしているのだ。下の写真が解答を与えてくれた掃除のおばさんである。

僕の住まいやわが塾がある通りは「火炬路」「火炬一支路」(脇道)と言い、端から端までゆっくり歩いても前者が10分、後者が5分くらいしか掛からない。そして、いつ歩いても1人か2人、時には3人、4人もの掃除のおばさんに出くわす。おばさんたちは長い箒で地面を掃き、道路脇のごみ箱からごみを集めている。生ごみ、ペットボトル、空き缶などごっちゃに捨てられたごみを分別するのも、このおばさんたちの役目だ。ちなみに、さして長くもないこの2本の道路にごみ箱は計30以上もある。掃除担当のおばさんは総勢16人、給料は月に600〜800元(1元≒12円)とか。朝の4時半から夜11時まで交代で働いている。南寧市内どこへ行っても、そこかしこにこんなおばさんを見掛ける。桂林でも同じだった。


つまり、ごみ箱の外にごみを捨てようとも、何も心配する必要はない。掃除のおばさんがすぐ寄ってきて片付けてくれる。逆に、ごみ箱の近くがきれいだったら、それだけ掃除のおばさんの仕事が減ってしまう。分別についても同じことが言える。おばさんたちが手持ち無沙汰にでもなったら、16人の「定員」も減らされてしまうだろう。多分、手に技術を持たないおばさんたちだけに、失業は人一倍、身にこたえるはずだ。掃除のおばさんが南寧市にどれくらいいるのか、生徒に頼んで市に問い合わせてもらったが、電話をたらいまわしされた揚げ句、結局は分からなかった。でも、ごまんといることは間違いない。その失業は大きな社会問題になるだろう。

ごみを道路に捨ててはいけない、それは絶対悪である――僕は今までそう思ってきた。だが、この地でも本当にそうなのか、考え方を少し変えなければならないのかも知れない。