遅まきながら、わがスリ対策

南寧市の公共バスに乗った。国慶節(建国記念日)の1週間の休暇の最中とあって車内はかなり込んでいる。しばらくバスの中ほどに立っていたが、後ろの方が少し空いたので、そちらに移って座席に腰掛けた。財布は短パンのお尻のポケットにあるはずだ。でも、なんとなく気になって、座ったままポケットにちょっと手を入れてみた。ない。ポケットは割合に大きいので、財布は奥の方に行ったのかも知れない。手をさらに深く突っ込んだ。と、手のひらは短パンを突き抜けて外に出てしまった。

早い話が、上の写真のように短パンのお尻と内側のポケットが刃物で切り裂かれ、財布がなくなっていた。写真は切られた部分がよく分かるように、青い布を中に入れて写した。L字型の切り傷はゆうに20センチを超える。

僕が「ありゃあ、やられた!!」と日本語で叫ぶと、通路を挟んだ席にいた若者が「さっき立っていた時にやられていました」と身振り手振りで教えてくれた。どうもこの若者は一部始終を見ていたらしい。そうならば一言「スリだ!!」とでも叫んでくれれば助かったのに、冷たい奴だ。一瞬、そう思ったが、何しろ相手は刃物を持っている。この若者が黙っていたのを一概に責めるわけにはいかない。僕も気づかなくてかえってよかったのかも知れない。気づいて騒いでいたら、けがをさせられた可能性もある。

「バスの中で座っていたのに、ズボンの脇を切り裂かれ、財布を盗まれました。居眠り? いいえ、起きていましたよ。いやあ、すごい腕ですねえ」

「立っていたら、ジャケットの脇を切り裂かれ、内ポケットにあった財布をやられました。まったく気づきませんでした」

桂林、そして南寧に来て以来、日本人仲間と食事した折などにはこんな話を聞かされてきた。そのたびに「災難でしたねえ」と同情しながら、それがわが身に降りかかってくるとは思ってもいなかった。桂林にいた時もスリに遭ったことがあるが、この時はウエストポーチのファスナーを開けられた。以後、ファスナーを外側に向けないようにしているが、用心はそこまでだった。うかつだった。桂林でも南寧でも被害額は日本円にして1万円前後、あきらめられない金額ではない。でも、三度もスリの被害には遭いたくない。遅まきながら対策を講じよう。わが塾の仲間にいろいろと知恵を借りた。


この地の公共バスはすべて前乗り、中降りになっている。上の最初の写真がバスの中ほどから前方を眺めたもので、右手に出口がある。次の写真が後方のもので、階段状に座席が並んでいる。僕が被害に遭ったのは出口のあたりで、考えてみれば、スリにとってはここが一番の働き場所であろう。込んでいることが多いし、仕事を終えてから逃げやすい。こんな所でお尻の財布に注意もせず、のほほんと突っ立っていたなんて、スリに対しても恥ずかしい。以後、このあたりには立たないようにしよう。やむを得ずここに立つことになっても、誰かと一緒だったら互いに向かい合って相手の後ろに目を光らせよう。かばんやリュックサックがあれば、胸の前に抱きかかえよう。これが第一の対策だ。

今後、財布をお尻のポケットに入れないのは当然のことだが、現金の持ち方にも気を付けよう。僕のようにこれ見よがしに大きな財布に現金を出し入れしていては、狙われて当然だ。塾の生徒たちに聞いてみると、財布は持たず、現金を裸のままあちこちのポケットに分けて入れているのがいた。万一の時、被害をできるだけ少なくするためだ。この地では裸で現金を持ち歩く人が目立つが、これはスリ対策ということもあるのだろう。

あるいは、財布を持っても名刺入れのような小さなものにし、現金があるとはすぐには分からないよう工夫しているのもいた。しかも、中国の最高額紙幣の100元札(1元≒12円)は折り畳んで一番奥に入れ、他人の目に触れそうな所には1元札や10元札を入れている。これならスリが財布を目撃しても、そうは食欲をそそられないだろう。僕も早速、上の写真のような名刺入れ型の財布でやっていくことにした。中に入れる金額も日本円で最大限5000円、これまでの半分にした。以上が第二の対策である。

とにかく、この地はスリや泥棒が多い。上の写真はわが塾から隣のアパートを眺めたものだが、各階の窓という窓が鉄格子で覆われている。わが塾の窓もそうで、泥棒の侵入を防ぐためである。7〜8階建てのアパートは1階から最上階まで大体がこんな調子で、泥棒の多さを示す異様な光景である。

しかも、こんな状況が改善される見通しはあまりないみたい。わが生徒の一人が言うには「警察はスリ、泥棒を捕まえても、カネさえ払えば、すぐに釈放してしまうんです。だから彼らは減りません」とのこと。そう言えば、塾がまだ桂林にあった時、男の生徒から警察に捕まった話を聞いたことがある。何をしたのかは言わなかったが、人を傷つけるような男ではなかったから、多分盗みの類だろう。で、捕まった後、警察から彼の父親に「いくらいくら払えば息子をすぐ釈放するが、払わなければ3年間は刑務所行きだ」との電話があった。結局、大金と引き換えに釈放されたのだが、彼は「あのカネはいったい誰の懐に入ったと思いますか。警察を許せない」と、自分が犯罪者であったことを棚に上げて憤っていた。

なるほど、警察がそういう態度だとすると、スリ、泥棒の諸君は刑務所には入ることがなく、常に第一線で活動していることになる。当然、技量も上がる一方だろう。スリとの今後の攻防に、何やら身の引き締まる思いである。