洪水とともに生きる人たち

6月某日の昼ごろ、わが塾から200メートルほどの所を流れる漓江(りこう)が溢れた。濁流が市街地に流れ込み、わが塾の近くまでやってきた。このところ降り続いた雨のせいだ。漓江と塾との間には、川に沿って道路が2本あるが、被害が軽微な所でも、ひざ上あたりまで水に浸かっている。今年2回目の洪水である。この漓江は「桂林山水 甲天下」(桂林の山と川は天下一である)と詠われる、わが街の一方の「スター」である。普段は遊覧船が行き来しているが、この日はそれどころではない。下の写真は橋の上から眺めた「洪水時」と「洪水後」の光景である。

「洪水時」の写真を撮っていると、生徒の女性から「今日の午後は塾に行けません」とのメールが届いた。彼女は今朝8時から塾で勉強していたが、11時過ぎに昼食のため、歩いて15分ほどのアパートに戻った。やはりわが塾の生徒の女性といっしょに住んでいる。ふたりがアパートに着いた途端、漓江が溢れ出した。彼女たちは6階にいるが、外出できなくなった。多分、翌日までは水が引かないだろう。

さて、僕としては、どうしたものか。そうだ、洪水の状況を見物しがてら、食料でも持って慰問に行ってみよう。こういう場合でも、わが塾と彼女たちのアパートの間にはちゃんと「交通機関」が存在する。「筏」である。ふだんは漓江で観光客を乗せたり、魚を釣ったりしている奴だが、洪水の時にはすかさず陸に上がってくる。困っている人たちを助けるボランティアではない。れっきとした商売である。下の写真はその筏のいろいろである。



前回の洪水の時に確かめたのだが、わずか500メートルかそこらを行くだけなのに、これらの筏はひとり10元(1元≒13円)も取る。この街ではタクシーの初乗り料金が7元だから、随分といいお値段である。値下げ交渉にはいっさい応じない。桂林弁を喋らないと、つまりよそ者だと分かると「20元」と吹っかけてくるそうだ。筏を操るおじさんたちはポケットから札束を出し入れして景気がいい。

僕と慰問に同行の生徒が乗った筏が動き始めた。道路の両脇の商店は、こんな時に備えていたのだろう、道路よりいくらか高くこしらえた所もある。おかげで、かろうじて店の中への浸水は免れている。でも、商売はあがったりだ。と言っても、がっくりきているようには見えない。下の写真のように、カードで遊んでいる連中が結構いる。開店休業のレストラン(と言うよりも食堂)の店頭では、店の者らしい若い男女がいちゃついている。女が男のひざに乗っている。カメラを向けたらVサイン。写真がピン呆けになってしまった。

中国の南部の各地では今年、洪水が頻発し、死者もたくさん出ているが、実は桂林ではこの時期、洪水は年中行事みたいなもの。去年は7月の初め、僕が夏休みで日本に戻るため上海に向かった直後に漓江が溢れた。去年の洪水はこの1回だけだったが、今年のよりもひどかったそうだ。アパートの1階に住んでいて、部屋が水に浸かった生徒がふたりいた。おまけに停電もあり、ビルの4階にあるわが塾がしばらくの間、何人かの生徒たちの避難所になっていた、とあとで聞いた。

そんなわけだから、人々は洪水くらいでは慌てず、対応も早いのだろう。チャンス到来とばかりに、儲けに精を出す連中も出てくる。さっきの筏の運賃は一昨年までは5元だったのが去年、いっせいに2倍に跳ね上がったのだそうだ。塾の近くのビーフン(米粉)屋は前回の洪水の日、間髪を入れず料金を3割ほど値上げした。近所の人たちが家に帰れず、腹をすかすのを見込んだのだろう。ところが、今回の洪水では当のビーフン屋の店先まで濁水がやってきた。値上げどころではなかったようだった。

下の写真は、漓江のすぐ脇にある、ちょっとしゃれたレストランだが、洪水のたびにこの程度の被害は受けてしまう。ところが翌日、水が引くと、その夜には平常どおり営業していた。洪水後の衛生状態がどうなのかは知らないが、逞しいことは実に逞しい。

日本でなら、こんなに毎年、同じ街に洪水がやってきたら、住民はどう反応するだろうか。まずは役所にがんがん文句を言うのではないか。ところが、こちらの人たちにはそんな動きはとんとないみたい。自然の災害なんだから、お役所に言ったってどうしようもないでしょ? そんな感じである。僕が「洪水時」の写真を撮った橋の上は、見物客で溢れていた。記念写真を撮っている連中も多い。物売りもやってきた。歓迎はしないけど、洪水を友として生きる、といった感じの人たちである。