戸は開けたら閉めましょう

朝8時半、6人の生徒が「おはようございます」と口々に言いながら、元気よく教室に入ってきた。大学生が中心で、男の子が1人、あとは女の子だ。以前からの塾生もいるが、夏休みの間だけわが塾に通う子も3人いる。桂林など遠方の大学からやってきた。それぞれが席に着き、これから2時間、ぶっ通しの作文の授業が始まる。2週間ほど集中的にやる予定で、今日がその初日だ。

ふと、玄関を見ると、戸が開いたままだ。最後に入った子が閉め忘れたのだろう。塾で相棒の中国人の女の先生がたまたま近くにいて閉めてくれた。授業の2日目、3日目・・・6日目、7日目、何も言わないでじっと見ていたが、この子たちはいつも戸を閉めない。全員が教室に入った後も開けたままである。よからぬ誰かが侵入してくるかも知れない。僕か相棒の先生が戸を閉めている。どうしてだろうか? 嫌がらせかな? いや、そんなことは考えられないし・・・。

8日目、やはり誰も戸を閉めない。とうとう痺れを切らして尋ねてみた。どうしてなの? 何か理由でもあるの? 一瞬、みんなポカンとしている。やがてぼそぼそとつぶやきが返ってきた。「私の郷里は農村で、家の戸はいつも開けっ放しですから、その習慣が・・・」「他人の家に入って、勝手に戸を閉めるのは失礼では・・・」。なんとも説得力がない。みんな「閉める」「閉めない」ということに、そもそも関心がないようであった。

この地で塾を始めてかなりになるのに、今ごろこんなことに気付くのはうかつな話だが、実はこの作文の授業はいつもの塾ではなく、普段は教室として使わない僕の住まいでやった。ここにも机、椅子に黒板を置き、授業が出来るようにしている。また、塾として借りている別のアパートでは、生徒の出入りはもっぱら相棒の先生が見てくれている。僕が生徒の出入りを見ることはあまりない。そんなわけで、今になって初めて戸を閉めない生徒たちに気付いたわけだ。相棒の先生に確かめると、「そんなこと、いつものことです。注意しても、すぐ元に戻ります」と、僕の不明をたしなめられた。

彼女によると、先日もこんなことがあった。塾の3つある教室のうち真ん中の教室で彼女が数人を相手に授業していた。両脇の教室にはそれぞれ5〜6人の生徒がいて、誰かが先生役をやったりして教え合っている。やがて、一方の教室の生徒たちが帰って行く気配がした。しばらく後、彼女がなんとなく気になって塾の玄関を覗いてみると、戸は開けたままだった。彼女が閉めた。そのうちに、もう一方の教室の生徒も帰って行くようだった。今度も彼女が覗いてみると、戸は見事に開けっ放しになっていた。

この地がそれこそ泥棒もいない土地だったら、開けっ放しもまだ分かる。しかし、アパート・マンションの5階、10階まで窓という窓には鉄格子をはめておかないと、いつ泥棒にやられるか分からない物騒な土地柄である。塾の玄関の戸だって頑丈そうな鉄製で、しかも二重になっている。開けっ放しの理由がどうも理解できない。いや、理由なんてそもそもないのかも知れない。失礼ながら当地の若者たちには「締まり」とか「けじめ」とか、あるいは「きちんとやる」とかいった感覚に欠けるところがあるのではないだろうか。

締まり、けじめと言えば、こんなことがあった。さっきの作文の授業で1人だけいた男の子がある日、欠席している。上海の近くの大学に通っている子だ。他の生徒たちに聞くと、大学が早めに始まるので、今日の汽車で大学に戻るとのこと。ふーん、そうならそうと昨日、言ってくれればよかった。何も言わないとは、全くけじめがない。彼が昨日提出した作文を2本、夜遅くまで掛かって添削しておいたのに、無駄になってしまった。渡す方法がない。それとも、住所を調べて郵便で送れとでも言うのだろうか。

この種のことがちょくちょくある。それも2年、3年とわが塾にいて、何かの事情で辞めていく生徒の場合だ。同じ中国人ということで相棒の先生には口頭か電話で伝えているようだが、僕には何も言ってくれない。黙って消えて行き、あと音信不通となる。嫌われていたのだろうかと、疑心暗鬼にさえなる。日本語もある程度出来るようになっているのに、ひとことの挨拶もメモのひとつも残さないで消え去るというのは、何かさびしい。

そんなこともあって、先の作文の授業に遠方の桂林から来ていた女の子2人には、相棒の先生から「最後の授業ではきちんと挨拶するように」と伝わっていたらしい。「お世話になりました。またいつか・・・」と言われ、嬉しかった。玄関のほうも9日目以降は生徒がちゃんと戸を閉めるようになった。日本語の授業とは直接の関係はないが、締まり、けじめがないままでは、この子たちも将来きっと困るだろう。いささかうるさいと思われても、これからは積極的に「小言幸兵衛」になろうと考えている。