「替え玉受験」騒動

塾の雰囲気がなんとなくこれまでとは違う。相棒の中国人の先生はそう感じた。なんなのだろう? で、広くもない塾の中をうろうろ歩いているうちに、L子の存在に気づいた。彼女がわが塾に来てから、もう1年近くになる。なかなかに活発で、愛想のよい子だ。日本人と結婚した姉を頼って日本に行きたい、そして、語学学校に入りたい。それがわが塾に通い始めた理由だった。

でも、日本語の勉強には熱心ではない。よくさぼる。ところが、最近は毎日のように塾にやって来る。ただし、勉強しているようには見えない。空いている教室に入って、誰かと話し込んでいたりする。塾の生徒の何人かは彼女からよく食事に誘われたり、小物をプレゼントされたりしているようだ。

彼女はこれまで何回か、日本に行くためにビザを申請したが、はねられている。日本語の能力の低いのが理由らしい。それとなく生徒たちに聞いてみると、彼女は次の「J.TEST実用日本語検定」を受け、なんとしても「認定証」を手に入れたいと焦っている。これがないと、またビザを申請してもはねられそうだ。

ちなみに「J.TEST」というのは年に6回、日本のほか中国などでもやっていて、上級者向けの「A−Dレベル」は1000点満点、初級者向けの「E-Fレベル」は500点満点、前者は500点、後者は250点取れば、認定証をもらえる。L子の受けるのはE-Fレベルだが、彼女の力ではとても250点に届きそうにない。

替え玉受験だ!! L子は替え玉受験の引き受け手を塾の中で探しているのだ。わが相棒の先生はひらめいた。受験には写真つきの身分証が必要だが、L子が特に親しげに接触している二人は、顔つきがなんとなくL子に似ていないでもない。かなり周到な「計画犯罪」である。

相棒の先生は二人のうちの一人を呼んだ。彼女は塾に来て2年余り、なかなかに真面目でよくできるので、初級者を相手に教師の代わりもしてもらっている。言わば、わが塾の「師範代」の一人でもある。だから、相棒の先生は直截に切り込んだ。

「あなたは先生でありながら、生徒の替え玉受験を引き受けるのですか」

「そんなことは絶対にしません。確かに、替え玉受験を頼まれましたが、断りました」

ただし、彼女はL子と「先生と生徒」の関係だとは言え、年齢もほとんど一緒で仲もいい。おまけに、さんざご馳走になってしまったので、断りにくい。で、「J.TEST」は日曜日にあるが、場所が桂林から遠いので、土曜日には出発しなければならない、でも、私は土曜日に授業があるので、桂林を離れるわけにはいかない・・・なぞと、回りくどい理由をつけ、断るのには苦労したようだ。

相棒の先生はもう一人を呼んだ。彼女は大学を卒業したばかりで、在学中からの生徒だ。あと1年は就職しないで日本語を集中的に勉強したいと言っている。彼女にもずばり聞いた。

「私の目を見ながら話しなさい。L子の替え玉受験のことです」

「日本へ行きたいので助けてほしいと頼まれたので、引き受けました。いけませんか?」

相棒の先生の逆鱗に触れたのは言うまでもない。「替え玉受験を引き受ければ、友だちを助けることになるのですか。逆に、友だちを悪くするだけです。日本語もできないで日本へ行かせて、どうするのですか。売春でもさせるのですか」。彼女は滝のように涙を流しながら謝った。さっそく断ったそうだが、どう言って断ったのかは聞いていない。

もっとも、L子の気持ちも分からないではない。この地では「替え玉受験」に対する罪悪感が一般的に乏しい感じがするからだ。わが塾では初めてのことだったが、これまで何度もその種の話を聞かされてきた。だからL子も、ビザを取るためにはJ.TESTの認定証が必要だ→しかし、自分にはその力がない→じゃあ、仕方がない、誰かに頼んで代わりに受験してもらおう・・・単純にそう考えたとしても不思議ではない。

引き受けたほうの気持ちだって分からないではない。友だちを大切にするのがこの地の人たちのいいところだ。だから、替え玉受験でもなんでも友だちから頼まれれば、深くは考えないで友情第一と引き受けてしまう。おまけに、L子は最低500元(1元=12〜13円)の報酬を約束していたらしい。この地の若者にとってはちょっとした金額である。

L子はその後、塾に顔を見せていない。彼女と約束した授業もすべて終わっている。諭したくても諭しようがない。それに、替え玉受験を阻まれたことを怒っているとのこと。自分が自分のカネを使ってやろうとしていることを、関係のない第三者がなぜ妨害するのか・・・ものごとの是非が判断できないようだ。いつかは分かってくれる日が来るのだろうか。