「悪知恵」に富んだ人たち

[第一話] わが塾の相棒、中国人の女の先生。その携帯電話が鳴り、呼び出し音は1回で切れた。いわゆる「ワン切り」という奴のようだ。僕の携帯にも1日に5回やそこらはある。ここはワン切りの多い土地柄らしい。しばらくして彼女の携帯がまた鳴った。相手の電話番号はさっきと同じだ。誰からの電話か、思い当たる節があった。少し前、塾の生徒から「高校生で日本語を勉強したいと言っている男の子がいます。先生の電話番号を教えてもいいですか」と聞かれ、OKしていたからだ。多分、この子からの電話だろう。その2回目の電話も呼び出し音はやはり1回で切れた。

3回目にまたも同じ番号から掛かって来た時、相棒の先生は1回目の呼び出し音に素早く反応した。相手は「ウッ」と驚いたような声を出し、すぐ電話を切った。次は彼女から電話を掛けてみた。出てきた男の子は「さっきはなぜ電話に出たんだ」と怒っている。この子によると、彼は塾で日本語を学ぼうとしている、いわば「お客」である。お客の方が電話代を使って塾に電話する謂れはない。塾つまり「業者」の方から電話するのが筋である。だから、ワン切りをやったのに、それに出てくるなんて非常識・・・ということらしい。「知恵」いや「悪知恵」に富んだ子である。この子はまだわが塾の生徒にはなっていないが、ぜひ会ってみたい。出来ればたたき直してみたい。

[第二話] わが塾で3年余り日本語を学んだ女性が自動車の販売店に就職した。日本の大手自動車会社系列の販売店で、この自動車会社の販売店は南寧に何社かある。彼女の就職先はそのひとつ、仕事は「お客様サービス係」とのこと。車を買ってくれた人に電話して要望や苦情を聞く、いわばアフタサービスが仕事である。中国人経営の中国人ばかりの会社だし、せっかく学んだ日本語も当面はほとんど必要ではない。でも、日本と関係のある仕事だし、まあ悪くないのではないか。僕はそう思っていた。

ところが、そのうちに彼女が「私の仕事はお客様にサービスするのではなくて、逆にお客様を騙すことなんです。つらいです」と言い出した。えっ、どういうことなの? 聞いてみると、この日本の自動車会社の「アフタサービス」は、言うなれば2段階になっている。第1段階は、車を直接売った南寧の販売店が電話で客の要望や苦情を聞く。そのうちに、上海にある中国での元締めのような会社からも直接、客のところに要望、苦情を聞く電話が掛かってくる。これが第2段階で、さすがは日本の自動車会社、実に丁寧なアフタサービスである。もちろん、南寧の販売店は上海の会社に客の名前や電話番号などを知らせることになっている。

それはそれでいいのだが、客の中には南寧の販売店のサービスに不満を持つ人もいる。一方、販売店としては、それを上海の会社に知られたくない。上海から直接、客に電話が掛かれば、それがばれてしまう。では、どうするか。上海の会社に車の売却先を連絡する時、不平分子の場合は名前だけそのままにして、電話番号を販売店の社員のものに変えてしまうのである。つまり、販売店の社員が車を買った客に成りすます。そして、上海から電話が掛かってきたら「いやぁ、この販売店のサービスは満点だ」とか言って褒めちぎる。結果、販売店の悪い評判が上海の会社に知られないだけではない。「優秀販売店」として報奨金にもありつける。ほんのちょっとした細工だが、大した「悪知恵」である。

わが塾の彼女には何の責任もないのだが、「お客様サービス係」と称しながら本当の仕事は、サービスに不満を持つ客を見つけ出し、それを隠してしまう、その前作業なのであった。

[第三話] 塾の生徒に薬局の一人娘がいる。祖母、母と50年も続いた薬局だそうだ。ある時、「中国の薬って偽物が多いそうだね。一説には7割の薬が偽物だと言われているけど、実際はどうなの?」と聞いてみた。

彼女の答えは明快だった。「いいえ、偽物はありません。ただ、大きな会社が作った薬と小さな会社が作った薬とがあります。薬の名前は少し違いますが、小さな会社の薬もちゃんと効きます。それと、薬局にとっては、大きな会社の薬はあまり儲かりませんが、小さな会社の薬は利益が大きいです。ですから、お客様が見えたら、小さな会社の薬を『よく効きますよ』と言ってお薦めします」。こちらの薬局では客からよく見える位置に、彼女の言う小さな会社の薬、はっきり言えば偽物が並んでいて、本物は客から見えにくい所に置いてあるそうだ。別の生徒がそう教えてくれた。

最後に「薬局の経営者が風邪を引いたりした時は大きな会社、小さな会社、どっちの会社の薬を飲むの?」と、さっきの彼女に尋ねてみた。これも明快な答えだった。「もちろん、大きな会社の薬です」。

          ☆  ☆  ☆

こんな話はまだまだあるが、身近な人たちの悪口になってもまずいので、当面はこの程度にして・・・でも、第一話の男の子は別として、第二話の女性は「こんな仕事は続けられません」と、条件は悪くなかったのに、さっさと自動車の販売店を辞め転職してしまった。第三話の一人娘も「私は薬局を継ぎません。母が亡くなったら全部売り払い、そのおカネを持って日本に行きます」と言う。彼女は周りの人に対してなかなかに思いやりがあり、また、ユーモアのある子だ。「偽物」に対する憤りをこんな表現で表したのだろうか。「悪知恵」に富んだ人も多いけど、それに対抗する「知恵」もある、わが塾の生徒たちである。