低頭族と抬頭族

春節旧正月)の休みで上海を経由して日本と行き来した。上海では何回か地下鉄に乗ったし、東京では毎日のように地下鉄、JR、郊外電車に乗っていた。その折、気づいたことがある。東京では電車の中で本や雑誌を読んでいる人が結構「いる」ことだった。そして、上海では「いない」ことだった。

東京の車内で心なしか新聞が少なかったのは、昔その業界にいた僕としては寂しかったが、車内に座って見渡すと、活字に目を通している人がいつも何人かはいた。座席から目を上げたら、すぐ前に立っている若い女性が『聞く力』を読んでいた。変な名前の本だなあと思ったら、ベストセラーのひとつとか。もちろん、スマートフォンや普通の携帯電話、それにタブレット型の端末を手にしている人の方が多かったが、本や雑誌を読む人たちを見てアナログ人間の僕はほっとした。

日本に戻る前に乗った上海の地下鉄では、僕の周りではそうした人を全く見かけなかった。少し大げさかも知れないが、上海では半分から7〜8割の人がスマートフォンなどを手にしてじっとうつむいていた。なんか異様な感じがした。そんな記憶が東京での「発見」につながったのだろうが、帰路の上海で地下鉄に乗った折、活字を読む人が本当にいないのかどうか、ひとつ調べてみようと思い立った。

で、8両連結の地下鉄の最前部から最後部までを歩いてみた。1回目は坐席の6割方が埋まっていた。2回目はほぼ満席だった。見て回ると、本や雑誌、新聞に目を通している人もいることはいた。でも、1回目は3人、2回目は本を膝に眠っている人も含めて5人だけだった。東京に比べると極端に少なかった。

スマートフォンなどの操作に夢中になって、じっとうつむいたままでいる人のことを、最近の中国では「低頭族」と呼んでいる。日本語らしく言えば「うつむき族」といったところか。日本でも同じだろうが、車を運転しながらスマートフォンなどをチラチラといった連中も見かける。公共バスの運転手でも平気でやっている。インターネットで検索してみたら、台湾では今年から、たとえ停車中であってもこうした「低頭族」を見つけたら、警察が摘発することになったという記事があった。交通事故の原因になっているからで、「低頭族」は案外、台湾生まれの新語なのかも知れない。

上海の地下鉄でさっきの「調査」を終わって某駅で降りたら、いきなり下の写真のような馬鹿でっかい広告が目に飛び込んできた。


ホームの柱をぐるりと取り巻いた、床から天井に達する広告だ。いずれも上部に「抬頭族になろう」とある。「うつむき族」に対して「上向き族」ということか。そして「45度」が線で示してあり、モデルの目線は上を向いている。うつむかないで「頭を45度上げよう」ということらしい。広告の下部には「頭を上げて前を向き、自分で自分の道を探そう」「ちょっと困難で悲しいこともあるけれど、成長してもっと強くなるために、頭を45度上げよう」というコピーが添えてある。

男性の登場する同様の広告もある。ひとつは「成功は第二歩目だ、まず勇気を持って第一歩を」とのコピー。これが頭を45度上げることとどういう関係があるのか、いささか意味不明だが、もうひとつの、男性が泣き叫んでいるような広告のコピーは、よく分かる。「現実に何回も負けていても、絶対に頭を下げてはいけない、自分を放棄してはいけない」。


いわゆる公共広告なのだろう。意味するところは分かる。どこにも「スマートフォンなどに没頭しないでください」とは書いていないが、「低頭族」「うつむき族」に対するアンチテーゼである。

じっとうつむいたままの姿勢が健康によくないことは最近、日本でも中国でもしばしば指摘されている。わが塾の生徒たちと話していたら、「低頭族=中毒患者」といったとらえ方をしている。ただ、本人たち自身がそうでありがちなのは困った話だが、さっきの4人のモデルが45度うつむいている広告も別の地下鉄駅にあると聞いた。今回はそれを見に行く時間がなかったが、いずれにしろ、さすがは中国一の近代都市、上海だけのことはある。なかなかに凝った広告ではあった。

ところで、上海の地下鉄での「調査」の時、ほぼ満席の車内を歩いていたら、何人かが立ち上がって僕に座席を譲ろうとしてくれた。老人が座席を求めて車内をうろついている。そう誤解されたらしい。そんな時にさっと立つのがこの地の人たちの優しさでもあるのだが、立ち上がってくれた人はみんな「抬頭族」だった。スマートフォンなぞは手にしていなかった。「低頭族」はうつむいたまま、誰も僕には気づかないようだった。