身軽な人たち

わが塾の生徒だった20歳代の女性からメールが来た。「先生、ご無沙汰しておりますが、お変わりございませんか。私は今、杭州の旅行会社で元気に働いています。いろいろご心配をお掛けしましたが、どうかご安心ください」。エッ、また引っ越したの? 彼女はとにかく引っ越しが多い。少し大げさに言えば、メールが来るたびに居所が変わっている。いくら気楽な独り身とは言っても、よくやるなあ。あきれるよりも、僕はその身軽さに感心してしまった。

今年の初め、僕が中国から帰国した頃は、彼女は桂林にいた。同地の日系企業に勤めていたのだが、会社のリストラ方針を機に割り増しの退職金をもらって辞め、しばらく遊んでいた。そして、春には桂林から南東に直線距離で200キロほどの梧州に移った。梧州は大河に面した、かつては水運で栄えた古い町で、そこの日系企業でわが塾の最古参の女性が通訳として働いている。遊んでいても仕方がないので、先輩のそばで暮らして日本語をさらに上達させようとの腹積もりだった。

ただ、この町にいたのは3か月ほどで、次は南寧に引っ越したと聞いていた。田舎町での生活が退屈だったのかも知れない。梧州からだと南寧は西方にやはり直線で300キロほどの距離だ。

そして、今度は杭州である。ここは上海に近く、南寧から杭州まで飛行機で2時間以上は掛かる。わずか1年の間に、こんな遠距離も含めて3回の引っ越しである。つまり、居所は4回変わっている。彼女が桂林でわが塾に出入りし始めてから6年か7年になるが、その桂林でも5回やそこらは引っ越しているはずだ。だからと言って、性格がいい加減という訳でもない。一度、住まいを訪ねたことがあるが、実に身ぎれいにしていた。

ところで、こんな身軽さは(彼女はいささか引っ越し回数が多いとしても)この地では決して珍しくはない。僕の周りの中国人の若者は実に気軽に住まいを変える。そんな女性のひとりに「どうして中国人は頻繁に引っ越しするんだろう? 日本人はそれほどではないよ」と言ったら、「日本人はなぜそうなんですか」と、逆に聞き返されたことがある。「引っ越すと気持ちが新しくなるし、荷物は整理できるし・・・それに、人間はやはり動物だから、よそに行きたくなって当然かも・・・」とも彼女は言っていた。

引っ越しに当たっての荷造りも素早いのだろう。何日も掛かるようでは、引っ越しが面倒くさくなる。もう2年ほど前のことになるが、南寧の僕の住まいには、家賃も頂いたうえで、塾の女性の生徒4人を住まわせていた。みんな20歳代で、仲良くやってくれていると思っていた。ところが、ある日、僕が出掛けている間に、うち2人が口喧嘩になったらしい。想像も込めて言うと、「私、あなたなんか嫌いよ」「ああ、結構よ。私が嫌いなら、ここを出て行けばいいじゃないの?」「いいわよ、出て行くわ」。どっちに非があるのか、よくは分からないが、まあ売り言葉に買い言葉、こんな調子だったらしい。

以上はよくあることだろうが、驚いたのは「出て行くわ」と言った女性の行動だ。これもあとで聞いた話だが、さっそく荷物をまとめ始め、僕が戻って来た時には、彼女のいた部屋(2人が半分ずつ使っていたのだが)は空っぽになっていた。いくら独り身でも、彼女はこの部屋に1年近く住んでいた。ベッドは僕の所有物だが、かさばる布団はあるし、いろいろと身の回りの品もたまっていたことだろう。それをまさにあっと言う間にまとめて出て行ってしまった。その間、2時間足らずだったそうだ。

でも、運送はどうしたのだろうか。締まり屋の彼女が運送会社に頼むはずはない。誰か車を持っている友人か知人に頼んだのだろうか。それにしても、どこへ行ったのだろうか。彼女の両親の家はここから随分と離れている。面子もあろうし、そこに帰ったとは思えない。友人のアパートに駆け込んだのだろうか。何度か携帯に電話してみたが、電源が切ってあった。とにかく早業ではあった。

昔、僕が確か高校生の頃にアメリカ映画で見た場面を思い出した。一緒に暮らしていた男と女が口喧嘩になる。何が喧嘩の原因だったか、全く記憶にないが、とにかく「じゃあ、別れましょう」ということになり、女がスーツケースひとつだけを提げてアパートを出て行く。画面にはその後ろ姿がしばらく映っていた。「ああ、かっこいいなあ」と感じたのを今でも覚えている。そんな場面を彷彿とさせる、さっきの彼女の「家出」であった。

いま欧米でもアフリカでも、とにかく中国人だらけだそうだ。その理由のひとつにこういう身軽さがあるのではないだろうか。日本と欧米に長く暮らした、僕と同年輩の台湾人のご老体が言っていた。「やがて世界は中国人が回すようになりますよ」。中国共産党だけは御免こうむりたいけど、あながち誇張した話ではないのかも知れない。