祝 新生「東方語言塾」

この十数年来、春節旧正月)の休みは1カ月ほど日本にいたらすぐ中国に戻っていたのだが、今年はもう6カ月ほども日本にとどまっている。「脊柱管狭窄症」による足の痺れを治してしまいたいというのがその最大の理由で、南寧の我が「東方語言塾」の授業も古手の生徒たちにゆだねてきた。だが、前払いしてきた塾の家賃もそろそろ切れる。さて、塾のこれからをどうしたものか。あっさりと幕を引いてしまうか、なんとか続けていくか。

そう思い悩んでいたら、案ずるより産むが易し、数年来の塾の生徒でこの半年、授業を任せてきた女性が中心になって、塾を続けていってくれることになった。彼女はこの7月に広西大学日本語科を卒業したばかりで、20歳代半ば、日本語能力試験1級にもとっくに高得点で合格している。塾のために借りていたアパートは大小4部屋あり、うち3つを教室に、残り1つを彼女の住まいにしてきたが、これからも同じように使っていく。「東方語言塾」の看板もそのまま残す。机や椅子、教卓、黒板、本棚、それにCDプレーヤー、プリンターなどは結構古くなったが、まだ当分は使えるだろう。

家賃は最初の半年はこれまで通りに1800元(1元≒16円)、半年後から1900元、敷金2000元とか。半年分を一括して前払いする約束で家賃をいくらか安くさせてきたので、当面1万数千元が必要だが、借金したりしてなんとか工面したそうだ。塾は続くのに資金の援助もしてやれず、心苦しい限りだが、残してきた机や椅子などで勘弁してもらおう。あらためて揃えようとすれば結構な金額になる。

教師役はさっきの彼女と、もう一人の20歳代半ばの女性。こちらは7年ほど前、桂林で塾を始めたころに入ってきて「あいうえお」から始めた塾の古顔だ。一時期はあちこちに勤めたりして塾を離れていたが、「学歴のない自分が生きていくには、やはり何か人に負けない知識が必要だ」と、桂林からわざわざ南寧にやってきて再び日本語に挑戦し始めた。この7月6日には日本語能力試験1級を受けた。毛色の違った二人が教師役で、衝突もするだろうが、なんとかやっていってほしい。

授業の計画は初級、中級、上級の3クラスに分け、さらに1年を4期に分けたやつがすでに立ててある。僕なんかせいぜい数カ月先までの授業しか視野になかった。よく言えば臨機応変だが、まあ行き当たりばったりでやっていた。

授業料は生徒集めを優先してこれまでよりもやや安めにしているものの、半年払い、1年払いを基本にするとのこと。「塾なんだから、月謝は毎月払えばいいだろう」と言う向きも多いのだが、いつまで続けてくれるか分からないと、責任を持って教えられない。この半年払い、1年払いはこれまでのやり方を踏襲してくれている。親はなくとも・・・ではないけれど、授業計画といい、授業料の決め方といい、なかなかに立派なものである。

ただし、一番の心配は生徒の数だ。塾の生徒は学生が中心だし、7月と9月は中国の学校では卒業と入学、進学の季節である。このため、塾の生徒もかなり入れ替わったりする。聞いてみると、塾にはこれまで二十数人の生徒がいたが、うちこれからも続けて塾に通うと言っている者は十数人。9月になればポスターやチラシで生徒集めに精を出さなければならない。ただ、日中関係の冷え込みが若者たちの日本語習得熱にも影を落としている。生徒の集まり具合によっては半年後の家賃の支払いに支障が出て来かねない。

もうひとつの心配は教師役の二人はまだ日本に行ったことがなく、日本人の教師もいないことだったが、これも案ずるより産むが易しであった。僕の帰国中、このブログを通じて60歳代の日本人男性と知り合い、何度か酒を酌み交わした。その彼が日本から南寧に飛んで、塾に出入りしてくれることになった。

彼はもともと中国語を習うため南寧の大学に留学するつもりだったが、留学先をわが塾に変更し、中国語は中国人の若者から学ぶ、代わりに週に何回か、日本語の会話や日本のビジネスマナーを教える予定だ。彼は現役時代、テレビのCMを作っていた。日本のアニメや漫画で育った中国の若者たちとは僕より馬が合うだろう。生徒集めにもいい影響があるかも知れない。

一方の僕はこの半年、日本にいる間も生徒たちの作文をEMS(国際速達郵便)で受け取り、添削しては送り返していたが、これは今後も続けていく。手間は掛かるものの「おやっ」と思う話が飛び出してきたりして、結構楽しい。

かくして、将来にいささかの不安を抱えながらも「祝 新生『東方語言塾』」となった次第である。