「正義」の人たち

中国から日本に戻ってくるたびに、日本って「正義の人」と言うか、「正義感の強い人」って言うか、そんな人が目立つなあって感じがする。しかも、肝心の正義や正義感には「?」がついていて、いささかせっかちで・・・中国ではあまり見掛けない人たちだ。

上海からフェリーで大阪港に着き、新幹線の新大阪駅に直行した。ああ、そうだ、埼玉の自宅に電話しておかなきゃ。上海で見送ってくれた塾の仲間にも無事到着を知らせておこう。でも、あいにく携帯電話を持っていない。で、ぶらぶら歩きながら公衆電話を探すが、なかなか見つからない。立ち止まって周りをぐるりと見回そうとした。

突然、すぐ後ろから男の大きな声が聞こえた。「立ち止まらないでください。ぶつかったら危ないです」。振り返ると、おじいさんだ。あっ、どうも、どうも・・・。
でも、車間距離じゃないけど「人間(じんかん)距離」ってものもあるんじゃないの? 人の後ろを歩く時は、前の人が突然立ち止まっても、ぶつからなくても済むだけの距離を開けておいてほしいけどなあ。

埼玉の自宅から電車に乗って東京に向かった。電車は混んでいて、席がなかったので、ドアのそばに立っていた。途中の駅で電車が止まり、ドアが開いた。僕は降りる人の邪魔にならないように、横の座席にぴったりと体をくっつけた。

ところが、脇を降りて行った男が大きな声を出した。「そんな所に立っていたら、降りられないじゃないか」。別にこの男と体が触れ合った訳でもない。見ると、やはりおじいさんだった。すたすたと歩いて行く。今度は僕もいささか腹が立った。「ばっかやろう」と、男の後ろから小さな声を投げつけた。

以下は日本にいる中国人女性から聞いた話だ。雨の日、スーパーに行った。開店早々ですいている。広々としたカート置き場にはカートが4列に並んでいて、どの前にも人がいない。彼女はその1つの列の前で立ち止まり、傘をたたんだり、リュックをかごに入れたりしていた。当然、その列は彼女のために塞がったが、他の3列は空いている。

ところが、おじいさんが一人、彼女を押しのけるようにして彼女の前に割り込んできた。そして、彼女の真ん前の列からカートを引っ張り出すと、ジロリと彼女をにらみつけながらスーパーに入って行った。カートとカートが少しぶつかった。「列の前で立ち止まったりするな。お前を教育してやっているんだ、といった感じでした」と彼女は言う。

最近、中国人の観光客が急増している。で、僕の感じだけど、大きな荷物を抱えて電車に乗るのは、観光客に限らず中国人が多いようだ。日本人なら宅配便を使うところだろう。そして、さっきの中国人女性は「電車がすいていても、日本人は大きな荷物を持ち込むのは正しくないことだとして嫌がるようです。私もガラガラの電車なのに周りから冷たい目でじろじろ見られたことがあります」と話す。ちなみに、彼の地ではびっくりするほどの大きな荷物を持ってバスに乗り込んでくる。みんな何も言わないし、にらみつけたりはしない。お互い様でもある。

僕は最近、この上なく正義感に満ち溢れた人に遭遇した。ある日の夕方、我が家の近くを自転車で走っていた。車が怖いから、歩道のある所は歩道の上を走った。すると、向こうから男が1人歩いて来た。この歩道は狭い。自転車と歩行者がすれ違うのは危ない。僕は自転車を歩道の左端に止め、男の来るのを待った。僕の側から見れば、僕の右手を男に通ってもらおうと思ったのだ。

ところが、男は僕の右手に行くどころか、左手にある自転車の真ん前に向かって歩いて来て、車輪のすぐ前で立ち止まった。えっ、いったい、どうしたの? 40歳がらみの男は怒鳴りだした。「俺はちゃんと歩道の右側を歩いている。車は左、人は右だ。しかも、お前は自転車で歩道を走って、歩行者を危険にさらしている。お前がまず車道に下りろ」。いやあ、そんなこと言われてもねえ・・・。

暴力沙汰にはならなかったけれど、とても、埒(らち)が明かない。僕もこんなアホを相手に引き下がりたくはない。「じゃあ、警察でも呼んだら」と僕が冗談半分で言うと、彼はすぐ110番した。後で考えると、狭い歩道を自転車で走っていた僕を、警察が道路交通法違反でとっちめてくれると期待したらしい。でも、そんなことにはならなかった。狭い歩道でも、小さな子供や老人は自転車で走っても構わない。やってきた警察官たちの説明だった。

結局は、年配の警察官のとりなしで「歩行者の安全には気をつけましょう」ということを互いに確認してお開きになったが、考えてみれば、僕も所詮は「?」つきの「正義の人」だなあ、と思いながら家路についたことであった。