懐かしのハルビン「交通事情」

この前、実に久し振りに訪れたハルビンでは、旧知の人たちに会えて懐かしかったが、街の「交通事情」もこれまた懐かしかった。と言うのは、もう13年も前、ハルビンに住み始めて1年後に書いた『ハルビン発 なんのこっちゃ』を思い出したからだ。あの頃と変わらないなあ・・・。

そのコラムの内容は――歩行者の僕にとっては、ハルビンで道路を横断する時が一番怖い。それがちゃんとした横断歩道であって、かつ歩行者信号が青信号であっても、関係はない。どこから車が突っ込んでくるか、分からない。ところが、中国人は平然としている。車にはねられた人をまだ見たことがない。

そうだ、中国人の陰に隠れて横断歩道を渡ろう。それも、中国の車は右側通行だから、横断歩道の前半は中国人の右側につく。後半は体を入れ替えて左側につく。そのようにして渡れば、彼らが盾になってくれる。万一、車が突っ込んできても、僕だけはなんとか逃げられるだろう。コラムの題は「中国人は命の恩人です」だった。

僕は北方のハルビンで5年暮らした後、南方の桂林、南寧へと移り住み、日本との行き帰りには上海を経由することが多くなった。そのどこも、交通ルール無視はよくあることだし、例えば、上海のバイク、スクーターは信号を完全と言っていいほどに守らない。でも、桂林、南寧、上海のどこでも、車が怖いとはそれほどには感じなかった。歩行者の僕にとっては、ハルビンの車がダントツに怖い。凄みがある。

ハルビンの歩行者も歩行者で、信号を守ったりはしていない。赤信号でもごく普通に渡って行く。今回も僕は皆さんの陰に隠れて渡っていたのだが、ある時、同行者が見当たらず、赤信号の横断歩道を一人で渡る羽目になった。見渡したところ、近くに車の姿はない。ところが、道路の中ほどまで進んだ時、左前方から乗用車が2台、僕に向かってかなりの速度で突っ込んできた。肝を冷やした。

でも、「猫」のように対応することで難を逃れた。つまり、車が自分に向かって突っ込んできた時、あわてて「犬」のように駆け出したりしてはいけない。猫がやるように立ちすくむに限るのだ。車だって人をはねたいと思っているわけでは決してない。立ちすくんでいると、なんとか避けていってくれる。

ハルビンの道路は片側3車線、4車線から6車線と広いものが多い。駆け出してなんとか最初の車、つまり「一の矢」を逃れても、次々に「二の矢」「三の矢」の車が飛んでくる。だから、駆け出すのはかえって危ない。犬よりも猫――これは僕がハルビン生活で得た知恵だった。中国人もやはりそのようにしていた。これも「中国人は命の恩人です」に書いた。

今回のハルビン滞在中、ちゃんと青信号になるのを待って道路を渡ったこともあった。確か片側4車線の広い道路だった。ところが、道の中ほどで信号が赤に変わってしまった。年をとって歩くのが遅くなったせいだろうか。いや、以前にもこんなことがちょくちょくあった。このこともハルビン時代、別の『なんのこっちゃ』に書いた。ロマンチックで大好きな都市だけど、車だけではなく交通信号など環境までがどうも歩行者には冷たい。

その冷たさの最新の例を今回、見つけた。ハルビンにも近年、地下鉄が走り出し、下の写真はその駅舎の一つである。なんと駅舎が歩道をほとんど塞いでしまっている。駅舎という駅舎がみんなこういう状況ではないのだけど、ほかでも見掛けた。どうしてこんなことになったのか、取材する暇がなかったのだけど、哀れなのは歩行者である。しょっちゅう車道を歩かせられる羽目になる。

ハルビン訪問の後は南方に高速鉄道で2時間の瀋陽に立ち寄った。ここでは、駅頭に出迎えてくれた教え子のRさんが「運転者」の視点から話を聞かせてくれた。彼女は数年前まで名古屋で働いていて、車も持っていた。ところが、帰国して結婚し、瀋陽に住むようになってからは怖くて運転できなくなった。「おかげでペーパードライバーになりそうです」。運転はもっぱら夫の担当だが、その彼も、幸い怪我はなかったのだけど、追突されたりしてこの1年間で3回、交通事故に遭っている。

歩行者にとっても、瀋陽ハルビンに勝るとも劣らない街だ。横断歩道の前に立っていても、信号がないせいもあったのだろうが、車は全く止まってくれない。徐行もしてくれない。また、Rさんの近くに住んでいた顔見知りの女性が運転中、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、40歳代の男性をひき殺したことがあったそうだが、裁判で示された補償金は90万元(1元≒19円)。働き盛りなのに2000万円足らず。老人の僕ならその何分の一かも知れない。近くまた中国に行くが、今度は南方の予定。北方で「復習」したことを役立てて無事に戻ってくるつもりだ。