市民それぞれの交通ルール

桂林では都心部から少し外れた所に宿をとり、翌朝早く窓から道路を見下ろしてみた。すると、写真のように、乗用車がずらりと並んでいる。あれ、このあたりは一帯が駐車場なのかな?と思ったが、そうではなかった。
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写真の手前には車がほぼ3列に並んでいる。うち、向こう側の1列は車の横に白い線が見える。つまり、この部分だけが駐車場である。どこかにカネを払っているはずだ。一方、手前の2列の車は歩道の上に並んでいる。駐車場ではない。カネを払うのを嫌って、歩道を駐車場代わりに使っているのだ。しばらくすると、持ち主が次々に現れて車に乗り込み、どこかへ消えて行った。
 
まあ、このあたりは歩道がやたらに広いから、これだけ車が止まっていても、歩くのにそうは不自由しない。だから、歩道上の駐車は夜間における歩道の有効利用と言えなくもない。
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しかし、上の写真のような、歩道を全部塞ぐような止め方はいかがなものだろうか。こんな駐車をされると、僕らは歩道を歩けなくなる。おまけに、駐車している車の向こう側はバス停である。バス停に行こうとすれば、いったん車道に降りるしかない。
 
もちろん、以上のような駐車は中国においても違法である。僕が1か月ほど桂林にいる間に1度だけだが、3人の交通警官が朝早くやってきて、違法駐車を写真に撮り、呼び出しか罰金かを知らせる紙切れを車に挟んでいるのを見かけた。だけど、その夜からまた元の木阿弥で、違法駐車は一向になくならない。人々も「お互い様」と思っているのか、文句を言う人はいない感じである。
 
話は少し飛んで、日本にフェリーで戻る前は、ほぼ4年ぶりに上海の港近くに2泊した。ホテルの周りを散歩していて、懐かしくさえ思ったのだが、ここではスクーターやバイクは赤信号でも「安全」と判断すれば、まず止まらない。歩行者が青信号で横断歩道を渡っていても、歩行者の間をすり抜けるようにして進んでいく。もちろん、スクーターやバイクに対する信号は赤であるが、歩行者が驚いたり、苦情を言ったりしているようには見えなかった。慣れているのだろう。
 
こうして眺めてくると、中国の人たちは一般に交通ルールに対して「無頓着」なようである。だけど、「無関心」とまで決めつけるわけにもいかない。話はまた桂林に戻って、下の写真は僕の宿の近くの交差点である。正面は百貨店で、都心部ほどではないが、このあたりの車の交通量は少なくはない。2階建ての公共バスも頻繁に走っている。
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それなのに、交通信号が全くない。写真左下の女性は男の子の手を引いて、交差点のど真ん中を渡って行こうとしている。横断歩道もあるのに、彼女の目には入っていないみたいだ。
 
こんな信号なしの交差点が僕の宿の近くではほとんどだったが、おかげで交通が混乱するなんてことはないようだった。車は互いに譲り合い、人々は車の間をすり抜け、なんとか機能していた。中国では桂林でも上海でも、あるいはその他の都会でも、市民はお上が決めた規則にただ従うのではなく、それぞれの「交通ルール」を持って車社会を生きている。少し褒めすぎかもしれないけど、そんな感じがした。