盲道の「盲点」

「盲道」という日本語はなく、普通は「視覚障害者用道路」とか呼ぶらしい。中国語にもこの言葉があるのかないのか、小学館の『中日辞典』には載っていない。でも、こちらの新聞では、もっぱら「盲道」である。で、この言葉を借りて話を進めていく。

この夏あたりから桂林の街中のあちこちで盲道の新設、あるいは改良工事が始まった。わが塾の前で新設工事をやられた時には、歩道を掘り返す電気ドリルの音がうるさくてほとほと参った。授業を中断せざるをえない時もあった。が、聞くところによると、全国に冠たる「無障碍都市」、つまりバリアフリーの街を造るためだそうで、そうならば文句も言えない。黙って見守るしかなかったが、工事もほぼ終わったようだ。桂林市の盲道の総延長は110キロになるという。

無障碍都市とうたうだけあって、失礼ながらこの地の人々にしては、なかなかに神経が細やかだと感心もさせられた。上の写真にあるように、バス停では盲人をバスの入り口まで誘導する盲道が新たに設けられた。盲道がマンホールの蓋で削られている所では、その部分にゴム製の盲道が張り付けられた。大学生がボランティアか何かでやっている、と地元紙に載っていた。もっとも、どこもかしこもがこうではない。と言うより、こんな所はまだごく少ないが、まずは見上げた心構えである。マンホールの上のゴム製盲道なんて、泣かせるではないか。

交差点などの横断歩道にも盲人用の「信号」が取り付けられた。青信号の時には「プップップッ・・・」といった音が鳴り、信号が青から赤に変わる前には、音の間隔がせわしくなる。ただ、音が小さくて、車の騒音にかき消されがちなのが難だし、歩行者用信号が青でも車は相変わらず突っ込んでくる。盲人用の「横断帯」といったものもまだない。が、一歩、二歩前進であることは間違いない。

桂林の盲道ではこれまで「これじゃ、盲人が安心して歩けないじゃないか」と気になる所がたくさんあった。でも、これだけの工事が行われているのだから、けっこう改良されているのではないか。そう期待してちょっと遠方まで足を伸ばし、気になっていた所をチェックしてみた。が、下の写真のように、相変わらず盲道は並木や電柱でさえぎられていた。盲道を信頼して歩いてきたら、大変なことになる。植え込みが行く手をさえぎっている所もそのままだ。うっかり植え込みに突っ込んだら、迷子になるかも知れない。


もっとも、これらは盲道のいわば「ハード面」である。今回は手が回らなかったが、いずれは改良工事があるかも知れない。では、盲道には障害物を置かないなぞといった「ソフト面」はどうなっているだろうか。人々の意識を高めるのは何かと難しいはずだ。以下の一連の写真がそのお答えである。盲道にバイク、スクーターや自転車がずらりと並び、盲人の、いや、そうでない人たちの行く手をも邪魔している。わざわざ盲道の上に盲道に並行して駐車している連中さえいる。盲道を駐車場と勘違いしているのかしらん。そう言えば、わざわざ盲道の上で孫におしっこをさせているおばあさんを見かけたこともある。

「邪魔者たち」の写真を撮ったのは「施家園路」という道で、以前、わが塾はこの道路脇にあった。端から端まで1キロほどの道路だ。暇にあかせて数日間、この道路で盲道を塞いでいるバイクやスクーターの類を数えてみたら、片側の道だけでいつも軽く100台を超えていた。それらに加えて、盲道に机を置いてカード遊びにふける男や女がいる。食事をしていたりもする。両側の歩道を合わせてこんな連中が必ず5組やそこらはいる。昼寝の人たちもいた。あれやこれや、ハード面での整備は進んでも、盲道は「盲点」だらけなのである。


恥ずかしいことに、僕は日本の盲道、いや視覚障害者用道路の現状がどうなっているのか、ほとんど知らない。なのに、中国の盲道をあれこれ批判しては申し訳ないとも思う。

だけど、上の写真のような「折れ線グラフ型」の盲道を見た時は、たまげてしまった。やはり「施家園路」にあった。なぜこうなったのか、理由は想像がつく。本来なら斜めにまっすぐな盲道を設けなければいけないのだが、四角いタイルに合わせて造ったために、こんな形になってしまったのだ。わずかな距離を進むために、盲人は右や左へうろうろしなければならない。そばで見ていたら、きっとおかしい。噴き出してしまうかも知れない。これはもう立派な人権侵害ではないのだろうか。