日本製品への「愛憎」

「あら、その5本指の靴下、日本製じゃないの?」。わが塾の中国人の先生が女性の友人3人の前で靴を脱いだ途端、鋭い声が飛んできた。「あ、ほんとだ。気持ちよさそう」「まだ、たくさん持ってるんでしょ? 少し分けてちょうだいよ」。蓄えがそんなにあるわけではないが、親しい友人たちだけに泣く泣く1足ずつ進呈する羽目になった。さっそく靴下に指を通した友人たちは「足の先から風がすう〜っと入ってくるみたい」「さすがは日本製ね」とご満悦だった

わが相棒の先生が5本指の靴下を履きだしたのは数年前から。僕が帰国した折、たまたま土産に持ち帰ったのがきっかけだ。履いてみると実に快適である。足が蒸れないし、何時間立って授業しても疲れない。以後、土産の定番となった。当方としても土産代が安くついてありがたい。3足いくらとかいった奴を探して買ってくるようになった。

その5本指の靴下を無理やり進呈させたひとりは、以前日本に住んでいた折にこれを愛用していた。中国に帰国後も日本に行く度に買ってこようとは思うのだが、いざその時になると、電気製品やカメラなどに気を取られ、ついつい忘れてしまう。中国でも最近は5本指の靴下が出るようになったので買ってみるが、うまく指が入らない。履こうとすると不愉快になる。そんな折に日本製を見つけて、いささか興奮してしまったということらしい。

その彼女も夫もとにかく日本製品が好きで、可能な限り身の回りを日本のもので固めている。トイレはTOTOの『ウォシュレット』で日本からわざわざ取り寄せた。おまけにトイレットペーパーからティッシュまでが日本製。たんすの中に山積みになっている。日本から何かを送る時、あるいは送らせる時に、緩衝材として入れているのだそうだ。夫が吸うたばこは中国製の『中華』だが、中国では買わない。同じ中国製でも、日本で売っているのを取り寄せている。中国で売っているのは「品質が信用できない」からだ。

これほどの日本製品好きは珍しいが、僕が一時帰国する折、中国人の知人や生徒から「代金はあとで払いますから」と、日本で電子辞書やカメラの類を買ってきてほしいと頼まれることがよくある。同じ日本製品は中国でも売っているのに、と最初はいささか煩わしかった。でも、彼らには「日本の企業は一番いいものは日本で売り、中国では同じブランドでも二流、三流品を売っている」という、まるで「信念」みたいなものがある。僕が「そんなことないでしょう」とでも言おうものなら、こんな例がある、あんな例がある、品質が劣るのに値段は中国でのほうが高いと、集中砲火を浴びてしまう。だから「同じ日本のブランドでも、買うなら日本で、日本人向けの製品を」ということになるらしい。

先般、日本に戻った折にも、中国人からブランドから記号・番号の類まで指定して電子辞書を頼まれた。それを家電量販店の店員に示すと「ああ、それは中国で売っている奴ですね。日本にはありません」と、こともなげに言われた。で、日本でしか買えない日本ブランドの電子辞書を買って戻り、大変に喜ばれたが、中国で売っている日本ブランドはやはりどこか違うのだろうか。

最近、桂林のデパートに日本製の電気炊飯器が並んだ。中国製だと、炊飯器は300元(1元=12〜13円)程度から500元程度、高くても1000元台だが、これらの日本製は5000元台、6000元台、一番高いのには7238元の値札が付いていた。日本円だと9万円ほどにもなる。この地の消費者にとってあこがれの品かと思いきや、知り合いの中国人は「おカネがあっても買いたくない」と言う。「だって、炊飯器の表示をご覧なさい。全部中国語ですよ。つまり、中国向けに作った製品です。高いけれど、品質は信用できません」。

確かに、日本で買ってきたものを使っていると、中国製に比べ格段に丈夫だなあ、と感じることがある。例えば、僕のカメラはもう10年も前に買った安いものだが、先日、テーブルの上から木の床に落としてしまった。大きな音がした。恐る恐る操作してみると案の定、レンズがせり出してこない。壊れてしまった。1時間ほどして念のため同じ操作をしてみると、なんといつも通りにレンズが出てくるではないか。ついでにシャッターを押すと、こちらは全く反応しない。ああ、やっぱり壊れてしまったんだ。またもや1時間ほどして、やはり念のためにシャッターを押してみると、ちゃんと写せた。以後、このカメラは機嫌よく働いてくれている。

こんな話を中国人にしたら、「日本で売っている日本製品はそうなんです。帯病不工作(病気の間は働かない)だけなんです」と言われた。動かなくなるのは病気になったからで、そのうちに病気が治ればまた働き出すということらしい。ことほどさように、この地の人たちの日本製品への信頼は大変に厚い。日本人として嬉しくはあるが、それだけに、さっきのような「疑念」は何とか払拭してほしい。こんな疑念がずっと続くのは、日本のメーカーにとっても得策ではないだろう。