「肘をついて食べる」のは是か非か

夏休みで日本に帰った折のこと、昼食をとろうとレストランに入った。テーブルに座って見渡すと、少し離れた所に家族らしい4人連れがいた。30歳代と思しき男女と5歳くらいの男の子、それに年配の女性――人相、風体からは日本人か中国人か韓国人か全く分からない。ただ、4人ともテーブルに肘をついて食べている。箸の持ち方も変だ。親指を前方に突き出すようにしている。連中はおそらく中国人だな、1万円くらいなら掛けてもいい――そう思いながらちらちらと見ていたら、4人はやがて中国語で話し始めた。ピンポーン!!

中国に戻ってからも、どうもこちらの人たちの食べ方が気になって仕方がない。わが塾の近くは大学生はじめ若者が多い。それはそれでいいのだが、食い物屋でたまたま一緒になり、食べ方を眺めていると、片肘か両肘をテーブルについている連中が多い。箸の持ち方も(これについてはいずれ稿を改めたいが)変なのが目につく。他人事ながら食べ方が見苦しい。見ているだけでこちらの食欲が萎えてしまう。

ただ、こんなことが気になりだしたのは、南方の桂林そして南寧で過ごすようになったここ5年くらいのことだ。その前にいた北方のハルビンでは感じなかった。かの地の人たちは肘をつかなかったのだろうか。「中国人は食事の時、おおむねテーブルに肘をつく」と断言するわけにはいかない。肘をつくのはここ広西の地の中国人だけなのだろうか。

そこで、日本との行き帰りに立ち寄る上海のホテルでの朝食時、100人ほどが食べているレストランで食べ方を眺めてみたことがある。かなりの人が片肘か両肘をついている。皆さん、どの地方からいらっしゃったかは聞かなかったが、この食べ方は中国ではある程度の普遍性があるのかも知れない。

上海に近い江蘇省蘇州在住の親しい日本人が僕を訪ねてきたことがある。一緒に食事すると、ずっとテーブルに肘をついている。「肘つきはやめたら」と注意したら、「中国人の癖が移って」と赤面していた。彼のように肘をついて食べる日本人も決して少なくはない。かく言う僕も日本に戻った折、テーブルにうっかり肘をついていて、家族の冷ややかな視線を浴びることがある。でも、僕の見る限り、肘をつくことの多さにおいて日本人はこの地の人たちの比ではない。

わが塾で20歳代の女性10人ほどに以上のようなことを話して授業のテーマにしてみた。生徒にはここ広西だけではなく北方出身の者も何人かいる。北方出身の生徒がもっともらしい説を出してきた。

「歴史的に見ると、中国人は昔から椅子に座ってテーブルを前に食事してきました。日本人は畳に座って(いわゆる本膳料理の場合)それぞれの膳を前に食事してきました。つまり、中国人は食事の折、テーブルに肘をつくことができましたが、日本人はもともと肘をつくことができませんでした。(確かに、温泉旅館の宴会などでお目にかかる、あの小さなお膳では肘をつきたくてもつけない。僕が子供の頃は折りたたみ式の「ちゃぶ台」で食事していたが、あれも背が低すぎて肘をつけなかった)。肘をつく中国人、肘をつかない日本人、どちらも伝統がしからしめるものです」

「そう言えば、私は食事のときも勉強のときもずっと肘をついてきました。確かにみっともないです。肘の皮膚も黒くなってきました。今日を限りに肘をつくのをやめます」と言う地元出身の生徒もいれば、「子供の頃、いとこが肘をついて食べると、祖父がものすごく怒っていました」と言う北方出身の生徒もいた。中国でも肘つきがあまねく認められているわけではないようだ。肘をつかないのが主流の地方もあるのかも知れない。ハルビンで肘つきが気にならなかったのはそのせいだろうか。

日本のテーブルは椅子に座るものもそうでないものも一般的に背が低く、肘をつくのに適していない、と日本通の中国人が言うのを聞いたこともある。

――こんなことばかり考えていたら、だんだん馬鹿らしくなってきた。他人が肘をつこうとつくまいと、どうでもいいことではないか。ただし、わが塾の生徒には肘をつかせたくない。それに、日本料理を食べる時も肘をついてほしくない。日本料理に対して失礼である。僕はそう結論づけ、以後はこんなことで悩まないでおこうと決心した。

ある日、南寧の市内バスに乗っていたら、車内のテレビに日本料理店の広告が流れていた。当地では有名な女性タレントが出てきて寿司か何かをおいしそうに食べている。そして、テーブルにしっかりと片肘をついている。「やめてぇ〜」と僕は思わず叫び、しばらく忘れていた問題を思い出してしまった。