中国人の飲み方、日本人の飲み方

少し前、新聞に「中国ロケで泥酔死亡に労災認定」という記事が出ていた。それによると、4年前、NHKの番組ロケで中国に滞在中の男性スタッフ(当時31歳)が「中国共産党関係者との宴会で、アルコール度数が高い酒をコップで一気に飲み干す中国流の乾杯を繰り返し、泥酔した。翌朝、ホテルの自室で吐いた物をのどに詰まらせて死亡した」。これを東京の渋谷労働基準監督署が「労災に当たらない」としたのに対して、遺族の訴えで東京地方裁判所が「中国人参加者の気分を害さぬため、大量の飲酒を断れなかった」として、「労災に当たる」と判断し、労基署の処分を取り消したというのである。

では、日本の会社や役所で上司や同僚の気分を害さないようにと、泥酔して死亡したらどうなるのだろうか? 相手が中国共産党関係者でないと駄目なの? つまらないことも考えてしまうが、それはそれとして、ここで言う「アルコール度数が高い酒」とは「白酒」(バイジュウ)のこと。日本の焼酎に似た蒸留酒だが、度数は38度とか52度とか焼酎よりずっと高い。たとえ小さなコップでも、代わる代わる誰かが立ち上がって、「ナントカのために」と乾杯を提唱し、それらに付き合っていたら、確かに効いてくる。また、焼酎のようにお湯割や水割、あるいはオン・ザ・ロックスといった飲み方は、白酒には似合わない。これは普通、ストレートで飲むことになっている。

ところで、宴会という宴会がすべてそうではないだろうが、中国人はなぜ乾杯を繰り返したがるのか。よく言えば、自分ひとりだけでは飲まず、皆と一緒に楽しもうという優しさの表れなのか。いや、それもあるけど、中国人と日本人とでは「食事と酒」の関係がいささか違っている。そのため、中国人は乾杯を繰り返し、日本人は乾杯を最初の1回だけで済ませるのではないか。

つまり、日本人(特に男性)は食事、とりわけ夕食の際には、大なり小なり酒が欠かせない。あとに仕事があったりして飲めなくても、できれば飲みたい。もちろん、アルコールは一切NOの向きもいるだろうが、おおむね食事と酒が一体となっている。酒なしの夕食なんて、特に僕の場合は想像すらできない。

ところが、中国人の場合は、食事に酒がつくのは「接待」や「お祝い」あるいは「何か」のためであることが多い。従って乾杯を繰り返さないと、酒を出した意味がなくなってくる。李白(唐時代の詩人)という伝説的な飲み助を先祖に持つ民族に対して失礼だけど、現代の中国人の酒の飲み方は、日本人のようには成熟していない。食事と酒が一体となっていない。酒の楽しみ方をまだよくはご存じでない。以上、当たっているかどうか、自信はないが、中国人の知人に聞いてみたら「なるほど、そうかも知れないね」と言われた。あながち、暴論ではないみたいだ。

そんな習慣があるせいか、僕の経験だと、中国ではごく少人数で飲んでいる時も、自分が飲もうとしたら、その都度、「乾杯」なぞとは言わないけれど、軽くコップを捧げて周りの人たちにも飲むように勧める。すぐ近くの人となら、軽くコップを合わせる。このクセがついてしまうと、日本に戻ってもつい同じことをやってしまい、変な顔をされたりする。

とにかく、日本人と中国人とでは酒の飲み方が何かと違っている。例えば、これも僕の経験だけど、日本でのように、とりあえずビールで乾杯し、あとは各自が好きなものを飲むといった宴会にはお目に掛からない。ビールで始まれば、ずっとビールを飲んでいる。白酒で始まれば、ずっと白酒を飲んでいて、最後に口直しとでも言えばいいのか、ビールを飲んだりする程度だ。

ビールの注ぎ方も違う。レストランでコップにビールを注いでくれる親切な従業員がいる。でも、泡を全く出さないように、少しずつ少しずつ注いでいく。おいしそうにはとても見えない。黙っていたら、こういうことになるから、僕は従業員がビールを注ごうとしたら、いつも「自分でやるから」と中国語で言って断ることにしている。僕が使える数少ない中国語のひとつだ。

もうひとつ、僕が自由に使える中国語は、レストランでビールを注文する際に言う「よく冷えた奴」である。中国人は一般に冷たいものはお腹によくないと信じているので、昔は冷えたビールなんてあまりなかった。それに比べると、最近は中国人もビールを冷やして飲むことが多くなったが、念を押しておかないと生ぬるいのが出てきたりする。もっとも「よく冷えた奴」と注文しても、そうでないのが出てくることもある。そんな時はもう諦めるしかない。

話は最初の「乾杯」に戻るが、僕はこれまで年に2回、中国から帰国する度に某大学病院で血液と尿の検査を受けてきたが、アルコールの飲み過ぎか否かを示すγGTPの数値が許容範囲を超えていることがままある。そんな折、主治医の先生は「中国では乾杯を断れないでしょうから、この程度の数値は仕方がないですね」とおっしゃる。けだし名医ではあるが、中国人の「乾杯好き」に対しては、日本の裁判所も病院も一目(いちもく)置いているようである。