塾をリストラ

わが「東方語言塾」は広西チワン族自治区の桂林で4年近く、南寧で3年近くやってきたが、ここらで一区切りをつけ「リストラ」することにした。看板はそのまま残し、引き続き日本語を教えていくが、教師役は古手の生徒4〜5人に任せてしまう。みんな女性で、塾として使ってきたアパートの家賃を「半年分は払っておくから」と「自主経営」を持ち掛けたら、「やります、やります」との二つ返事だった。当分はなんとかやってくれるだろう。

僕は今、春節旧正月)休みの続きで日本に帰っている。ただ、もう一度南寧に住むことはないだろう。しかし、中途半端な話だけど、塾と縁を切ることもしたくない。「作文はメールや郵便でどんどん送って来い。添削して送り返す」と言い残してきた。塾でずっと協力してくれた中国人の女の先生も、僕に調子を合わせて、直接の授業からは手を引くことにした。

リストラを決心した最大の理由は、情けない話だが「体調」である。実はこの5年ほど「脊柱管狭窄症」とやらで、歩いている時、立っている時、ちょくちょく足が痺れてくる。年配者に多い病気で、僕の場合は腰椎のずれが原因らしい。全く痺れないこともあるし、それほどの重症ではないのだが、それでも少しずつ痺れがひどくなってきた。日本でしばらく治療に専念したいと思うようになった。

脊柱管なんとか以外にも、リストラのきっかけがないわけではない。ひとつは、例の「島」の「国有化」以降、新しく日本語を習いたいという問い合わせがめっきり減ってしまったことだ。断定は出来ないが、やはり「島」の影響だろう。これまでいた生徒はこの問題で塾を辞めたりはしないが、それでも卒業、就職、留学でだんだんと減っていく。今いる生徒の友人とか知り合いとかが新しく来てくれたりはするが、その数は多くない。

日本語を学びたい若者自体が減っているとは思いたくない。日本の国際交流基金などがやっている日本語能力試験が毎年7月と12月、世界各地であるが、昨年12月の南寧での試験会場に行ってみたら、こんな田舎町なのに、600人以上が集まっていた。ただ、若者が日本語を学びたいと思っても、親が反対することもあるようだ。こちらの「官製」テレビや新聞は「島」のことその他でよく日本を非難し攻撃する。それらを見ていたら、そんな気持ちにもなるだろう。わが塾からそう遠くはない某学院(大学に相当)は一昨年、日本語科を設けた。最初の学生は8人だったが、入学直後に「島」の問題が起きた。翌年、つまり昨年の入学生はゼロだった。

リストラには経済的な理由もある。そう豊かではない塾生からそれほどの授業料は取れない。また、塾で儲けるつもりもないから、足りない分はもっぱら僕が補ってきた。大した金額ではないが、なにしろ「どんぶり勘定」だから、いくら赤字なのかは分からない。それでも最近の急激な円安はやはり身にこたえる。アベノミクスとやらが始まる前は、1万円を両替すると、800元あまりになっていたのに、急激に700元台、600元台、さらには500元台へと下がってきた。両替する度にため息が出てくる。

中国人女性と結婚し、息子ももうけた日本人のご老体(と言っても、僕より若い)が南寧に住んでいる。日本ではスーパーを何軒も経営していたそうで、僕よりもずっと豊かなはずだ。南寧ではマンションも買っている。そのご老体が「この円安と物価上昇には耐えられない」と、妻子を連れて日本に脱出すると言っているそうだ。元塾生で自炊しながら会社勤めをしている女性は「食料品と日用品の値段はこの2年で倍になりました」と言う。

さらには大気汚染がある。南寧という町は見る所があまりないのだが、空気だけはまあまあだった。それなのに、昨年の後半から大気汚染が急激にひどくなった。北京あたりに比べると、まだまだ増しなのだろうけど、それでも日課の散歩をしていると、ビルというビルがスモッグに埋もれている。日本から久しぶりに戻って来た中国人が「息苦しい。ジョギングも散歩もできない」とぼやくほどだ。この地から逃げ出す術(すべ)のない塾の生徒たちには申し訳ないのだが、こんな大気汚染にお付き合いする気にもなれない。

でも、中国のどこかで日本語を教えることはまだまだ続けたい。生徒に次はどこがいいだろうかと尋ねたら、「チベットはまだ空気がきれいなはずです」と薦められた。でも、日本からは遠いなあ。日本でしばらく考えて、足の痺れもできるだけ治療して、またどこかで「捲土重来」をと思っている。

――というようなわけですが、この駄文ブログはまだ続けます。当分は「残滓録」といったところでしょうか。